学生の頃、叔母に会いに行ったときゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽が、耳から離れないと言われた。叔母も特にゲームに興じるような人ではない。それなのに、なぜか叔母は私にそう言った。私もなぜか「ドラゴンクエスト」の音楽のさわりを聞いて少し知っていたから、叔母に「この音楽はすぎやまこういちが作曲したのだ」と答えた。
それまでのコンピュータが発する音は、いわゆるビープ音の類、つまり必要があって何かを(だいたい不吉なことが多い)知らせるためのもので、音階で言えばAの音、しかも正弦波である。だがこの頃からコンピュータは、単なる事務機から娯楽の分野へと領域を広げ、アップル社のマッキントッシュなどは、起動時に鳴る和音で利用者をあっと楽しませるような「遊び心」がふんだんに搭載されていた。コンピュータゲームにも音楽が必要だとすぎやまは考えた。そこで耳に心地よい音楽の作曲を思い立ったのである。
叔母は団塊の世代である。彼女は「亜麻色の髪の乙女」や「学生街の喫茶店」のような歌謡曲が、すぎやまの作曲であることを知っており、なるほどそうなんだ、と大いに頷いたのを記憶している。確かにすぎやまの音楽は、いつまでも聞いていたくなるような音楽、たとえばイージー・リスニングなどと呼ばれた一種のポップス・オーケストラによるムード音楽(FM番組「ジェットストリーム」で聞ける音楽である)のようなものとよく似ているだろう。すぎやまが後に編曲し、自らが指揮して演奏した交響組曲などを聞いてみると、そのような感じがよくわかる。人類が音楽を様々な局面で使用するようになってから1世紀。映画やテレビ番組、それにデパートや広告などで使用される音楽の種類が、またひとつ増えた。それがゲーム音楽である。
だが私がここに書こうとしているのは、彼の代表作であるゲーム音楽の類のことではない。私が生まれて初めて聞いた音楽(少なくとも記憶する限りにおいて、自ら意識して聞いた音楽で、その曲名や旋律が明確なもの)は、当時大流行りしていたテレビ番組「ウルトラマン」シリーズの最新作「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だった。当時幼稚園児だった私に、祖母が欲しいものを買ってやろうと言ってくれた。私は祖母と阪急北千里駅にあった小さなレコード屋に行き、一枚のドーナツ盤レコードを買って欲しいと言った。確か500円くらいだったと思う。バスの初乗りが30円の時代。1972年頃ではないかと思う。そのレコードに収録されていた「帰ってきたウルトラマン」の主題歌を作曲したのが「すぎやまこういち」だったことを覚えているのは、その名前がひらがなで書かれており、幼稚園児の私でも読めたからであろう。
そのすぎやまこういちが、先日亡くなった。もっとも私は彼の晩年の、特に国家主義的な政治活動に賛同できなかったし、ゲーム音楽に興味もなく、従って彼の作品を良く知っているわけでもない。だがこの「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だけは、私の心に残る「最初の音楽」、つまりは音楽体験の原点なのである。そしてその主題歌は、今でも口ずさむことができるほど歌詞もメロディーも頭から離れたことがない。ウルトラマン・シリーズは円谷プロダクションが経営危機に陥った後も延々と続いているようだが、主題歌に関する限り「帰ってきたウルトラマン」を上回る作品はないのではないかと、勝手に思っている。
Wikipediaによると「帰ってきたウルトラマン」は1971年から1972年にかけて夜7時から放映されている。おそらく私は週1回、この放映を欠かさず見ていたであろう。またそれ以前のウルトラマン作品は、毎日夕方5時台に再放送されており、私は友人たちとそれを見るのが日課だった。このことからもわかるように、私は「ウルトラマン世代」の最後の部類に入ると思っている。それ以降のアニメや特撮ものは、私の世代から少し外れている。仮面ライダーしかり、マジンガーゼットしかり。そういうわけで、私の幼少期の音楽を代表するのは、すぎやまこういちの作曲した「帰ってきたウルトラマン」の主題歌なのである。
すぎやまこういちの訃報に接してから、急に数多くの追悼ビデオが流され、そのほとんどが「ドラゴンクエスト」である。関係の深かった都響は、10月の定期演奏会の冒頭で大野和士が「ドラゴンクエストⅡ」から「レクイエム」を演奏したようだが、「帰ってきたウルトラマン」の主題歌については、ほとんどどこにも掲載されていないようだ。かねてから私は、自分の幼少期からの音楽体験(つまりは好きな流行歌)のいくつかについてこのブログに書いてみたいと思っていたから、丁度いい機会が訪れたと思い、とうとうこの文章を書くことに決めた。
「帰ってきたウルトラマン」の主題歌は、東京一(あずま・きょういち)という名前の円谷プロダクションの社長が作詞し、主人公を演じた団次郎(だん・じろう)とみすず児童合唱団が歌っている。「ウルトラマン」全盛期を思わせ、高度成長まっしぐらの明るい音楽である。私の通っていたカトリック系幼稚園でも「ウルトラマンごっこ」が流行しており、男の子ならだれもが「スペシウム光線」などの技を知っており、3分経つとエネルギーが急速に失われるシーンを真似ることができた。
「ウルトラマン」の時代、一家に一台だったテレビは家族全員で見るものだった。同じ勧善懲悪ものでも「ウルトラマン」の前と後では、その意味内容が完全に変わってしまったと主張するのは社会学者の宮台真司である。「ウルトラマン」のストーリーには簡単には理解しにくいテーマを含んでいる。例えば怪獣(悪者)にも一抹の善意があって、ウルトラマンもそれを認めようとする立場があったりするのである。それを大人がお茶の間で、子どもに解いて聞かせることを前提にしていたからだ、と彼は言う。しかしそれ以降の時代になると、テレビは家族全員で見るものではなくなってゆく。自然、ストーリーは単純化され、誰が見てもわかる価値観を提示しないといけなくなるのだ。善は善、悪は悪と。この転換期に始まる日本社会の衰退は、いわば高度成長の絶頂期を境とした「坂の上」からのなだらかな下り坂になって今日まで続いている。
君にも見えるウルトラの星 遠く離れて地球に一人
怪獣退治に使命をかけて 燃える街にあとわずか
轟く叫びを耳にして 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン
十字を組んで狙った敵は 必殺技の贈り物
大地を飛んで流星パンチ 近くに立ってウルトラチョップ
凶悪怪獣倒すため 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン
炎の中に崩れる怪獣 戦い済んで朝が来る
遥か彼方に輝く星は あれがあれが故郷だ
正義と平和を守るため 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン
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