2019年7月18日木曜日

オッフェンバック(ロザンタール編):パリの喜び(アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団)

初めて買ってもらったLPレコードは、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団のクラシック名曲集(2枚組)だった。1枚目にはスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲やロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲など威勢のいいポピュラー曲が、2枚目にはタイースの「瞑想曲」やチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」など、アダージョ系の落ち着いた曲が入れられていた。

私はこのLPを、それこそ毎日すり減るほど聞きた。特に1枚目は、私にとって後に1000枚を超えるコレクションの下地を作ったと言っていい。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より「剣の舞」、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」など、旋律を覚えては家族に自慢をしていたようだ。まだ小学生になったばかりの頃で、自宅にあった貧弱なステレオ装置にレコードをかけると音が鳴る、その操作自体も楽しかった。

このLPレコードの演奏には志鳥栄八郎の解説が付けられていて、それによればボストン・ポップスは、あのボストン交響楽団の首席奏者を除いたメンバーで構成されているため、演奏水準が非常に高く、そのようなプロ中のプロが、かくもポピュラーな名曲を日常的に演奏しては米国の子供たちを喜ばせている、というようなことが書いてあったように思う。丁度、合衆国建国200周年の頃のことで、古き良きアメリカの伝統が少しは残っていたような時代だった。もっとも当時はベトナム戦争の後遺症に、アメリカ中が苦しんでいたのだが。

だからアーサー・フィードラーと聞くと、私は非常に懐かしい気分になる。私にとって、クラシック音楽の原体験だからである。そのフィードラーが、オッフェンバックの様々な曲から、有名なメロディーをつなぎ合わせてバレエ用に編曲された「パリの喜び」なる曲を演奏していて、その演奏がすこぶる名演だと知った時、躊躇なくそのCDを買い求めた。LIVING STEREOと名付けられたそのシリーズの演奏は、1950年代にはすでに存在していた最初期のステレオ録音で、そのヴィヴィッドな演奏が意外なほどに鮮明に記録されている。

この「パリの喜び」も1951年の演奏だが、そうとは信じられないようなクリアな音色である。しかもここでのボストン・ポップスの演奏は、技術的にも信じられないような満点の演奏をしている。早く、正確で、さらには生き生きと。勢いのある「古き良きアメリカ」のモータリゼーション全盛の時代を思い起こさせる、と書くと陳腐すぎる表現だが、そういう形容詞しか思い出せない。まるで機械のように正確である。このLIVING STEREOシリーズには、この他にもミュンシュやハイフェッツの演奏など、同様な傾向の演奏が多く、その後暫く低迷するアメリカのオーケストラの黄金時代を記録した遺産である。

だから、これがオッフェンバックの喜歌劇から抜粋された享楽的なパリのムードを醸し出しているかどうか、などといったことにはさほど関係がない。むしろ早送りで古い映画を見ているような雰囲気がある。このようなチャラけた音楽も、こんなに真面目に、鮮烈に演奏されると、くだけた気持ちもどこかへ行ってしまう。目が覚めるようなカンカンが、耳元から飛び出してくる。

もっとフランスらしいオーセンティックな演奏がいいと思う時には、編曲者であるロザンタールがモンテカルロのオーケストラを指揮した自作自演盤があり、こちらの方がオペレッタ感満載の洒落た演奏である。カラヤン指揮ベルリン・フィルもこの曲を指揮しており、さらにはパウル・シュトラウス指揮ベルリン・ドイツ管弦楽団の定評ある古い演奏もある。曲が実に楽しいので、どういう演奏で聞いても楽しめる。

なので、このディスクはフィードラーの、そのトップ・レベルの演奏を楽しむものだ。この演奏で踊ることは、もはやできない。続きにはロッシーニが作曲し、レスピーギが編曲した「風変わりな店」が収録されている。こちらも同様の名演だが、完璧すぎてもはや「ヤバい」演奏である。

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