2023年9月16日土曜日

NHK交響楽団第1990回定期公演(2023年9月15日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

2023-2024シーズンの最初となる演奏会に、久しぶりとなるN響C定期を選んだのが大きな誤算だったのではないか、とヤキモキしていた。まさかこんなに早く「あれ」に近づくとは思ってもいなかったからである。ところが9月に入り、チームは負けなしの10連勝。おまけに相手のカープが連敗し、気が付いてみるとマジックが1に!もしコンサートと野球が重なってしまったらどうしよう、短いC定期は9時前には終わっているから、何とかその瞬間には間に合うかも知れない、などと前向きに考えていると何と、前日に悲願達成と相成ってしまったのである!


こうなったらもう何も支障はない。ところが、寝不足のお昼を怠惰に過ごす予定が、思わぬ仕事の展開によって狂ってしまうという悲劇に見舞われた。何とか他人に引き継いだり、来週に回したりしてやりくりし、家を出る18時までには集中豪雨も止み、蒸し暑い中を鈴虫がやかましいくらいに鳴いている代々木公園を急ぐ。翌日のマチネにすればよかったと後悔しかけたが、この時ばかりはいつもより30分遅く始まるC定期で良かった、と胸をなでおろした次第である。

NHK交響楽団の定期公演には3つのシリーズがある。通常のA定期、サントリーホールでのB定期、そして名曲中心のC定期である。このC定期は通常より短いプログラムで、休憩はなく、チケットもその分安い。が、しかし、これは他の定期のチケットがいつのまにか値上がりしている中で、C定期は値段を据え置いてプログラムを減らしたのではないか、と思っている。まあ私も給料が上がらないので、勝手に仕事量を減らしているくらいだから、偉そうなことは言えないのだが。

そのC定期では、開演前に室内楽が演奏される。今シーズン最初の室内楽ではN響メンバー6人が登場し、ベールマン、ブラームスのそれぞれのクラリネット5重奏曲の一部を演奏した。私は今回3階席脇で聞いたのだが、音も良く届きなかなかいい演奏だった。しばらくNHKホールからは遠ざかっていたが、悪くないなとさえ思った。舞台には100名を超える楽団員の椅子が配備されている。チケットは沢山余っていて、4割ほどしか埋まっていない。それでもFM中継とテレビ収録があり、カメラもスタンバイ。指揮は昨シーズンから首席指揮者となったファビオ・ルイージ。プログラムは、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をデ・フリーヘルが短く編集した「オーケストラル・アドベンチャー」のみ。同様の取り組みは、マゼールの「言葉のない指環」などいくつか存在するが、この編曲は初めて聞く。1時間余りに凝縮された「指環」は聞き所が満載、楽しいコンサートになると思いを馳せた。

いつのまにかN響の演奏会でも、楽団員が登場すると拍手が起こるようになっていた。カーテンコールでの撮影もOKとアナウンスが入る。コンサート・マスターはゲストの西山尚也。室内楽にも登場した各ソリストも交じっている。左手にハープが4人。ホルンやトランペットがずらりと並ぶ奥にティンパニが2台。やはり壮観である。今シーズンの幕開きに相応しい。

さて、ルイージという指揮者はイタリア人ではあるもののワーグナーの演奏に定評がある。記憶に新しいのはメトロポリタン歌劇場での「指環」で、この様子はMET Live in HDシリーズでも見た。また私はシュターツカペレ・ドレスデンの来日演奏会で、「ワルキューレ」の第1幕を聞いている。もっとも「聞いた」というだけで印象は特にないのだが、聞いたこと自体を忘れる演奏会も多い中で、ルイージだけはよく印象に残っている。N響との「巨人」は大名演だった。その容姿同様、スタイリッシュで速め。緊張感を保ちつつ一気に聞かせる感じ。それは今回の演奏会でも同様だった。

一筆書きのような「指環」だった。あまりにも次々と有名なメロディーが出てくるので、スポーツニュースを見ているような心境である。本当はそこに至るまでの長い物語があるのに、それをすっ飛ばして要所要所だけをつないでゆく。そうとはわかっていても、ちょっと戸惑う。編曲の腕の見せ所は、こういう時に発揮されるのだろうか、などと思った。というのは同様の曲であるマゼールの方が、優れていると思ったからだ。例えば、有名なモチーフは「指環」に何度も登場するが、長い時間を聞き続けた果てにここぞとばかりに登場するものは、巧妙にこれが前もって登場してしまうのを避け、かつその前にはあえて静かな部分を挿入するなど、工夫が欲しいのである。それが少し甘いような気がした。

N響の音は3階席で聞いても迫力は十分だった。これはあらためて認識した次第なのだが、聞き終わってみると何かが足りない気がしてならない。やはりオーケストラの音に艶がないのである。これは音響効果がおかしいからではないかと思う。反射音がないのか、あっても脆弱なのか、そのあたりはよくわからない。だから直接波が届く割合の多い1階席正面のみでしか、私は心の底から感動した演奏に出会ったことがない。が、それも指揮者次第のような気もする。ルイージは今後、客席における音響について考慮することを心掛けてほしいと思う。ただサントリーホールになると、同じというわけにもいかないわけで、こういうあたりも指揮者の腕の見せ所だと言える。

曲は順番に聞き所がつながっていく。休止はない。ボリュームの大きな部分の連続である。指揮も集中力が強く、緊張感が高い。故にたいそう疲れるのだが、それも「神々の黄昏」になると、どこか急に雰囲気が変わったような気がした。長いホルンのソロが会場にこだまする。「ジークフリートのラインへの旅」に始まる「神々の黄昏」は、マゼールの編曲でもそうなのだが、全体の半分近くを占める。「ジークフリートの死」とそれから最後までの音楽が最大の聞かせ所であることは疑いなく、それが近づくにつれて、知らず知らずのうちに気持ちが高ぶってゆく。このワーグナーならではの高揚感は、例えようがない。だからこそ、「ラインへの旅」と「死」の間にもう少し「溜め」があってもいいと思うのだ。

1時間半以上かけていいから、休憩を挟んでもう少し長い曲に編集しなおしてくれないものかといつも思う。この時、「ラインの黄金」から「ジークフリート」までを前半に配置し、休憩の後に「黄昏」を十分長く取るといいだろう。ルイージは一気に最後までオーケストラを鳴らし、それに見事に応えたN響の技量は、ますます堅調である。

3階席を中心に、大きなブラボーが飛び交った。観客の少なさを感じさせない大きな拍手に、指揮者もオーケストラのメンバーも満足したのだろうと思う。何度も何度もカーテンコールに応え、各パートを順に立たせてゆく間中、ブラボーの嵐は絶えることがなかった。

今シーズンのN響のプログラムは、このルイージが12月にも登場して、2000回記念となる「一千人の交響曲」などが演奏される。来月は96歳のブロムシュテット、1月にはソヒエフなど聞きたい演奏会が多い。長かった今年の夏は今もしつこく残暑が続いているが、10月にもなれば少しは落ち着いて、コンサート・シーズン真っ盛りとなる。私も10月にブロムシュテットのブルックナー、日フィルのマーラーなど大曲のチケットを購入し、今からスケジュールに組み込んでいる。もちろんクライマックス・シリーズと日本シリーズの日程を加味しながら。。

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