2024年3月1日金曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2024年2月23日東京芸術劇場、エリアフ・インバル指揮)

長男が生まれた時、大いなる喜びと同時に大変なことになったと思った。それまで経てきた人生の十数年を再び経験しなければならない。自分自身ここまで来れたのも奇跡のようなものなのに、それとまた同じだけの日数を、課題に都度直面しながら対処していかなくてはならない。とてつもなく長い時間が待ち受けているように感じた。あれから18年が経ち、いよいよ大学受験の年となった。大学受験ともなると、定期考査とは違い持久戦である。一夜漬けが意味をなさない代わりに、終わってもさあこれから自由だと簡単に気持ちが切り替わるわけではない。むしろ茫然自失腑抜けのように、暫くは何もしたくない心境に陥るものだ。

私は当事者ではなく、親の立場である。それでも、というよりはだからこそ、特にこの1年間は、かなりの心的配慮を重ねてきたつもりである。そうと悟られないよう最新の注意を払い、平静を装いつつも心は到底穏やかではなかった。これは入院生活と似ていると感じた。そしてそれが開けた日、 つまり試験が終わった日は、ちょうど退院の日に相当する。この先どうなるかわからないのは、合格発表までの期間と同じだ。まずは終わってホッとする。次第に喜びが湧いてくる時があるとすれば、それは数日経って気持ちに少しの余裕が生じてくる頃である。それまでは、とりとめのない日々を送る。そのようにして少しずつ元の気持ちを取り戻していく。

こんな時にはどんな音楽を聞きたくなるのだろうか。先行きの明るい状態であれば(私も初めての入院時はそうだった)、ウィンナーワルツでも聞いて踊り出したくなる気分だろう。 だが生死の間をさまよい、とりあえず退院の許しを得て帰宅したものの、この先どうなるかわからないような不安定さの中では、そんな単純な音楽など聞きたい気持ちになれなかった。どういう曲がしっくりくるか。私はクラシック音楽の中でいろいろ考えた挙句たどり着いたのが、マーラーの交響曲、それも後年のそれらであった。私は第7番のシンフォニーを聞き、初めて何かが分かったような気がした。喜びと絶望が入り乱れ、 半分気が狂ったのではと思うような曲が、私に安らぎを与えた。マーラーの交響曲との向き合い方について、その発展の変遷を頼りにたどっていく。すると、希望の見える若い頃の作品がやがて混乱、絶望、そして、祈りに変わり、最後は諦め、受容、悟り、そしてとうとう死後の世界への憧憬へと昇華していくことがわかった。

未完の交響曲第10番は、そんな マーラーが最後にたどり着かざるを得なかった場所ではなかったか。そうだ、 第10番を聞こう。息子の合格発表を待ちながら、私は持病が刻一刻と悪化の一途をたどり、この先どうなるかもわからないという絶え間ない恐怖の中で、家族には平静を装い自らの意識をもだましながら仕事と家庭生活を続けてきた。毎日が体調との戦いで、それでも少し元気な日があれば、外に出かけている。数年前に痛めた腰、歩くと痛い足、そして満足に物が食べられない日常の中で、今日は2ヶ月ぶりに特急列車に乗って房総半島を南下、館山市にある坂東三十三箇所巡りの最終目的地那古寺へと向かう。コロナ禍となってから本格的に始めたこの寺巡りは、積極的に自動車を使い、ほぼ毎回日帰りで東京から出かけてきたが、それでも何年もかかった。いよいよ最後は結願だから、こういう時に行くのがふさわしい。嬉しいことに、ここのところ候が悪かったが今日はよく晴れている。

京葉線の無機的な車窓風景を眺めながら、昨日聞いたエリアフ・インバル指揮でマーラーの交響曲第10番を聞いている。息子の将来への第一歩は、どういう結果となるにでよ、まもなく少し前進するだろう。私の今後は少し深刻だが、それも息子の進学で気持ちはかなり楽になる。特にこの1年間は、2つ以上の問題が私にのしかかり、押しつぶされそうな日々に耐えてきた。毎月のように、体調が良い時だけは行動に出て全国を歩き回り、そうでない時は音楽を聴いていた。その一区切りに相応しい絶好のタイミングで、今回のコンサートの存在を知った。それは1月のことだった。不安に耐えきれなくなるような日に、昨年夏に訪れた 能登半島を大地震が遅い、私が滞在した輪島の中心部も壊滅的な被害を被った。数百人が命を落とし、数万人が家を失った。元日の悲劇は、それまで静かに暮らしていた多くの人々を、一瞬のうちに不幸のどん底に突き落とした。

