2019年1月21日月曜日

NHK交響楽団2019横浜定期演奏会(2019年1月19日、横浜みなとみらいホール)

美味しいご馳走を食べた後は、しばらく食事をしたくないくらいに満ち足りた気分になる。そんなコンサートだった。

NHK交響楽団の定期公演は、それぞれ二日間、同じプログラムの3つのシリーズ(A,B,C)から成っているが、そのうちの一つがサントリーホールである。 サントリーホールは本拠地NHKホールに比べると座席数が少ないから、サントリー定期(B定期)は毎回ほぼ定期会員で満席である。たとえ座席が残っていても、隅っこの席がわずかに売り出されるだけだ。

私が最も注目するロシア生まれの指揮者、トゥガン・ソヒエフはここ数年、毎年定期公演に呼ばれているが、今回の公演プログラムを見て、私は残念な気持ちでならなかった。こんなに素敵なプログラムなのに、B定期はチケットが取れず、定期会員でない自分は行きたくても行けないと確信したからだ。ソヒエフの十八番であるリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」、その曲の前にフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」とブリテンのシンプル・シンフォニー。これほどこの指揮者の魅力を引き出したプログラムはないと思った。

だが良く調べてみると、NHK交響楽団には年1回の横浜公演が冬に開催されており、今回はその同じプログラムがみなとみらいホールで開催される。これは3年前に同じホールで聞いた、やはりソヒエフの「白鳥の湖」と同じパターンである。何と嬉しいことだろうか。私はチケットの売り出し日(確か夏だった)にオンラインで早速購入。もちろんS席、1階席のど真ん中を押さえた。半年も先の公演のチケットを買うのは、私としては極めて稀なことである。でも早々に売り切れることは目に見えている。売り切れなくても、いい席は瞬く間に無くなってしまうと思った。

意外なことに、この危惧は完全に外れた。当日券も大量に残り、1階席の前方でも空席が目立つ。そればかりか、あのサントリー・ホールでさえ直前までチケットが残っていたのだ!何ということか、これほど魅力的なプログラムなのに!ソヒエフはそんなに人気がなかったのか?私は同行した妻と共にあっけにとられ、もし今日のコンサートが期待外れだったらどうしようと心配した。だれしも空席の目立つ会場で演奏したくはないだろう、などと要らぬ不安まで頭をよぎる。

実際には熱心に足を運ぶ聴衆には、手を抜くことなどプロの演奏家にあるわけがない。いや横浜の聴衆は、そのことを気にしたのか、いつもの醒めたNHKホールの聴衆とは違い、楽団員が登場するだけで拍手をするという行為に打って出た。まろさんことコンサートマスターの篠崎氏は、本日重要なソロを演奏することもあってか、丁重に観客に向かって挨拶をした。東京から半時間とかからない横浜でも、観客の雰囲気は随分違うものだ。

そういうわけで公演前のくだらない不安は、まったくの杞憂に終わった。最初の曲、フォーレの冒頭が丁寧に演奏され始めたとき、その少し押さえられた音量の、静かでそれでいて艶のある音色に、一気に引き込まれたからだ。音響の理想的なホール、これ以上望めない位置を差し引いても、聞きなれたN響からこんなにふくよかで、生き生きとした呼吸が聞こえるこてきた経験はない。それは魔法のように、会場を満たす。

ほのかに陰を帯びたフランス音楽は、管楽器が弦楽器に溶け合い、ムード音楽のようである。指揮棒を持たないソヒエフはオーソドックスながら、細部にまで実に念入りに表情をつける。各楽器の弾き始めるタイミングと強さが手の動きに完璧に呼応するのは、もはやN響と指揮者の相性が最高の地点に達しているからだ。うっとりと聞き惚れているうちに有名な「シシリエンヌ」を迎える。ハープの音をバックにフルートが物憂い旋律を奏でる時、そのたっぷりと歌われるメロディーが、時間が止まったように南欧の情景を描き出すことを大いに好ましく思った。今日のコンサートは、これは素晴らしいもにになると確信したのである。

前半の頂点は、弦楽器のみで演奏されるブリテンの「シンプル・シンフォニー」第3楽章にあったのではないだろうか。この曲は「感傷的なサラバンド」という副題がついている。弦楽器は少しビブラートを押さえたように厚みを減らし、そのことが私たちを大陸から隔てられたブリテン島へと誘う。イギリス音楽の特徴を、ソヒエフとN響は伝えてやまない。どこか日本のメロディーとも通じ合うような懐かしい旋律に耳を傾けていると、なぜか心からこみ上げてくるものがあった。それこそ音楽の魔術とでもいうものだった。愛おしく懐かしいようなフレーズが2回聞かれる。この響きは、日本のオーケストラの音楽だ。

