新大陸におけるクラシック音楽の新たな展開、すなわちジャズや黒人音楽との融合が、ロシア系ユダヤ人の血を引くアメリカ人によって確立されていったことは興味深い。その中でも先陣を切るジョージ・ガーシュインと、20世紀を代表する指揮者でありミュージカル作曲家でもあったレナード・バーンスタインは、それぞれ生誕120周年、100周年の記念である今年、特にコンサートで取り上げられる機会の多いようだ。
川崎に本拠を置く東京交響楽団もそのひとつで、毎年夏に開催されている「フェスタサマーミューザKAWASAKI」という一連の音楽会のオープニング・コンサートに、音楽監督のジョナサン・ノットとともにジャズとの融合をテーマとした曲を取り上げた。私はこのチラシをもらって、すぐに行くことを決めた。4階席は3000円という安さだが、学生はさらに半額となる。中学生の息子を誘ってみたが興味は示さず、妻も行かないと言う。そういうわけで今回も一人で、猛暑の中を川崎へ。
この夏のイベントに私ははじめて足を運んだのだが、そうでなくとも休日の川崎駅前は物凄い人通りで、バンドを組んで通りすがりの人に歌声を聞かせる若いストリート・ミュージシャンもいる中をコンサート会場へ向かう。あちらこちらに旗が掲げられ、楽器をもった若い奏者が、まるで中学生のように斜め上方を向き、朗らかに微笑んでいる。チケットは売り切れいるようだ。この川崎にやってくるファンは、とても熱心のような気がする。友の会などに置かれたチラシに熱心に目を通したりして、開演時間を待っている。
本日のプログラムは、日本を代表するジャズのプレイヤーとの競演で、なかなか見事である。まずガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を大西順子(ピアノ)、井上陽介(ベース)、高橋信之介(ドラム)とともに競演。次にリーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」を、この3人に加え、さらに13名のジャズ・バンドとともに競演するというもの。後半はオーケストラのみだが、やはりジャズの要素を駆使した前衛音楽家、ナンカロウという作曲家のスタディ(習作)第1番と第7番、そしてバーンスタインの「ウェストサイドストーリー」から「シンフォニックダンス」という豪華なプログラムである。
いつも見慣れたオーケストラ配置の間に、ドラムやピアノ、ベースなどが所狭しと並び、さらに打楽器セクションにもピアノ、チェレスタ、ハープシコード、木琴、マリンバ、ビブラフォンを始め、タムタムや太鼓、ここにもパーカッションなど、あらゆる楽器が配置される。オーケストラもトランペットやトロンボーンがずらりと並び、さらにサクソフォンやマリンバまで登場する。
「ラプソディー・イン・ブルー」は通常15分程度の曲で、プログラムにもそう掲載されていたが、本日はジャズ・バンド・バージョンである。ここで3人のジャズトリオは、驚くようなリズムとテクニックで聞かせる、いわば独奏部分が20分以上はあったと思う。 ピアノの大西順子は、最初すこし硬かったが、そのあとはこなれて満開のテクニックに聴衆を酔わせ、その後ろでボンボンとなっている井上陽介のベースが4階席まで響く。丁度この角度からはピアノのタッチまでが見て取れ、大西は楽譜を取り換えながら、右に左に揺れ動くさまは興奮する。
ドラムの高橋信之介はめちゃめちゃかっこいい。このようなことをどうかけばいいのかいい表現は浮かばないし、浮かべる必要もないだろう。何せジャズなのだから。それぞれ独奏部分では即興的なテクニックがさえ渡り、聴衆からも拍手が漏れる。ニューヨークを舞台に活躍してきた3人による演奏を、円筒形の4階席から見下ろしながら、私は体を左右に揺さぶった。伴奏のオーケストラは逆に緊張した感じで、特にクラリネットは独奏部分が多く、注目の的となるのだが、若手の多いような気がするこのオーケストラには、こういうプログラムは合っていると思う。
全部で35分はあったと思う。超贅沢なガーシュインを堪能し、盛大な拍手に見舞われると、次はさらに13名からなるジャズ・バンドが登場。サクソフォンがずらりと5名(アルト・サックス2名、テナー・サックス2名、バリトン・サックス1名)、その後にトロンボーンとトランペットが4名ずつ(うち一人はバス・トロンボーン)。
リーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」は、全部で8楽章まであるが15分余りの曲で、そのなかにあらゆるジャズの要素がちりばめられている。第4楽章ブルース、第6楽章ブギウギ、第8楽章マンボといた具合。私は初めてきいた曲だが、こんなモダンな曲も70年以上前の、第二次世界大戦中の作品である。
20分の休憩時間の間に、舞台の編成は随分と小さくなった。それでも打楽器には数多くの鍵盤楽器がずらりとならぶ。ノットは続くナンカロウのスタディという極めて難しい(と思われる)曲を、丁寧に指揮した。この小規模な曲を私はやはり初めて聞いたが、細かいところに沢山の聴きどころがある曲で、そのいずれもがプレイヤーの腕が試されているようなところがある。二人が同時に音を出す木琴やハープシコードの混じる不思議な感覚は、15分間続いた。
曲の合間に編成は元の大きさに戻された。それに10分は要したと思う。再び大編成となって最後を飾るのは、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」から「シンフォニック・ダンス」である。20世紀を代表するアメリカ人作曲家レナード・バーンスタインは、指揮者としても有名だが、あのミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の作曲家でもあった。晩年、ミュージカルをオペラ歌手を起用して録音するなど、その活躍は多彩であった。私もイスラエル・フィルと来日した公演で、作曲者自身が指揮したこの曲を聞いている。80歳にもなろうという老人がおしりを振りながらダイナミックに指揮する姿を今でもよく覚えている。
この曲を聞いているとバーンスタインは天才的な作曲家だったということがわかるような気がする。ミュージカルの音楽をつなげた作品だが、これだけの曲を聞いてもその音符に無駄なところがなく、むしろ複雑なリズムが浮き立つような迫力と色彩感を持って展開され、静かな部分から賑やかな部分まで見事につながってゆく。ノットの指揮ぶりも見事で、一気果敢に聞かせる。スイング、という感じではなく、アメリカを意識したものというよりは、あくまでスマートで客観的である。スピードは総じて速く、ここでも大活躍する打楽器の数々に見とれているうちに音楽が終わってしまった。圧巻の音楽ではあったが、もう少しいい席で聞いていたら良かったと思った。音が変に分離してしまい、なんとなく散漫な感じがするのが、ちょっと残念である。
今回も大満足の演奏会に、帰路につく足取りも浮き立つ。猛暑の今年は、いつになく音楽三昧の日々を送っている。
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