先の見えない 不安や予期せぬ不幸は、限られた人にだけ降りかかるものではない。だからマーラーの音楽には普遍性がある。この未完に終わった第10番は、長い間単一楽章、すなわち「アダージョ」として知られてきた。私がかつて一度だけ実演で聞いたこの曲の演奏も「アダージョ」だけだった。この時、「嘆きの歌」や歌曲を含む全ての管弦楽作品を聞き終えたのだった。ところが第10番の交響曲は、続く第2楽章以降にも多くのスケッチが残っており、マーラーはそれらを完成させようとしていたのは明白である。とすれば、それらを何とかして完成させ演奏するのが個人の意志でもある。デリック・クックはその意思を継ぎ、全曲を補筆完成させた。全5楽章あるこの補筆版は、今やこの曲の演奏のデファクトスタンダードとして 演奏会で取り上げられるようになってきている。今回東京芸術劇場(池袋)で聞いたインパルによる都響の定期演奏も このクック補筆版であった。

ここで このクック版が、どのように作られ、何がどうなのか といった細かいことはここには書かない。それよりもむしろ、私は毎日心の混乱状態を少しずつやりくりして、何とかコンサートに出かけるだけのほんのわずかな 体力と気力を持つように努めたこと、そして薬の副作用の眠気や腰痛の中にあってなお、2階席の片隅に腰を下ろし なんとか70分の間、このマーラーの演奏に耳を傾けたことについて書かなければならない。演奏を楽しんだのかと聞かれると、とてもそうではない。だが退屈だったわけでは決してないし、ビオラの冒頭のアンサンブルが聞こえてきた時から、すさまじいまでの美しさに唖然として目からウロコが落ち、フルートをはじめとする木管楽器の惚れ惚れとする独奏が加わると、体が硬直するようなほどの感動的体験だったと言わねばならない。これがいつも聞いている都響の音かと思った。

不思議な時間だった。 どこを切り取っても同じような曲が1時間以上続く。この曲はそれまでのマーラーの作品とはやや異なり、どこか散文的で浮世離れしている。だから私の心境によく合っていた。インバルの演奏が、オーケストラにいつもとは違う感覚を与えていた。何十年にも亘りマーラーの名演を繰り広げてきた関係性ゆえに実現できたものだと思う。実際、このコンビはこれまで、2回ものマーラーチクルスを完成させていて、録音もされ大変評価が高い。この10番も前回(2014年)が空前の名演だったことが至る所で語られている。私は2回目のチクルスの最後の方で聞いた「大地の歌」が、もうこれ以上ないほどの大変な名演奏だったことを昨日のことのように覚えている。

私を乗せた特急「わかしお1号」勝浦行きは、つのまにか千葉市内を通り抜け、外房地方を走っている。九十九里浜の向こうから昇る朝日が眩しい。それにしても都響はうまかった。インバルの解釈がどうなのかは正直よくわからないのだが、オーケストラの音色に終始驚きっぱなしだった。完全にマーラーの音だった。中低音の厚みに木管が絡み、金管が咆える。大太鼓が第4楽章で何度も打ち鳴らされる。コーダで静かに消えていく永いメロディーを、私はまぶたを閉じて聞き入った。目から情報を入れたくはなかったのだ。 前日の平日マチネーを含め2日間、ほぼ満席だった会場は物音一つしない。音楽が消え行って静寂の時が永遠に続くのではないかとさえ思われた。指揮者がゆっくりと腕を下ろし、やがて拍手とブラボーが乱れ飛んだ。88歳にもなるマエストロは幾度となく舞台に呼び戻され、オーケストラが去った後でさえもそれは2回に及んだ。

マーラーが想像し表現しようとした死後の世界を、私もやがては体験することになるのだろうか。でもそんなことはない。この1年間、このことを毎日のように考えてきたけれど、それはもっと後になってからで良いのだ。私はまだそんなに年老いてもいないと思っている。しかしマーラーはこの作品を完成させずに、1911年旅立ってしまう。50歳の時であった。

那古寺から館山市内を望む

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