ここにブリテンが自ら指揮した演奏のCDがあるが、それでもこんなに表情豊かではない。音楽的にはむしろN響との演奏の方が、より美しいと思う。第2楽章のピチカートでの、団員の楽しそうな表情は、このコンビが人間的な面でも共感しあえる関係にあることを雄弁に示していた。私はブリテンの音楽をひところ良く聞いていたが、その時にブリテンが若干21歳の時に作曲した作品が、これほどにまで表情豊かであることに気付かなかった。大満足のうちに、前半のプログラムが終了した。朝から快晴の横浜の、三日月形をしたホテルなどを眺めながら、コーヒーを飲む。

今日のコンサートの特徴を挙げるとすれば、ひとつはフランス、イギリス、ロシアと続くヨーロッパの国々の音楽風景をどう表現し分けるか、と言う点。もうひとつは、単独または複数の楽器が重なって音を出すときに聞こえる、様々な音の表情の変化を楽しむ、という点である。「シェエラザード」ほどこれにうってつけの曲はないだろう。しかも、あの「アラビアンナイト(千夜一夜物語)」を下地としているこの曲は、同時にオリエントの雰囲気を持ち合わせ、物語の進行に合わせて表現される様々な情景描写を、心ゆくまで味わわせてくれる名曲である。

レスピーギが師事したというリムスキー=コルサコフは、サンクトペテルブルク音楽院の教授であった。そして指揮者のソヒエフは北オセチア生まれながら、ここの音楽院で学んでいる。師弟の関係にあるソヒエフが、リムスキー=コルサコフの曲を得意とするのは、当然と言えば当然だと言える。けれども、いかに前評判が高くとも、実際に聞いてみるまではやはりわからないものである。

ここに2枚の「シェエラザード」のCDがある。ひとつは亡命後にコンセルトヘボウ管弦楽団を振ってセンセーショナルな西側デビューを果たしたキリル・コンドラシンの定評ある名演、もうひとつは現在のロシア音楽の第一人者ワレリー・ゲルギレフが、キーロフ歌劇場のオーケストラを指揮した演奏。両者は大いに異なる演奏だが、ゲルギレフのものは現代的ですこぶる速く、それでいて歌うところは歌っている。恐ろしく技巧的で、野心的でもある。それに比べるとコンドラシンの演奏は、奇を衒わず正攻法で、つまらないくらいにオーソドックスである。実際私は長年、評判よりもつまらない演奏だと思っていた。

だがソヒエフの演奏はコンドラシンに近い。何も細工をしていないように思えるのだが、一音一音に魂が込められ、フレーズの息は長い。これではオーケストラが壊れてしまうのではないかと心配なほど。それはソロ・ヴァイオリンのまろさんにも言える。両者は時折、顔と顔を接近させてコンタクトを取りながら、機知に富みつつロマンチックな旋律を歌いあげてゆく。ソヒエフが右手の指を折ると、奥からハープがヴァイオリンに重なる。

上手いソロはヴァイオリンだけでない。特にクラリネットとファゴット。そしてチェロ。中音域の良さがN響の特徴のひとつだが、それはこの曲で如何なく発揮されたと言って良い。 左右の分離、各楽器の生々しさ、あるときはピチカートで、あるときは打楽器を伴って、音のパノラマは、散りばめられた星々のようにキラキラと輝き、音のキャンバスを埋めてゆく。色彩感に溢れた音のパレットの中から、千変万化する表情を手慣れた技術で描いてゆくその様は、聞いている方がうっとりさせられる。余裕の表現はまた、けれんみたっぷりの緊張感とも、才気溢れる若者の野心とも、無縁である。職人的であると言うべきか。

ため息さえも出ないようなたっぷりとした時間に身を浸し、消えゆくようにヴァイオリンが主題を弾き終えたとき、聴衆の誰一人として拍手をするものはいなかった。目を閉じて味わう静寂さえもが、音楽の延長であるように感じられた。またとない時間の持続。やがて沸き起こる拍手とブラボー。何度も呼び戻される指揮者と楽団の嬉しそうな表情。それらのすべてが、このコンサートのすべてを物語っていた。

翌日大阪で、同じコンサートがあるとわかったとき、私は関西の実家に電話をかけ、両親にこのコンサートのチケットを誕生日プレゼントとして贈った。信じられないことにチケットはまだ有り余っており、両親は私たちと同じように1階の中央でこの演奏を楽しんだようだ。N響のもっとも上手い時の演奏を両親に贈った私たちはまた、大変満ち足りた気持ちであった。そして今後、今日聞いた3つの作品を聞くときは、ずっとこの日の演奏を思い出すであろう。

CDで聞くほうがいいと思う演奏が多い中で、今日ほど実演の音楽が心に迫る演奏に出会うことはない。だからこそ、この特別な体験を持つ事ができたことに、心から喜びたい気持ちを噛みしめながら家路についた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...