2022年1月31日月曜日

思い出のうた(4)NHKみんなのうた「おお牧場はみどり」(作詞:中田羽後、チェコスロバキア民謡)

私が小学生の頃は、まだ世の中がいまよりは落ち着いていたと今になっては思う。それまで一本調子で登りつめた高度成長時代が終わりかけ、石油ショックに見舞われる。東西の冷戦は極限に達し、いまや円高とバブルがそこまで迫ってきつつあった時代。だがそれは、その後に続く動乱の時代から見れば、まだ時間がゆったりと流れ、「世界」は自分の手の届くところにしかなかった。私が少年時代を過ごしたそのような時代は、わずか5年後にはもはや違ったものになっていた。情報化が進み、世界が一気にせまくなったからである。

そんなわずかの隙間の時代に、私は小学生だった。そしてその私が毎日楽しみにしていた夕方のテレビ番組の中で、とりわけ「NHKみんなのうた」はわずか5分の間に2つの曲が、アニメーションや実写などとともに流れるだけの番組。流れる曲は毎日違うが、それも1か月程度ですべて入れ替わった。そしてそのような中からヒット曲が数多く生まれた。「山口さんちのツトム君」や「南の島のハメハメハ大王」というのがそれである。「NHKみんなのうた」で流れる有名曲のみを集めたLPレコードも発売されていて、私も何枚かを持っていたが、なぜか歌う人が違っていたりして違和感を覚えた。録音はモノラルだった。

「NHKみんなのうた」は1961年にテレビ放映が開始され、1971年からカラー化された。私はカラーしか知らないから、おそらく5歳以降の記憶しかないのだろうと思う。だが、それまでに作られたいくつかの曲は、国民的に有名な曲となり広まった。そのような中には、「えんぴつが一本」(作詞・作曲:浜口庫之助)、「手のひらを太陽に」(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)、「ちいさい秋みつけた」(作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直)などがあり、遠足に持っていく歌集などに載っていたので、知らない人はいない。

従来の文部省唱歌や童謡の枠を超えて国民的な良質の歌謡を提供する路線は、70年代になると独自の音楽をさらに加えて全盛期を築いたと思う。「NHKみんなのうた」は、とっくの昔にその役割を終えたと思うのだが、信じられないことに何と2021年の現在でも放送されている。一体どんな曲が作られ、聞かれているのかはさっぱりわからない。そのような中から国民的歌唱曲が生まれているという話は聞かない。そもそも「NHKみんなのうた」というのは、いわば「オモテ」の歌で、子供から大人まで親しめる歌詞は模範的で教科書的。そんな歌が流行するのは気持ち悪いな、などと1980年代に荒れる青春時代を過ごした私などは思うのだが、あろうことか、平成の時代に入って流行する歌はみな、NHK的、みんなのうた的なものばかりになってしまった。例えばいきものがかりの歌などは丸で毒がない。

世界中のどこでも、大多数の歌のテーマは恋愛である。片思いの歌もあれば失恋の歌もある。あるは戦争。悲しい友人との別れ。喪失感、焦燥感。そういった陰のない歌は、小学生までである。丁度そのような層を対象にしたのが「NHKみんなのうた」だと言える。

1970年代に私が接した「みんなのうた」は、数多い。おもいつくままに並べると、

  • 「それゆけ3組」(作詞:桑嶋賢二、作曲:中村秀子、歌:西六郷少年少女合唱団、1971年)
  • 「算数チャチャチャ」(作詞・作曲:山口和義、歌:ペギー葉山、1973年)
  • 「想い出のグリーングラス」(訳詞:山上路夫、作曲:C.ブットマン、歌:上條恒彦、1974年)
  • 「勇気一つを友にして」(作詞:片岡輝、作曲:越部信義、歌:山田美也子、1975年)
  • 「さとうきび畑」(作詞・作曲:寺島尚彦、歌:ちあきなおみ、1975年)
  • 「遠い世界に」(作詞・作曲:西岡たかし、歌:チューインガム、1975年)
  • 「宗谷岬」(作詞:吉田弘、作曲:船村徹、歌:ダ・カーポ、1976年)
  • 「さらば青春」(作詞・作曲:小椋佳)1975年、歌:田中健
  • 「山口さんちのツトム君」(作詞・作曲:みなみらんぼう、歌:川橋啓司、1976年)
  • 「ボクたち大阪の子どもやでェ」(作詞・作曲:西岡たかし、歌:T.J.C、1976年)
  • 「南の島のハメハメハ大王」(作詞:伊藤アキラ、作曲:森田公一、歌:水森亜土、トップギャラン、1976年)
  • 「切手のないおくりもの」(作詞・作曲:財津和夫、歌:財津和夫、チューリップ、1978年)
  • 「ビューティフルネーム」(作詞:伊藤アキラ、作曲:たけかわゆきひで、歌:ゴダイゴ、1979年)

