2020年4月29日水曜日

ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」作品7、カンタータ「エルミニー」(Ms: ブリジット・バレイ、S: ミレイユ・ドゥランシュ、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団)

ヨーロッパの夏は日本同様かなり蒸し暑い日もあるのだが、それは長くても数日程度であり、夜になると涼しい風が吹いてくる。基本的には湿度が低いので、我が国のちょうど梅雨入り前の乾いた夏の日が良く似ている。

ベルリオーズが31歳の時に作曲した代表的な歌曲集「夏の夜」を取り上げるのはもう少し暑くなってからにしようと思っていたのだが、ちょうど相応しい季節が近づいてきたので取り上げることにした。そうしたら驚いたことに、これは必ずしも夏を歌った歌ではないことを発見した。たとえば第1曲「ヴィラネル」の歌詞は、このように始まる。

春が来て、
寒さが消えてしまったら
二人でスズランを摘みに森へ行こうね。

春が来たんだ!
ねえ、君。春は幸せな恋人たちの季節。
ここの音楽はとても印象的で、一度聞いたら忘れられない。開放的でとても綺麗な曲。ここの歌詞に登場するスズランは、我が国でも北日本、特に北海道の生息するが強毒性がある。

「夏の夜」はフランス詩人、テオルフィル・ゴーティエの詩6篇をもとに作曲されたが、すべて独立しているという。だがその歌詞を追っていけば、これは当然とも言うべき失恋の歌であることに気付く。第2曲「バラの精」も美しくゆったりとしているが、どことなく気だるさを感じる。舞踏会の衣装に付けていたバラが幽霊となって彼女にささやく。

お前の閉じた瞼をあけて、
処女の夢を追い出してしまいなさい!
第3曲「入り江のほとり」は「哀歌」という副題が付けられている。
私の美しい彼女は死んだ、
私は夜も昼も、泣き続けるだろう。
彼女は、墓の中まで、私の魂と
私たちの愛とを持って行ってしまったのだ。
愛を失った行き場のない絶望と哀しみが、切々と歌われて痛々しい。このような感覚は、歳をとると長年忘れていたものだと気付く。「夏の夜」というタイトルに相応しいのは、このあたりの歌詞からだろうか。
私はもう決して、彼女以外の女を愛することはないだろう。
ああ、何と辛い運命だろうか!
恋を失ったまま、ひとり船出をしなければならないとは!
第4曲 Absenceは「君なくて」と格好良く訳されているが、消失したことの悲しみがさらに深々と歌われる。
ああ!どうか、帰ってきておくれ、私の愛しい人よ!
太陽の光から遠ざかった花のように、
私の人生の花も、お前の真紅の微笑みから遠ざかったまま
しぼんでしまった。
「月の光」と題された第5曲「墓場にて」は、とうとう悲しみの頂点を脱し、少し明るさも見える静の世界へと変わってゆく。
あたかも魂が目をさまし
地下でその歌声に声を合わせて
泣いているかのよう。
そして、この世に一人残された者の不幸を
鳩の鳴き声をかりていとも優しく
嘆き悲しんでくれているのに違いない。
とうとう失恋の魂は昇華され、ようやく聞いていられる歌になった。終曲「未知の島」は、見知らぬ異国への憧れを歌う歌である。
いったい、あなたはどこへ行きたいの?
そこはいったいバルチック海なのか?
それとも太平洋?
あるいはジャワの島か?
はたまたノルウェーで
雪の花かアングソカの花を
摘もうというのか?
いったい、あなたはどこへ行きたいの? 
もう、そよかぜが吹き始めているよ。
失恋した若者は旅に出るものである。それでもしばらくは未練が彼を苦しめる。独りよがりの苦しみは、やがて異国の風景に紛れ込み、喧騒と灼熱のみが魂を鎮める。6月に雪が降ることがないように、もはや彼女は夢の中にしか現れない。それはもはや幻想であり叶うことのない夢なのだ。

「夏の夜」が終わってそのままにしていたら、何とあの「幻想交響曲」のメロディーが聞こえてきた。「恋人のモチーフ」に合わせてソプラノが歌いだす。この曲はベルリオーズが「ローマ賞」のために作曲したカンタータで、第2位に輝いたその作品は抒情的場面「エリミニー」と呼ばれていることを初めて知った。この20分余りの曲が、「夏の夜」を聞いた耳に何とも心地良くて、散歩の時間を延長して聞いてしまった。

幻想交響曲もまた音楽史を変えた失恋物語だが、ベルリオーズ自身の体験でもあるこの作品の主要メロディーは、意外にも過去の作品からの転用だったのだ。そしてこのオリジナルのカンタータはソプラノ独唱が常に歌い、「夏の夜」に比べるとより動きがあって、しかも美しい作品だ。歌付きの「幻想」は、とても新鮮である。

私は「夏の夜」を3回も実演で聞いている。最初は1990年3月にニューヨークで聞いたフィラデルフィア管弦楽団演奏会。指揮はリッカルド・ムーティ、独唱はバーバラ・ヘンドリックスだった。この時は特に印象はなく、フランスの歌曲などつまらないと思っていた。2回目は1993年、東京都交響楽団の演奏会で指揮は若杉弘、ソプラノ独唱は緑川まりだった。やはり印象は薄かった。だが直後に聞いた小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏会では、はじめてこの曲を素敵な曲だと思ったのだった(独唱はスーザン・グラハム)。

私はこの曲のCDが欲しくなり、当時は毎週末に出かけていた池袋のHMVで、最初に聞いたヘンドリックスの歌うCDが売られていたのを発見し購入した。ベルリオーズの第一人者、コリン・デイヴィスが指揮するそのディスクには、ブリテンの「イリュミナシオン」やその他のフランス語の歌曲が収められていたが、どことなく平凡で私を感動させなかった。以来、この曲を聞くことはなかった。

このたび再度ヘンドリックスの演奏や、世評の高いクレスパンの歌う古いデッカ盤にも手を出してみたが、ソプラノの声が高すぎるのか違和感があった。そんな中でもっとも感銘を受けたのはオリジナル楽器によるヘレヴェッヘの演奏だった。ここで歌唱はメゾ・ソプラノのブリジット・バレイによって歌われている。 スイス生まれのバレイはさほど有名な歌手ではないが、フランス語を母国語とするヴォー州の出身で、軽やかで澄み切った歌声がオリジナル楽器によく合っていると思う。

このディスクで私は、「エルミニー」という幻想交響曲の原点ともいうべき素敵な曲に出会い、そしてオリジナル楽器によるベルリオーズのさわやかなロマン性も発見するに至った。初夏にも似た今日この頃の陽気に誘われて散歩する合間に、耳元で響くフランス語の歌曲に、しばし聞き入っている。

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