都内にある私のマンションの玄関には一枚の白黒写真が飾ってある。花束を持った一組の歌手が盛大な拍手に応えてアンコールを歌っているシーン。この歌手の名はオマーラ・ポルトゥオンドとイブラヒム・フェレール。当時もう70代の老人である。だが彼らこそ90年代になって、キューバの貧しい下町から「発見」され、鮮烈なデビューを果たしたバンド、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーだ。
確か2000年頃だった。私は妻とともに渋谷の狭い映画館の最前列で、彼らのツアーを追った映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見た。直前に飲んだ大量のワインの影響で、私は映画の間中、心地よい睡魔に襲われ、ほとんど夢見心地でソンと呼ばれるキューバの「伝統的」ポピュラー音楽と、その知られざるハバナの風景を楽しんだ。荒波が波しぶきを上げて旧市街の道路を洗い、そのそばを大型の古い自動車が走る。子供たちが戯れ、老人たちが葉巻をくゆらせる。夕焼けが空を赤く染めている。心地よい音楽が、丸でカリブ海から吹き付ける風のように、私の体を覆っていた。
あまり良く覚えていないその映像は、後日発売されたDVDで何度も見た。全体を通して流れる黄金時代のキューバ音楽は、サルサやメレンゲとして知られる軽快な今のカリブ音楽の、いわば原型のようなものである。私は彼らがワールドツアーで来日した時も、有楽町の東京国際フォーラムで行われたライヴに出かけたのは言うまでもない。その時に行われた抽選会で、何と一等を得たのである。その時の景品が、いま私の家にあるサイン入りの白黒写真なのである。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーは、みなキューバ革命以前から活躍していた名歌手たちである。その彼らが激動の時代を生き抜き、ギターリスト、ライ・クーダによって知られるところとなる。ドイツ生まれの映画監督ヴィム・ヴェンダースは彼らのアムステルダムでの公演を皮切りに、ニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートまでの模様を、キューバの風景を交えながら追いかける。だが彼らに残された時間は少なく、その後の10年間に多くのメンバーが世を去った。もちろん高齢だからである。
その続編とも言える本映画は、ヒット後の彼らの活動を追うとともに、革命前後のキューバにも焦点を当ててドキュメンタリー風に構成していく。 最初の映画ほどの完成度には及ばないが、この映画に魅せられてコンサートまで足を運んだ者としては見逃すわけにはいかない。先週末の日経新聞に紹介され、東京での公開が今週中にも終わると聞いて慌てて出かけた次第である。
この映画を見て思うことのひとつは、革命、すなわち社会主義がこのラテンの国にもたらしたものとは何だったのだろうということだ。 長く資本主義社会から隔絶され、ミュージシャンと言えども生きる意欲を失い、靴磨きや葉巻工場の労働者として辛うじて生計を立てていた、というのはいわば負の側面である。だが革命前のキューバはアメリカ帝国主義により搾取され、それ以前から根強く続く黒人差別と奴隷の歴史から逃れることはできなかった。
ミュージシャンの口から語られる、そういった革命前後のキューバの実情は、見る者の心をより複雑にさせる。だが社会がどう変わろうと、音楽は常にキューバにあり、その精神は絶えず生き続けてきたということは事実だろう。音楽がキューバを救った、などと楽天的なことを言うのではない。オモーラ・ポルトゥオンドによって、失った愛の哀しみが歌われる時、そこには万感の思いが伝わってくる。その歌を彼女は、2003年に亡くなったイブラヒム・フェレールに捧げるのだ(最後のシーン)。
最初の映画から20年近くが経過し、私の住む家も三鷹の賃貸から都心のマンションに変わった。その間、私はずっと白黒写真を見続け、生死を彷徨う闘病の長い日々を過ごした。長い時間がもたらしたもの、その前の時代への憧憬。私の過ごしたこの20年は、人生を変えた20年でもある。その長さを思いながら、この映画を見た。
私はまだキューバに行ったことがない。今後、行けるかどうかはわからいし、行けたとしてももうあの、まるで半世紀以上もタイムスリップしたようなハバナの街に出会えるかどうかはわからない。でも可能なら、1時間でいいからハバナの旧市街を歩いてみたい。そこここから聞こえてくる人々の話し声や車の喧騒に混じって、あの哀愁に満ちたソンのメロディーが、きっと聞こえてくるはずだから。
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