2020年1月18日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第717回定期演奏会(2020年1月17日サントリーホール、指揮:小林研一郎)

ここ数年は、冬に東北旅行を楽しんでいる。今年もいま、仙台へ向かう列車の中で昨日のコンサートのことを書こうとしている。朝7時過ぎに東京駅を出発した新幹線はやぶさは、東海道新幹線のぞみなどと違い、乗客も少ない。今日は3人席を一人で占有することになった。大宮を出ると仙台までは止まらないから、この状態はずっと続く。持参したパソコンの電源を入れ、みぞれ交じりの冷たい雨が降る車窓風景を眺めながら北を目指す。

小林研一郎は福島県いわきの出身で、温厚な人柄が音楽にも表れる、好感度の高い指揮者である。その真面目な音楽作りは厳しいことでも有名で、パンフレットには「炎の〇〇」などと印刷され、有名曲をひたすら情熱的に指揮をする写真が掲載されてはいるが、その中身は堅実で破たんすることはない。熱い指揮は人気もあるらしく、桂冠名誉指揮者をつとめる日フィルは「コバケン・ワールド」と銘打ったシリーズの演奏会を開いているくらいだ。だがこのたびの1月17日のコンサートは、それとは異なり定期演奏会だった。演目はコバケンの十八番、スメタナの「わが祖国」で、彼はあの「プラハの春」オープニングコンサートを指揮した初めての非チェコ人として歴史に残る成果をあげたことはよく知られている。

コバケンが「わが祖国」を指揮することを知って聞きたくなった。過去3度目となるコバケンの演奏会のチケットを買うため、かなり前から予約して席を押さえたが、いざサントリーホールに出かけてみると拍子抜けがするくらいに空席が目立つ。今回はひとりでもあり、指揮者の見える右手後方のB席からオーケストラを見下ろす。前から2列目なので、まるでテレビ中継を見ているような視線の位置である。

「わが祖国」は「高い城(ヴィシェフラド)」「モルダウ(ヴルタヴァ)」「シャルカ」「ボヘミアの森と草原から」「タボール」「ブラーニク」の6つの交響詩から成る作品で、コンサートでは3曲目が終わった時点で休憩が入る。「モルダウ」が飛びぬけて有名だが、実際には後半になるほど音楽は充実し、演奏は熱を帯びてくる。私は特に「ボヘミアの森と草原から」が好きである。「高い城」や「モルダウ」あたりはまあ序奏といった感じがする演奏も多い。だがこの日の演奏は、さすがというか最初から熱のこもったものだった。

「高い城」の冒頭で2台のハープが妖精のメロディーを奏でると、その響きがサントリーホールにこだました。いつも聞くNHKホールではこういう響きにはならない。やはりいいホールで聞くのがいいな、などと感動していたが「モルダウ」になると流れるような豊穣なメロディーと、沸き立つようなリズム、静謐で神秘的な森の妖精に聞き惚れていくうち、あっという間に「シャルカ」になった。ここからボヘミアへの旅行に出かけるような気分になってくる。そういえば列車はいつのまにか那須塩原を通過した。この「シャルカ」ではクラリネットのソロが聞きものだが、今日の日フィルのクラリネットは、空を飛ぶひばりのように歌い、静まり返った聴衆の中に、丸でそこにだけスポットライトが当たっているかのようだった。

小林研一郎は、休憩前の拍手でもオーケストラをパートごとに立たせるなど、観客に応えていたが、休憩を挟んで登場する際にはオーケストラに混じって登場するなど、長年このオーケストラと一体であることを主張しているようなシーンもあった。チューニングの間も指揮台の手前で音色に耳を澄ませ、やがて「ボヘミアの森」が始めると、その音楽は厚みを持って会場に響き渡った。オーケストラを聞くことの楽しみが、満喫できる演奏会だった。スメタナのフルートとオーボエ、そしてホルンといった楽器が溶け合う様は、中欧の風景をいつも思い出させてくれる。今年はベートーヴェンの生誕250周年だが、スメタナもまた耳の不自由な作曲家だったことを思い出す。彼の聞いた心の音は、実際の音となって我々に100年以上を経て届いている!

「タボール」でのおどろおどろしいメロディーは緊張に満ち、迫力を維持したまま続けて「ブラーニク」に移る。弦楽器はそれ自体がひとつの楽器となったように波を打ち、そうかと思うと沸き立つような民族調の調べが顔を覗かせる。そういう音楽に身を浸すうちコーダを迎えた。全体に安心して聞いていられるコンサートだったが、その音楽にはいつも指揮者の暖かい心情が素直に表現されていたようだ。客席もおそらく同じような暖かさを感じたことだろう。タクトを降ろして一瞬の静寂が訪れ、その後に大きなブラボーが飛んだ。ほぼすべての楽団員を紹介しつつ立たせていくコバケンは、パートを声を出して指し示していた。今年最初の定期演奏会は、コバケンの年頭の挨拶も出て盛況のうちに幕を閉じた。炎の指揮者も、情熱が表に出るというよりは円熟して手慣れた風貌だった。オーケストラとの長年の信頼関係があってこそ、このような演奏ができるのだろうと思った。それから若いプレイヤーが増えて来た日フィルも、過去に比べると上手くなったと思った。個々のプレイヤーが歌心をさらに持ち、楽器が安っぽくなければ、第一級の演奏が可能なオーケストラという気がする。

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