初めて聞く小菅優という女性ピアニストは、その歩き方と同じように力強い演奏だと思った。それでなるほどベートーヴェンを得意としているようだが、このたび聞くのはモーツァルトのピアノ協奏曲を2曲、いずれもハ長調の曲である。オーケストラは東京交響楽団。指揮はピアニストが兼ねる。つまり「弾き振り」である。だから通常指揮者が立つ位置にピアノが置かれ、大屋根は取り外されている。
ここ最近は、近年になく多くのコンサートに出かけているが、年明けにも相応しいプログラムがあることに気づかされた。名曲主体に割に華麗なプログラムが多い。そして今回のモーツァルト・マチネも、規模こそ小さいが、曲はいずれも「ハ長調」である。前半がピアノ協奏曲第8番K246、後半がピアノ協奏曲第21番K467である。前者は依頼された伯爵夫人の名前から「リュッツォウ」と呼ばれ、後者は使用された映画音楽の主人公の名を取って「エルヴィラ・マディガン」と呼ばれることがある。
どちらも女性の名前をニックネームとしている、ということだが、そんなことはこの公演のプログラム構成において、一切考慮されているわけではない。なぜなら、その記載が、配布されたプログラム冊子にないからだ。これらの名称は勿論モーツァルト自身がつけたわけではなく、曲の性質とも関係がない。 だが、いずれの作品も明るくて飾り気がなく、前向きで聡明な曲である。この性質こそハ長調ではないかと思う。
舞台に登場した小菅は、ピアノに腰掛けると手で指揮を始める。オーケストラは若手主体で楽器も高い音がするような気がする。適度に残響を伴うホールの効果もあって、2階席脇で聞いていてもしっかりと新鮮な響きが聞こえてくる。反射板が取り払われているので、若干ピアノの音がデッドだが、それは仕方がない。第8番は規模が小さいが、丁寧な指揮と見事なピアノの弾き分けが視覚的にも面白く、興味はつきないものだった。コントラバスを舞台に向かって左奥に配置するのは、流行りだろうか。
第21番のコンチェルトになって、トランペットやティンパニが加わり、いっそう華やかさが増したオーケストラに向かい、少しもテンポを緩めることなく音楽を進めて行く。ピアノと各独奏者の響き合いがとても見事で、木管の奏者は特にピアノと溶け合うことに心から喜びを感じている様子がよくわかる。よくどこを弾いているかわからなくならないもんだ。伴奏が終わってピアノ独奏に入る部分や、随所に登場する独奏部分(カデンツァ)との交錯。一度限りの音楽にあって、このようなライブならではの緊張感と、それを進めて行くプロの演奏家の素晴らしさは、音楽を聞く喜びを再認識させてくれた。
ただひとつだけ、どうも音楽にこなれていない面があるとすれば、それは思うに、この組み合わせによる演奏が、普段から定常的に行われいるものではないことからくる一種の緊張感の結果なのかも知れないと思う。弾き振りということもあるかも知れない。つまり音楽は見事なのだけれども、聞きなれたフレーズのちょっとした間合いに、揺れる心の動きを反映させるだけの余裕がないのである。モーツァルト、特にK467のような作品は、聞く側にその思いが強い。例えば第1楽章の展開部など、ちょっと一瞬静かになって、心の奥底にそこはかとなく現れる微妙な影を感じたい。だから、ここはもっと表情がついていればなあ、と残念に思うところがしばしばあった。
弾き振りのチャレンジングなライブ感と、それに見事にこたえるオーケストラからは、今や我が国でも見事なモーツァルトの演奏が可能であることを十分に示していた。だからこそ、そこに今一歩の充実感を求めたいと思う。とはいえ、第2楽章のアンダンテの美しさを生で聞くことのできる幸せを感じるには充分であったし、第3楽章の、決して乱れることのないタッチと掛け合いの素晴らしさは、興奮さえ覚えるものだった。演奏をさらさらと前に進め、感情を入れずにきれいに聞こえる演奏は、90年代に流行ったものだった。そういうスタイルは、もしかしたら少し古くなってきているのかも知れない。いまではフレーズに強弱をつけつつも、精密な緊張感は維持するようなスタイルに変わってきている。つまり「音楽性」が再認識されつつあると思うのだ。
3連休最終日の快晴の休日。お昼前のひとときに音楽を聞く幸せをかみしめながら、私は鎌倉へと向かった。
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