2018年7月16日月曜日

ミュージカル:「エビータ」(2018年7月16日、東急シアターオーブ)

FIFAワールドカップ・ロシア大会はフランスの優勝をもって幕を閉じたが、準優勝したクロアチアは今回、アルゼンチンを破って世界を驚かせた。アルゼンチンは1978年の大会を主催し、初優勝している。NHKがたった一人のアナウンサーと解説者を派遣して衛星中継をしたこのときの模様を小学生だった私はテレビで見て、その並外れた熱狂的な模様に驚愕し、サッカーというスポーツが社会現象として一定期間、世界をくぎ付けにするすさまじい様子を目の当たりにしたのだ。

優勝の決まった瞬間、10人以上の死者が出たと報じられた。二階から飛び降りた者、子供を無意識に絞殺してしまった者、など多数の悲劇とともに、軍事政権下で行われた大会にはテレビ・クルーでさえ移動に難渋するといったエピソードなどが、私をアルゼンチンに興味を持たせた最初である。ブエノスアイレスという素敵な名前の都市に行ってみたい、そう思ったのはある紀行文を読んだことがきっかけでもあるのだが、それも中学生時代のことで、私はNHKのスペイン語講座を聞いて会話を覚えようとしたりした。

大学生活が終わろうとしていた1992年3月、私はとうとう貯金をすべてはたいて、南米大陸の旅に出た。といっても卒業後、就職までのわずか数週間。パンナムが倒産し、南米行きの格安航空券はロサンジェルスとフロリダを経由しながら3日は要したルートだったと思う。あまりに疲れ果て、研究発表の疲れも癒されぬうち、私はブエノスアイレスの安宿で丸2日間眠り続けた。3日目の朝になって、秋とは言えまだ30度は超えるような暑さの中を、私は7月9日大通りを歩くうち、ここは子供時代に読んだ写真集「世界文化シリーズ」の中で出て来たモノクロの写真集の光景であることを思い出した。この光景は今でも時々夢に見る印象的なものである。広い通りの向こうに、ヨーロッパを思わせる重厚な建築物が並ぶ。

「南米のパリ」といわれたブエノスアイレスは、1940年代の栄光の時代をそのまま冷凍パックにしたかのような町であった。裏通りには時代遅れのスーツを着た紳士が歩き、夜ともなれば巨大なステーキを出す店などが並び、どこからともなくタンゴのメロディーが聞こえてきそうな、くたびれて古色蒼然とした街並みだった。

サッカーの熱狂は、政治の熱狂でもあった。アルゼンチンの歴史を語るうえで、栄華を使い果たし、混乱した経済にくたびれてさらに広がる格差が生む不満、そのはけ口としての革命のエネルギーが軍政を生み、あるいはまた愛国心がサッカー熱を煽るもとになっているということを忘れることはできない。斜陽と熱狂。このあまりに悲しい時代を、エビータは駆け抜けた。ペロン大統領夫人として30年余りの短い人生を、アルゼンチンの国民は自らの国の辿る運命に重ね合わせる。「アルゼンチンよ、泣かないでおくれ」との響きは、サッカーの試合にも事あるごとに繰り返される。

ミュージカル「エビータ」が上映されていると知ったのは数日前で、人気のある演目だし、我が国のミュージカル熱は結構なものだと思っていたので、まさか当日券があるとは思わなかった。私は1995年にニューヨークに住んでいた頃、上演されていた数々のミュージカルを観たが、その中に「サンセット大通り」という素敵な作品があって、この何とも言えないセピア色に染まった西海岸の悲劇を、その胸を締め付けるほどにノスタルジックな音楽とともに忘れることはできない。

2回以上見た「サンセット大通り」は、その音楽がイギリスの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーによるものである。彼は有名な「キャッツ」や「オペラ座の怪人」などでも知られ、一度聴いたら忘れられないようなメロディーを生み出す天才である。その彼の「ジーザス・クライスト・スーパースター」に次ぐ作品として制作され、初めてアメリカでトニー賞に輝いたのが、「エビータ」である。もう1970年代のことだから、40年以上が経過していることになる。

「エビータ」はその後、多くの歌手によって歌い継がれ、1996年にはマドンナを主演とする映画も制作された。私は帰国してからこの映画を見て感動し、オリジナル盤(1978年)を購入していたが、このCDはどことなく静かで、ロック調の迫力と臨場感を上手く伝えているとは言い難い。ミュージカルでもやはり実演に接するのがいい。何といってもあの動きの多いダンスを見ることはできないのだから。

今回渋谷ヒカリエ11階にある大きなホールで見た舞台は、嬉しいことに日本語字幕付きであった。舞台には大型のスクリーンが設置され、ここに1950年代の実際のモノクロ写真が次から次へと投影されてゆく。私が子供時代に見たブエノスアイレスの風景も、実際に訪れた大統領府などの建物も、この中に何度も出てくるのであった。この映像を見ていると、動きの多いダンスを見落とすことになり、またダンスに気を取られていると字幕が追えない。オペラと違って情報量は多く、オーケストラや歌声もマイクロフォンで強調されるから、二階席の端っこであっても十分に楽しいし、それに何といっても哀愁に満ちた音楽が次々と溢れ出す。

誰がどの役を歌っているのかは、ブックレットも何も配布されないという不親切な興行方針のせいで、何もわからない。これは糾弾すべきことだろうと思う。仕方がないから、出演者をWebページで検索して、以下にコピーしておく必要がある。

  作詞:ティム・ライス
  作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
  演出:ハロルド・プリンス

  エヴァ・ペロン:エマ・キングストン
  チェ:ラミン・カリムルー
  ホワン・ペロン:ロバート・フィンレイソン
  マガルディ:アントン・レイティン
  ミストレス:イザベラ・ジェーン

5人の主役の中で、際立って拍手の大きかったのはチェを歌ったラミン・カリムルーで、次が標題役のエマ・キングストン。歌声が大きな意味を持つオペラとは違い、ダンスや演技も大きなパートを持つミュージカルについて、私はあまり詳しく語ることはできない。ただ久しぶりに見るミュージカルに、オペラとは違った新鮮さを感じたのと同時に、よく組織された舞台は、オペラのような予測不可能な要素が少なく、むしろ演出の巧みさこそが最大の見どころである。黒を基調とし、舞台が二階建てになっている。時折男女がタンゴを踊る。音楽は様々な要素が不自然なく取り入れられており、一種独特のムードが漂うのがロイド=ウェバー音楽の真骨頂である。

1992年に撮影した写真があるので、その中から2枚を貼っておこうと思う。アルゼンチンの歴史は、エヴァの死後も苦難の連続であり続けている。このミュージカルが上映された頃は丁度フォークランド紛争の頃であった。イギリスは第二次世界大戦前から世界的な資本を投下して、アルゼンチンを従属させてきた。「エビータ」の物語は、それに対する反抗と挫折の歴史でもある。そして、英国人側の視点で描かれる時、どことなく冷笑的である。そのことが好きかどうかは別として、Don't Cry for Me Argentinaのメロディーは世界中で愛されている。

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