2018年7月26日木曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(Vn:イザベル・ファウスト、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団)

ベートーヴェン中期の傑作のひとつがヴァイオリン協奏曲である。ベートーヴェンが書いた唯一のヴァイオリン協奏曲は、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最高の美しさを誇るのではないかと思っている。しかし私が初めてこの曲を聞いた時(それは中学生の頃だったと思うが)、ベートーヴェンにしてはなんて大人しい曲だろうと思ったし、モーツァルトの明るく朗らかなヴァイオリン協奏曲にくらべると、憂鬱だなとさえ思った。もちろん、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのように、技巧的でもない。

それが聞き進むにつれて、これほどヴァイオリンの特性を生かしながらその魅力を引き出し、聞くものをほのぼのとした嬉しさに包み込む曲はないのではないか、と思うようになった。当時私の実家にあったLPは、クリスティアン・フェラスによるもので、バックはカラヤン指揮ベルリン・フィル、それからあの有名なモノラル録音のクライスラー盤(ブレッヒ指揮ベルリン・フィル)だった。後者は聞くに堪えないほど古い音質で、まるで蓄音機で聞いているようなおもちゃの音がしていたので、専らフェラス盤を聞いていた。

ムターが10代でデビューしてこの曲を録音し、その後の日本ツアーでも演奏したときには、その美しく艶のある演奏をテレビで見たような記憶がある。また私は自分の小遣いで買った録音が、評判の高いシェリングによるもの(ハイティンクとの新録音)だった。どの演奏で聞いても素晴らしいのは、曲がいいからで、特に秋が来て寒い雨が降る頃になると、私はなぜかこの曲が聞きたくなった。

カンタービレの美しさは、パールマンがデジタル録音した際にリリースされた録音を買った時に思い知ったような気がした。ジュリーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団との演奏は、この曲の持つ今一つの側面にスポットライトを当てた。イタリア的な演奏だと思った。

だが今から思うと、70年代から80年代の演奏は生真面目で面白みに欠ける。総じて音楽は遅く、それがこの曲の標準なのかと思っていたりもしたが、そういった既定概念を覆すような演奏は、クレーメルがアーノンクールと共に録音したCDによってもたらされた。大阪・心斎橋のタワーレコードでこの曲を試聴したときの衝撃は忘れられない。冒頭のティンパニの音からして全く違う。第1楽章のカデンツァではピアノまでが登場し、第2楽章の微音などまるで蜃気楼のようにゆらゆらと立ちのぼるように繊細で、それでいて芯のあるヴァイオリンの表現力に驚いた。私のこの曲に対する印象は、このようにして新たな段階に入った。

すべての演奏を聞いているわけではないし、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲となるとベラボーな数の録音があるので、それらを比較することは不可能だ。だからおよそ10年おきくらいにたまたま聞く新録音が、私の愛聴盤になる。しかし2000年代に入ってムターの新録音(マズア指揮ニューヨーク・フィル)の新しい境地に惹かれながらも、この録音を聞くまでは、決定的に好きな演奏が存在しなかった。今の私の精神状況にもっともフィットする演奏は、イザベル・ファウストが独奏を担い、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団との競演による2012年のCDにとどめを刺すと感じている。

ただし、この演奏はクレーメルの録音があってこそ実現したと思う。演奏の傾向が良く似ている。第1楽章のカデンツァは、クレーメル盤と同様にベートーヴェンがピアノ協奏曲用に編曲したメロディーが使われおり、そこにピアノこそ登場しないがティンパニが聞こえている。ファウストはクレーメルの演奏をさらに前へ押し進め、より自由で自信に満ちた即興的な瞬間を楽しんでいる。これを聞くとクレーメルの演奏が神経質なものにさえ思えてくる。

アバドの伴奏がこの傾向を完璧にサポートしているからだろうと思う。そして特筆すべきは第2楽章の最終部で再び奏でられるカデンツァである。この部分はベートーヴェン自身が書き残しているため、大半の演奏は短くさらっと第3楽章につながる。だがファウストの演奏では、クレーメルの演奏と同様に、長いカデンツァが用いられ、そのメロディーはクレーメルのものとも異なる。

ため息の出るような美しい独奏が、そうでなくてはならないように自然に引き継がれ、とうとう第3楽章の主題が聞こえてくると、明るくはじけそうな面持ちでロンドを駆け抜けていく。その爽快感はかつて聞いたどの演奏とも異なって奔放であり、開放的である。だがもしかすると昔はこのような演奏も多かったのではないかと思う。一度ハイフェッツの演奏など聞きなおしてみたい。けれどもファウストの演奏は、昔のそれとはやはり異なっている。指揮者とオーケストラを含む全員が、ひとつの音楽に共感している様が、今日的で新鮮だからである。

新しいベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏は、フレッシュで輝かしい魅力に溢れている。これだけさらに表現上の新境地を示すことができるのは、曲の持つ奥深さを表していると思う。このCDには、ベートーヴェンの前にベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」も収録されていて、こちらも大変すばらしい演奏である。

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