2023年9月6日水曜日

クープラン:クラヴサン作品集「tic tok choc」(P:アレクサンドル・タロー)

お盆の休みに、溜まった古新聞を読んでいたらクープランの作品集を取り上げた記事に出会った(日経新聞8月13日朝刊)。フランス人のピアニスト、アレクサンドル・タローが、フランス・バロックの作曲家クープランのクラヴサンのための作品を扱ったCDである。オンライン配信が当たり前の時代になってCDの紹介記事というのも面白いが、この「tic toc choc」と題されたCDが発売されたのは2008年だから(ハルモニア・ムンディ)、もうかれこれ15年も前のことになる。こんな古いCDを、何をいまさら紹介するのだろうかとも思ったが、よく考えてみると私は、フランスのバロック音楽にほとんど縁がない。リュリやラモーの作品の入ったCDを持っているには持っているが、それは沢山の「バロック音楽集」の一部を構成しているに過ぎない。

真夏のうだるような暑さが続く毎日、クープランも悪くない。そこでSpotifyで検索したところ、一発で結果が表示された。さっそく我が家のネット・チューナーに接続し、朝から大リーグ中継を見たがる息子がテレビをつける前にオーディオ装置を鳴らす。妻はまだ寝ているから、起こさないようにと気をつけながら、熱いミルクティーを入れる。すると、聞いたこともないような音楽が聞こえてくるではないか。

このCDを紹介している音楽評論家の文章は、私が書く素人のブログとは甚だ異なり、人に音楽を聞かせようとする力が備わった、いわばプロの文章だ。200年以上も前に作られた独奏曲について、短くも説得力のある表現が続く。例えば、こんな風だ。

「感傷的な伴奏の上に、やさしげな旋律が繰り返される。神秘的と言われれば、そんな感じがしないでもない。たとえば、男女のあいだを隔てる感情のすれ違い。その見えない壁のような作用とか?」

こんな感想が相応しいのは、この演奏がとてもロマンチックに聞こえるからだろう。例えば収録された最初の曲、「神秘的な防塞(第6組曲)」はシューマンのようだ。バロック音楽が何か意味ありげな顔を見せるのは、その演奏ゆえである。だが具体的にどうすればそうなるのか、そのあたりの秘密を解読することは、私にはできない。音楽を楽しむのにその知識が不可欠というわけではないが、このような従来のイメージを刷新する演奏に出会うには、何らかの助けがいる。上記の文章は、クープランのようなバロック音楽でも、新しい演奏が可能であること、そのような演奏が存在することを具体的に紹介してくれている。だから新聞のCD紹介記事は貴重である。

タロー自身ピアノでの演奏に相応しい曲を選んだそうである。それがどういうことかはわからないが、これまでクープラン、あるいはチェンバロでしか縁のなかったフランス・バロックの新しい魅力をこの演奏で感じることができる。一気に、全20曲を聞きとおすようなことは、他の演奏では望めないだろう。それほどに変化に富み、また時にはいささか過激に、現代人の心を揺さぶろうとする。例えば、第8番目の「居酒屋のミュゼット」は、まるで2台のピアノによって演奏されているように感じる。ずっと通奏低音のようなものが鳴っているからだ。ピアノによるピアノのための通奏低音は、結果的にミニマル音楽にも通じる前衛的なムードを呼び起こす。多重録音と思われる効果は、第14番目の「戦いのどよめき」が極めつけだ。何とここではタンブランが鳴っている!

上記の新聞の紹介記事によれば、タイトルの「tic toc choc」が示すように、このCDには「リズムを前面に出した音楽」が並んでいる。「切れが良くシャープである」。それは「旋律を彩る装飾音」を「音楽の推進力へと変えてしまう」ことによって、ピアノによるバロック演奏にありがち「野暮ったい感じにならずに済んでいる」とのことである。その結果、「バロック音楽であることを忘れそうになる」くらいに「クープランの曲が持つ様々な可能性を自在に引き出」すことに成功している。

具体的にどの曲がどうの、という解説はここではしない(転記もしない)。たまにはこのようなバロックの器楽作品に耳を傾けてみるのも良いものだ、と普段はオペラやオーケストラ曲ばかり聞いている私は思った。今年の夏が例年になく暑かったこともあって、少々夏バテ気味だったからかも知れない。

今年の夏は30年以上も隔てて「青春18きっぷ」を購入し、まだ出かけたことのない関東地方のローカル線の旅を楽しんだ。車窓から見える濃い青空。そこに容赦なく降り注ぐ真夏の日差しに照らされた田畑や家々を眺めながら、このCDに耳を傾けていた。暦はもう9月。いささか日差しにも陰りが感じられる今日この頃。長かった残暑も、あと少しで終わりを告げる。


【収録曲】
F.クープラン:クラヴサン組曲より
1. 神秘的な防塞(第6組曲第5番)
2. ティック・トック・ショック、あるいはオリーブ搾り機(第18組曲第6番)
3. クープラン(第21組曲第3番)
4. 信心女たち(第19組曲第1番)
5. さまよう亡霊たち(第25組曲第5番)
6. 編物をする女たち(第23組曲第2番)
7. キテラ島の鐘(第14組曲第6番)
8. 居酒屋のミュゼット(第15組曲第5番)
9. 葦(第13組曲第2番)
10. アタランテ(第12組曲第8番)
11. パッサカリア(第8組曲第8番)
12. ミューズ・プラティヌ(第19組曲第5番)
13. 奇術(第22組曲第7番)
14. 戦いのどよめき(第10組曲第1番)
15. 子守歌、あるいは揺籠の中のいとし子(第15組曲第2番)
16. 空想にふける女(第25組曲第1番)
17. ラ・ロジヴィエール(アルマンド)(第5組曲第1番)
18. 双生児(第12組曲第1番)
19. かわいい子供たち、あるいは愛らしいラジュール(第20組曲第3番)

デュフリ:クラヴサン組曲より
20. ラ・ポトゥアン(第4巻第5番)


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