「ドイツ・レクイエム」は通常のレクイエムとは異なり、ブラームスが自ら選んだテキストにより演奏会のための作品として作曲されている。簡単に言えば、ミサ曲ではない。そしてそのテキストはドイツ語で書かれている。ドイツ語が書かれたひとつのレクイエム、というのが正しい。これには日本語にはない冠詞と定冠詞の違いを理解する必要がある。「ドイツ・レクイエム」の正式名称は「Ein Deutsches Requiem」(英語にするとA German Requiem)となっている。若きブラームスの、いわば一つの試みとも言える作品だが、敬愛するシューマンにも「レクイエム」がある。こちらは定型的なラテン語の歌詞に基づいている。
「ドイツ・レクイエム」は全部で7つの部分から成っている。例の如くここに7曲の冒頭の歌詞を列挙するが、ドイツ語の歌詞は(当然だが)同じでも、訳す日本語が文語調か現代口語調かで随分イメージが異なる。文語調の方がクラシックらしく好きな人もいるが、意味が伝わりにくい。あちこちの書物を参考に、括弧で口語調を付記するが、あまりくだけると安っぽくなる。
- 第1曲 Selig sind, die da Leid tragen 「幸いなるかな、悲しみを抱くものは(悲しんでいる人は幸いである)」
- 第2曲 Denn alles Fleisch, es ist wie Gras 「肉はみな、草のごとく(人はみな草のようなものだ)」
- 第3曲 Herr, lehre doch mich「主よ、知らしめたまえ(主よ、私に教えて下さい)」
- 第4曲 Wie lieblich sind Deine Wohnungen, Herr Zebaoth! 「いかに愛すべきかな、汝のいますところは(あなたの住まいは、何と麗しいことでしょう)、万軍の主よ」
- 第5曲 Ihr habt nun Traurigkeit 「汝らも今は憂いあり(あなた方は、今は悲しんでいます)」
- 第6曲 Denn wir haben hie keine bleibende Statt 「われらここには、とこしえの地なくして(私たちの地上には、栄え続けることのできる街はない)」
- 第7曲 Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben 「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは(これからのち、主のもとで死を迎える人たちは幸いである)」
第1曲の静かな、安らぎに満ちた音楽は、いい合唱で聞くと心に染み渡ってゆく。カラヤンの演奏など、その典型だと思う。かなりゆっくりと始れられる音楽は10分以上続くが、これが第2曲に入って、よりいっそう深みを増してゆく。この効果は、第2曲目に第1曲目になかったヴァイオリンが入るからである。一方、第1曲には最後にハープも入り、その世離れした幸福感は第7曲のコーダでも再現されるというからくりである。
第3曲になるとバリトンが歌いだすが、曲はゆっくりしたままである。同じようなテンポの続く感じは、ハイドンの「十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉」を思い出すが、「ドイツ・レクイエム」ではこの第3曲の後半にフーガがあって盛り上がり、非常に聞きごたえがある。
第4曲は3拍子の比較的短い曲で、続く第5曲も短いが、短いと言っても5分以上はあり、それぞれ合唱は休むことがない。なおソプラノ独唱が入るのはこの第5曲のみである。慰めのひととき。
さて、全体のクライマックスで最大の聞きどころは第6曲である。バリトン・ソロが再び登場し、「最後の審判」(怒りの日)を歌い上げる。途中から凄まじくドラマチックな展開は、手に汗を握るシーンとなる。やがて合唱が頂点に達したところで途切れると、女声合唱のみが残り、拍子も変わって一転、天国的な賛歌への移る様は、見事と言うほかはない。そして最終曲になると永遠の安らぎが訪れる。
この曲は、いい演奏で聞かないと真価がわからない側面があるように思う。だから演奏家を選ぶ。最初に接したのは、コリン・デイヴィスがバイエルン放送交響楽団、合唱団を指揮した一枚で、この演奏はほとんど顧みられることがないが、今でも抜群の名演だと思っている。確かにカラヤンのような演奏も非常に美しく洗練されていていいが、もっと若々しいブラームスの、武骨でエネルギーに満ちた感じを求めたくなる。しかも録音が秀逸で、ソリストの声をよく拾っており、合唱とオーケストラががっぷりと噛み合う、迫力に満ちたハーモニーが全編を貫く。
第2曲の中盤以降などは、集中力を維持しつつ次第に重力を増していく様が、レクイエムの厳粛で重々しい特徴を一層際立たせている。ここの身震いするような表現は、この演奏の真骨頂である。第4曲と第5曲の、優しくて清らかなメロディーも、この演奏で聞くとしっかりメリハリがあって、聞きごたえがある。この演奏には、「ドイツ・レクイエム」に求めたいものがほぼ全て備わっている。いい演奏に思えても、次第に単調な表現に陥ったりすることがないように思う。ドイツで活躍したデイヴィスの面目躍如たる名演である。
ゴツゴツした演奏の代表格としては、あのクレンペラーの演奏も忘れ難いが、合唱の美しさと、ブラームスらしいエネルギーを兼ね備えた一枚としては、ジュリーニの演奏が素晴らしい。ここでウィーン・フィルは相当な熱の入れようで、ジュリーニ最晩年の名演に数えられるだろう。
近年になってガーディナーのようなオリジナル楽器版も登場し、アーノンクールも加わって選択肢が増えたが、最近の演奏の中ではプレヴィンがロンドン交響楽団を指揮したライヴ盤が、非常に美しい名演で迫力もあり録音も素晴らしいと思った。一方、世間の評価に目を転じれば、アバドがベルリン・フィルをウィーン学友協会に率いて演奏した1997年(ブラームス没後100周年記念)のライブ映像が、迫真の大名演だそうである。これは録音のみの媒体としては売られていない(と思われる)ので、なかなか触れることはできない(注)。
(注)アバドのウィーンでのライブ映像は、ベルリン・フィルの動画サイト「Digital Concert Hall」で見ることができる。またDVDとしてEuroArtsから発売されている。
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