2019年7月31日水曜日

バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」(佐渡裕指揮兵庫県芸術文化センター管弦楽団、他)

ミュージカルはライヴで見るに限る。比較的ダンスに重点が置かれているからだ。オペラにおける歌は、最重要の要素なので、歌が聞けないとどれほど演出や踊りが上手くても、決定的に失望に終わる。CDでオペラを聞くことができるのも、音楽的な観点からだけで十分にその良さが満喫できるからだろう。だがミュージカルはそうはいかない。ミュージカルをCDで聞いても、ぬるいジュースのような感じがする。

だがもし、オペラ歌手が歌い、ダンスはそれを得意とする人々が中心になって舞台を彩る。オーケストラはワーグナーやブルックナーも演奏できるシンフォニー・オーケストラが担当するとしたら…。こんな夢のような公演が、この夏佐渡裕によってプロデュースされ、関西と東京で上演された。出し物は佐渡の師匠で、アメリカの最も偉大な作曲家レナード・バーンスタインの作品である。ミュージカル「オン・ザ・タウン」は、後に「ウェストサイド・ストーリー」も手掛けるバーンスタインの最初のミュージカルで、1944年末にニューヨークで初演された。まだ第二次世界大戦中のことである。

この作品は「踊る紐育」として映画化された。だがその際に、ほとんどの音楽は差し替えられたようだ。バーンスタインの音楽が前提的すぎて、保守的な映画の客層には受け入れられないと判断されたためだと言う。それはそれで頷けるような話である。なぜならこの音楽は今聞いてもその魅力を失っていない。ミュージカルとしての古めかしさはその通りだが、音楽としての独自性はバーンスタインの天性のもので、今もって十分聞き手を満足させる。

バーンスタインは自ら作曲し、一世を風靡したミュージカル作品を、晩年にはクラシック音楽として残すことに懸命だった。「ウェストサイド・ストーリー」には、カレーラスを始めとするオペラ歌手を起用してセッション録音したのは有名だ。そのメイキング風景は映像化された。バーンスタインのミュージカル作品は、音楽のみでもきちんと歌えば、後世に名を残すほどの輝きを放つと信じていたのだろう。佐渡裕がその遺志を受け継ぎ、このたび取り上げた作品が「オン・ザ・タウン」だった。

この上演へのこだわりは、配布されたプログラム・ノートを読めばよくわかる。ロンドンでオーディションを行い、書類選考で1000人、面接にも200人が残ったらしい。結果的に下記に示す歌手と役者が起用されることになった。みなオペラも歌える歌手だが、同時に踊ることも演技することも十分にこなす実力派である。もちろん英語を母国語とする人たち。さらに演出はアントニー・マクドナルドが担当した。彼は兵庫県芸術文化センターでの過去の催しである「魔笛」(モーツァルト)や「夏の夜の夢」(ブリテン)でも演出を担当し、佐渡の信頼が厚い演出家とのことである。

オーケストラはもちろん兵庫県芸術文化センター管弦楽団である。世界各地からオーディションにより集められたプレイヤーからなる臨時編成のオーケストラだが、実力派の若手が多数いるようで、その水準は高そうに思われる。定期演奏会も開いており、そのチケットを両親にプレゼントしたりしているので、自分も一度は聞いておきたいという気持ちも動いた。本公演は、毎年夏のこの時期に催されるオペラ・プロダクションの一環で、過去には様々な作品が上演されてきたが、今年は東京でも上演することになったようだ。西宮で8回の公演を行ったあとの、上京しての4公演のうちの最初のものを東京文化会館に見に出かけた。ミュージカルはできるだけ前の方で見たい。そこで一階前方のS席を1万5千円もの大金を支払って購入したのは、1週間ほど前のことだった。まだ切符がかなり残っていた。当日券も買えた。

【キャスト】
・ゲイビー:チャールズ・ライス(バリトン)
・チップ:アレックス・オッターバーン(バリトン)
・オジー:ダン・シェルヴィ(テノール)
・アイヴィ(地下鉄の広告モデル):ケイティ・ディーコン(ダンサー)
・ヒルディ(タクシー運転手):ジェシカ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
・クレア(文化人類学者):イーファ・ミスケリー(ソプラノ)
・ピトキン判事(クレアの婚約者):スティーヴン・リチャードソン(バス)
・マダム・ディリー(アイヴィの声楽教師):ヒラリー・サマーズ(アルト)
・ルーシー・シュミーラー(ヒルディのルームメイト):アンナ・デニス(ソプラノ)
・ダイアナ・ドリーム(歌手)他:フランソワ・テストリー
ほか。

会場に入ると幕に大きくタイトルが表示され、本場のミュージカルの雰囲気さながらである。やがてオーケストラ・ピットに登場した佐渡は軽く頭を下げ、おもむろに幕が開くと、そこはブルックリン。以降、本作品にはニューヨークの各地が次々と登場する。3人の水兵がわずか24時間の休暇を与えられ、初めてニューヨークの街へと繰り出すシーンである。「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が3人の水兵によって歌われる。

