2013年10月25日金曜日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ヘ長調「秋」RV293(Vn:ギドン・クレーメル、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団)


村人たちは歌や踊りで、
大いなる収穫の喜びを祝う。
人々はバッカスの酒に紅潮し、
ついには眠りに落ちる。
 
おだやかな空気が心地良く吹くと、
歌と踊りはやがて消えてゆき、
すべての人々を、
心地よい眠りに誘う。
 
夜が明けると狩人たちは、
手に角笛と猟銃を持ち、
犬を連れて狩りに出る。
 
獣たちは逃げ、狩人たちは追いかける。
銃声と犬の鳴き声に驚き、
傷つき怯えて疲れ果て、
追いつめられて息絶える。

いつまでも暑いと思っていたら、いくつもの台風がやってくると、あっという間に寒くなった。秋という風情にはいささか乏しいが、この季節はまた音楽が聞きたくなリ始める季節でもある。

ヴィヴァルディの「四季」ほど何種類もの演奏が録音され、さらにはビデオ作品においても様々な試みがなされる曲はない。それはやはりこの曲の親しみやすさと表現上の多彩さを受け入れる余地、つまり曲が見事なまでに素晴らしいからだろうと思う。こんなバロック音楽はほかにない。

ソビエト生まれのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルは何とここでアバドと競演をしている。その演奏は極めて個性的だ。こんな演奏は他にはないと思うが、それもまた「四季」だから可能な表現だろう。その中で一番完成度の高い部分は「秋」ではないかと思うに至った。クレーメルは演奏の主導権を握り、時にアバドの指揮さえも挑発している。だが「秋」にはそのいい部分が表れているようだ。

第2楽章の、心地良い眠りにうとうとするような静かな部分を、ロマン派の曲であるかのように演奏する。ロンドン交響楽団はこの時期のアバドのパートナーで、研ぎ澄まされた鋭角的な表現が印象的だったが、それは今の時代を先取りしてた。

秋は私の一番好きな季節で、毎日続く快晴の日々に、すこしづつ紅さを増していく木々のこずえに何とも言えない寂しさを感じたものだった。だがここ数年は、まったくそのような気持ちになれない。異常気象のせいなのか、それとも個人的な心境の変化なのか。あるいはまた、自然のない大都会での暮らしが季節感を奪っているのか。

そういえばアバドの指揮した「四季」にはもう一枚、ヴィクトリア・ムローヴァとの演奏もある。こちらのほうが落ち着いた演奏だが、逆に、真面目すぎて物足りない。やはり「四季」は衝撃的なまでに攻撃的で、センセーショナルなものがいい。

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