このように書いていくと、私の「みんなのうた」は1970年代の前半に集中している。小学生1年から4年生まで「3組」だった私は、「それゆけ3組」という曲が好きだったし、大阪生まれとしては「ボクたち大阪の子どもやでェ」のファンだった。興味深いのは、この中に「大人のうた」が混じって来ることだ。団塊ソングでもある「さらば青春」は異例だし、「さとうきび畑」は沖縄に爪痕を残す戦争の歌である(何か暗い曲だなあ、などと思っていた)。

「NHKみんなのうた」は少なくとも私にとっては1970年代後半には馴染みの薄いものになっていく。2000年に入って子供が生まれ、ひさしぶりに図書館などで「NHKみんなのうた」のCDなどを借りてみた。何十周年かの記念アルバムだったりしていたが、上記の曲が未だに収録されていた。久しぶりに聞いてみると、これが最近のJ-POPに見られる幼稚な歌詞よりももっとしっくりくるから不思議である。そして80年代以降の曲にまったく関心が向かない。唯一の例外は「川はだれのもの?」(作詞・作曲:みなみらんぼう、歌:東京放送児童合唱団、1995年)くらいだろうか。

「川はだれのもの?」のように「NHKみんなのうた」には、少年合唱団による歌が数多い。幼児向けの童謡などを集めたCDにも少年少女合唱団の歌が多いが、大人になって聞くようなものではないし、かといって難しい合唱曲となると、あまりに技巧的で私はあまり聞く気がしない。しかし「NHKみんなのうた」はその中間にあって、大人になってもそれなりに楽しい曲だったりする。その大半は実は60年代に作られたものだ。「線路は続くよどこまでも」や「クラリネットこわしちゃった」などである。そのような中でもとりわけ秀逸と思われるのが、「おお牧場はみどり」である。この曲は「NHKみんなのうた」で最初に放送された曲である。だがこの曲をきっちりと歌う合唱団の溌剌とした歌声は魅力に溢れ、小学生時代の音楽室を懐かしむ曲である。当時、この曲が作られたチェコとスロバキアは、ひとつの国だった。この曲を「チェコスロバキア民謡」としたのは、その理由からである。

私は丁度小学生の頃、ボーイスカウトの下部組織であるカブスカウトに入団し、これらの歌を数多く歌わされた。その思い出は別に書くが、合唱というのは終わりのない高みを目指すようなところがあって、大いに怖い先生が指導にあたるのが通例だった。いわば、上級の子女教育である。その範囲は歌う時の姿勢や服装などの生活態度にまで及ぶ。私にとって「怖い」ということしか思い出のない合唱団が、名曲「おお牧場はみどり」を歌う時に感じる規律の見事さは、背筋を伸ばして聞かなくてはならないほど屹然としたものだ。だからこの曲を、親しみやすい軽い曲だと思ってはならない。


【歌詞】
おお牧場は緑 草の海風が吹く(よ)
おお牧場は緑 良く茂ったものだ ホイ
雪が解けて 川となって 山を下り 谷を走る
野を横切り 畑(を)うるおし 呼びかけるよ 私に ホイ

おお聞け歌の声 若人等が歌うのか
おお聞け歌の声 晴れた空のもと ホイ
雪が解けて 川となって 山を下り 谷を走る
野を横切り 畑(を)うるおし 呼びかけるよ 私に ホイ

おお仕事は愉快 山のように積み上げろ
おお仕事は愉快 みな冬の為だ ホイ
雪が解けて 川となって 山を下り 谷を走る
野を横切り 畑(を)うるおし 呼びかけるよ 私に ホイ

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