オペラと違い音楽が速く、台詞も多いのが難点である。字幕を追っていると舞台を見損なってしまう。まるで学芸会のセットのようだが、地下鉄の車内が登場。ここで女性に写ったあるポスターを見つける。その女性は「ミス改札口(turnstile)」と字幕では表示されていたが、これは回転式の出札口のことで、今でもニューヨークの地下鉄にはあると思うが、電気式ではない簡単なやつである。その「ミス改札口」に今年選ばれた女性を、水兵たちがそれぞれ分れて探しにいくところから物語は始まる。何とも他愛のないストリーだが、楽天的な昔のニューヨークの活気も伝わり、古い時代の気分を感じさせてくれる。

ニューヨーク賛歌とも言える作品には、私もかの地で1年余りを過ごした者として、非常に懐かしい気分にさせられた。初めてニューヨークに来た時の高揚感と、そこを歩き出した時の緊張感。ここを訪れた人はみな同じ気分を味わうに違いない。人種のるつぼ、とはよく使われる形容詞だが、そこは40年代ということもあり、このミュージカルに有色人種は登場しない。

音楽は残念なことに拡声器で増幅されている。実際のミュージカル上演でもよくあるが、歌唱のみならずオーケストラの音までがスピーカーを通じて聞こえてくると、ちょっと興醒めである。東京文化会館という、ミュージカルには広すぎる空間を考慮したためだろう。そして舞台がやや小さく見えてしまっている。このことが非常に残念だった。だが欠点は最初に書いておこう。これだけなのだから。

3人の水兵は、それぞれ別の女性に出会う。まずチップはタクシー運転手のヒルディと、オジーは自然史博物館で働くクレアと、そしてゲイビーは「ミス改札口」に選ばれた当人の歌手アイヴィと。皆が個性的なら、その周りにいてそれぞれのカップルを邪魔する人たちもまた多分に個性的だ。すなわち、チップが連れてこられたヒルディの部屋には、風邪をこじらせてくしゃみを繰り返すルームメート(ルーシー・シュミーラー)が、オジーが出会ったクレアには、すでに婚約者であるピトキン判事がいて、婚約の契りを交わすというまさにその日ということになっており、さらに「ミス改札口」のアイヴィには、音楽教師のマダム・デイリーがアルコールに溺れながら「性愛と芸術は両立しない」などと説いて回る。

3人は同じ場所で落ち合うことにしていたので、まずはタイムス・スクエアのナイトクラブのシーンとなる(ここからが第2幕)。舞台は次々と変わり、コンガカバーナというキューバ系のダンスホール、そしてまた別のクラブへ。ここの音楽は非常に楽しい。バーンスタインの乗りに乗った音楽が、これでもかこれでもかと続くのだが、実際にはその間に差しはさまれる芝居の台詞が、どこかの新喜劇さながらのドタバタ劇であることも忘れ難い。

3組のカップルは最後に、眠ることのない街の地下鉄に乗ってコニー・アイランドへと出かけてゆく。深夜のコニー・アイランドではトルコ風のダンスまで登場。するとそこに警官が現れて、お開きに。24時間があっという間に過ぎ去り、水兵たちは次の休暇組と交代して戦艦へと帰ってゆく。「ニューヨーク・ニューヨーク」と再び歌われる中、幕が閉じる。

「ニューヨーク・ニューヨーク」も有名だが、私はヒルディがアパートで歌う「I Can Cook Too」が好きだ。ティルソン=トーマスが指揮したロンドン交響楽団の一枚を私は昔から持っていて、ここの歌は良く聞いていた。けれども第2幕のコンガカバーナのシーンなど、実演で見なければその楽しさも伝わって来ない、ということが今回よくわかった。そんな中で、「カーネギーホールのパヴァーヌ」(第1幕)はコミカルで楽しいと思ったし、ピトキン判事のアリアとも言うべき「I Understand」は、唯一バスの歌が魅力的で、実際、かなりのブラボーが飛び出した。

オーケストラの中には結構な数のエキストラが世界中から集まっていたのも見逃せない。まずコンサート・マスターはベルリン・ドイツ交響楽団のコンサート・マスター、ベルンハルト・ハルトークで、この他にもペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィル)などゲスト・プレイヤーやスペシャル・プレイヤーが名を連ねている。もちろんトランペットやドラムスなど、エクストラの奏者も数多く、その水準はミュージカル作品としては異例の高さにあると言って良いだろう。

私も1年余りのニューヨーク滞在中に、十数作品の上演中の出し物を見たと思う。だがそのどれをとっても今回のような水準には達していない。それは今回の公演が一時的なプロダクションだったから可能だったとも言える。この公演は、ミュージカル作品がオペラと同等の上演が可能であることを印象付けた。

そしてやはり、ニューヨーク。私の40丁目のアパートからは、空にそびえるエンパイアステートビルが正面に見えていた。その先端が夕空に映えて一層幻想的なものとなる(写真はその当時のもの)。私は毎晩ソファに横たわって、その光景を飽きることもなく眺めていた。その懐かしい日々と、ニューヨークの各地の思い出は、私の20代の心の財産である。今の妻に出会ったのもニューヨークだった。だからこの作品は、まさに私の若い頃の気分を(半世紀の開きがあるとはいえ)燦然と蘇らせてくれた。そして最終公演の日のチケットを妻に贈ったのは当然の成り行きだった。妻も非常に喜んでくれた。ニューヨークの魅力は、時代が変わっても生き続ける。このミュージカルが、そうであるように。

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