2021年11月3日水曜日

東京都交響楽団第393回プロムナードコンサート(2021年10月30日サントリーホール、指揮:小泉和裕)

1982年に大阪のザ・シンフォニーホールが我が国初のクラシック音楽専用ホールとして開館した時、全国各地のオーケストラが招待され、連日オープニングコンサートが開催された。最初は朝比奈隆の大フィルで、トリがNHK交響楽団だった。このコンサートは後日朝日放送でオンエアされ、コンサートホールの違いが各オーケストラの響きをどう変えるのか、私も大いに注目して見た記憶がある。

その中に記憶が正しいか自信がないのだが、小泉和裕が指揮する京都市交響楽団というのがあった。曲目も忘れてしまったが、アンコールに演奏されたブラームスのハンガリー舞曲第1番だけは鮮明に覚えていて、世界各国のオーケストラと華々しく共演を続ける若干33歳の若手指揮者の才能を見たような気がした。

あれから私は小泉和裕のコンサートをいつか生で聞いてみたいと思いつつ、なんとこれまで一度も接したことがなかったのである。この間40年の歳月が流れている。中学生だった私は55歳になり、俊英の指揮者も70代に達した。小泉はこの間、いくつもの国内のオーケストラを指揮しているから、何度もチャンスはあったのである。だが私は何故か、小泉の演奏会に行くことはなかった。20代前半でカラヤンコンクールに優勝した指揮者は、その後の演奏を国内に限定してしまったにもかかわらず。

予期せぬ感染症が全世界を多い、すでに1年半が経過した。ここへきてようやく日常を取り戻しつつあるが、この世界的パンデミックはクラシック音楽界にも激震をもたらした。海外からの演奏家が来日できない状態が続いたのだった。しかし我が国には世界を股にかける演奏が大勢いる。今年のショパン・コンクールもその例にもれず、日本人の活躍が目立ったのは言うまでもない。

そんな中で目にした都響のプロムナードコンサートと題するわずか一夜だけのポピュラーコンサートに、私は目を惹かれた。ドヴォルジャークのチェロ協奏曲と交響曲第8番という取り合わせ。メールで送られてくる当日券情報にも、まだ席が数多く残っていることが記されていた。

通常、日本人指揮者を迎えて演奏される有名曲ばかりのコンサートに、あまり行く気がしない。オーケストラも小遣い稼ぎ程度としか思っていない可能性がある。エキストラを数多く配して、にわか作りの感が否めないようなものも多かった。しかし、今回は違った。

まずチェロ独奏は、目下最も期待される日本人演奏家である佐藤春真という若者である。ブックレットに記載されたプロフィールによると、2019年ミュンヘン国際音楽コンクールに優勝したとある。この時若干22歳。ということはまだ24歳ということになる。少し詳しく検索して見ると、名古屋生まれでベルリン在住。ドイツ・グラモフォンよりデビューアルバムも発売されている。私はさっそくSpotifyでアクセス。若々しいブラームスのソナタが聞けた。

実際に舞台左手横真から聞いた独奏チェロは、木管楽器ととても上手く響き合う。正面を向くチェリストを見ながら、オーケストラに指示を与えるのは指揮者である。指揮者を介した木管と独奏のアンサンブルの妙は、CDなんかではなかなか聞けない醍醐味であることを知る。こんな有名曲でも私のコンサート記録には、過去にたった一度しかない。舞台正面の席であれば、もう少しオーケストラの音が一体化されているのだろう。だがこの場合には逆に、管楽器が見えにくい。左横からは音を少し犠牲にしている反面、指揮者と独奏者、それにオーケストラのソリストの呼吸が大変良くわかる。

それにしてもドヴォルジャークのこの曲ほど、琴線に触れる曲はないと思う。おそらくカザルスやフルニエの歴史的名演、それに続く万感のロストロポーヴィチの名演などにCDで接してきた聴衆は、その時に聞いた音を重ね合わせているに違いない。そのしびれるようなカンタービレ。もう一体何度聞いたかわからないほど馴染んだ曲なのだが、それでもああここはこういう風にフルートが、オーボエが、クラリネットが重なっているのか、という発見の連続だった。

佐藤春真のチェロが技術的に巧いのは言うまでもないのだが、それが小泉の指揮にピッタリ寄り添って、オーケストラとの交差が見事である。完全にオーケストラに溶け込みつつも、ソロの巧さを表現している。オーケストラの中に入った独奏という感じ。これは相当練習し、かつ指揮が上手いからに違いない。

佐藤春真のことをTwitterなどで見るていと、その辺りを歩いている普通のいまどきの学生と変わらない表情で、私の会社にもいる感じである。ごく普通の感覚でありながら、聞かせどころにうまく歩調を合わせ、親しみやすいドヴォルジャークの旋律をフレッシュに聞かせてくれた。

後半のプログラムは交響曲第8番だった。舞台に上がったマエストロが指揮棒を自然に振り下ろすと、オーケストラが一斉に鳴り響いた。前半の独奏者に遠慮した硬い感じからは解放され、オーケストラの醍醐味が満喫できた。特に中低音が活躍するドヴォルジャークのメロディーは、チェロとコントラバスの人数が多い今日の編成では特に重要である。そしてチェロ協奏曲を含め、オーケストラが音を外すことなどなく、すべての楽器が素晴らしかった。第1楽章のフルートや、第2楽章でのオーボエとヴァイオリンのソロ、第4楽章冒頭のトランペットに至るまで、それは完璧だった。

第3楽章のスラブ舞曲風メロディーや、第4楽章のハンガリー風ダンスも興に乗った演奏で会場の聴衆は大いに沸き立った、と書きたいところだが、コロナ禍で「ブラボー」は禁止され、この日のコンサートには空席が目立ったことは残念である。ところが、驚くべきことにオーケストラがすべて退散した後にも拍手が鳴りやまないという、珍しいことが起きたのである。来日した老齢のマエストロならわかるのだが、通常の都響のコンサートでこの光景は特筆に値するだろう。熱心な観客は、この演奏の素晴らしさを長い拍手で表現したのである。

思えば小泉はカラヤンの弟子の一人で、アシスタントも務めていたのだろう。その指揮はやはりカラヤンのようにスタイリッシュで、流れるような旋律も颯爽と乱すことはなく、そして多くの楽器で旋律を始める時に、もたつかず自然に、しかもすっと入るあたりの職人的な感覚は、見ていて惚れ載れする。こういうところは目立たないが、なかなかのものである。一緒にコンサートを聞いた妻も、一気に小泉の演奏に引き込まれたようだ。私も毎年何度か開催される彼の名曲コンサートに通ってみたいと思う。

土曜日の昼下がり。ようやく秋めいてきた快晴の赤坂を歩く。今宵は神谷町のイタリアン・レストランで妻の転職・昇進祝いをする予定である。まだ少し時間があるので、新しくなったホテル・オークラのカフェにて1時間余りの時間を過ごす。贅沢な秋の一日は、素敵なトスカーナのワインと、北イタリアの郷土料理に舌鼓を打って帰宅。彼女は明日から北海道の実家に出かけ、妹と母親、それに私の母も参加して沖縄旅行をする予定である。その準備に取りかかりなら、久しぶりに聞いたドヴォルジャークの旋律が心地よい週末の夜だった。

※ご本人のTwitterに当日のコンサートの写真が掲載されていたので、転載させていただきました。

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