2024年3月11日月曜日

広島交響楽団特別定期演奏会(2024年3月10日すみだトリフォニーホール、下野竜也指揮)

日本の地方オーケストラの中で、今最も注目され、実力も挙げている楽団は広島交響楽団ではないだろうか。就任当初はいろいろとチャレンジングなことも多々あったような話が随所で語られてはいるが、少なくとも私が初めて見たNHKテレビでのコンサート(それはベートーヴェンの劇音楽「エグモント」を全曲演奏したときのライブ映像だった)で、この組み合わせの素晴らしさに驚いた記憶がある。

下野竜也という、私よりも少し年下の、音楽の道に入るのが若干遅かった経歴を持つ指揮者に注目した(この頃はコロナ禍によって多くのコンサートが中止、もしくは無観客となることを余儀なくされた頃だ)。あるいは私が注目するもう一人の指揮者、カーチュン・ウォンのビデオがYouTubeにアップされており、その演奏を聞くと広島のオーケストラの鳴りっぷりが良いことに驚く。日本の地方オーケストラの中では目立たない存在だったこの交響楽団を、機会があれば一度聞いてもいいかな、と思っていた矢先のことである。

3月10日の日曜日は久しぶりに予定がなく、こういう日にはどこかコンサートでもと思っていろいろ検索したところ、何とすみだトリフォニーホールでその広島交響楽団の東京公演が開かれるではないか。しかも下野竜也が音楽総監督としてこのオーケストラとの最後の演奏会に挑む。プログラムは前半が細川俊夫の「セレモニー」というフルート協奏曲、後半が今年生誕200周年のブルックナーの交響曲第8番。下野のブルックナーは1月に第1交響曲を聞いたばかりだが、第8番のコンサートはそう多くないので、これは行ける時に行くべきだ。しかも料金はさほど高くない、当日券もある。

このコンサートは「すみだ平和祈念音楽祭2024」と銘打たれている。しかし渡されたプログラムにそれに関する記載がないことはちょっと不思議だ。私が想像するに3月10日は、あの東京大空襲のあった日で、墨田区を始め本所・深川の界隈は壊滅的な影響を受けた。そういう日に、広島からオーケストラを招いてコンサートを行うことの意義は、もう少し強調されてもいいと思う。

いずれにせよ開演の15時には私も3階席(それでもS席だった)を確保し、5階まで階段を上る。公演前にプログラムの紹介がったようだが、私は間に合わなかった。本当は1階席で聞きたかったが、すでに売り切れで仕方ない。やがてオーケストラが入場し、続いてフルーティストの上野由恵が赤い衣装で登場。我が国を代表するソロ・フルート奏者として国内外で活躍し、細川の作品集もリリースしている(と紹介されている)。

ここで私は、先日の秋山和慶指揮新日フィルで体験した細川の作品を再び聞くことになるのだが、その秋山は下野の前任として広響の音楽監督を務めていたようだ。秋山の残した遺産を引き継ぐことが大変だったと下野は語っている。そして細川もまた広島の出身であることを私は初めて知った。彼は「コンポーザー・イン・レジデンス」というタイトルを長年担っている。ところがそもそも広島交響楽団の沿革が、プログラムに掲載されていない。これも不思議なことである。

細川の「フルートとオーケストラのためのセレモニー」という作品は20分程度の曲ながら、フルートという楽器の多彩な表現を体験することとなった。冒頭、いきなり風が吹いてくるような音(効果音かと思った)は、フルートに風を吹き付けることで表現する。まるで尺八のような音色は、「アニミズムのシャーマニズム的儀式」を象徴する。音楽はこういうところから生まれた、と細川は語る。以降、フルートが「シャーマン(巫師・祈祷師)」を、オーケストラが「宇宙」を表す。フルートに吹きかける息は「霊魂」を意味するのだという。

東洋的な音感が醸し出す独特のムードは、チベットのような辺境アジアの密教的儀式を思い起こさせるが、それが中国を通して伝えられた我が国の仏教文化に合流し、日本文化の一部を形成していったことに通じているような気がする。何となくそんなことを考えながら味わった不思議な20分であった。

休憩を挟んでオーケストラの規模が倍増し、左奥にハープが3台並んでいる。今ではめずらしくチェロが最右翼の配置である。そういう細かい音の分離までは、さすがに3階席ではわからないのだが、逆にブルックナーのような宇宙的広がりを持つ音楽が、一体的な様相で感じられるのもまた良いものだと思った。3階席とはいえ、NHKホールとは違い、音が発散してしまうことはない。ブルックナーの演奏をビデオで観ると、教会の天井を映したりする映像に出くわすが、そういう風に視線を遊ばせることも自由にできる。

演奏はゆったり丁寧に進められたが、第2楽章までは特徴に乏しかった。オーケストラは良く鳴り、それなりに満を持して臨んだ感がある。ただブルックナーというのはやはり難しい音楽なのだろうと思う。日本の地方オーケストラが、中欧の響きの権化のようなブルックナーの音楽、それも金管楽器のアンサンブルが致命的に重要な音楽を、これほどにまで高水準で演奏する時代が来るとは思わなかった。30年以上前の我が国のオーケストラの技術的水準は、今の第1級アマチュア以下かも知れない。

第3楽章と第4楽章はさすがというか、このコンビが7年に亘って培ってきた音楽の集大成とも言えるような充実ぶり(と誰かがロビーの寄せ書きに書いていた)だったことは疑いがない。聴衆も物音ひとつ立てず、固唾を飲んで聞き入った。特にどうということはないのだが、どのフレーズもおろそかにしないほどオーケストラは真面目で献身的だった。ただ音の厚みとバランスの点で、私はこの作品をそれほど何度も聞いたわけではないのだが、ちょっと物足りないような気もした。これはオーケストラの技量の問題だが、それにしてもこれほどゆったりとした演奏で、弛緩することもなく、一定のテンションを保っていることには、このオーケストラの最高のものが表現されていることを示していたように思う。90分にも及ぶだろうと思われた熱演が終わったとき、誰かが間髪を入れずブラボーと叫ぶと、大きな拍手が沸き起こった。

地方オーケストラの東京公演は、聴衆を含めいろいろ地方色があって面白い。広響は創立60周年という節目であることに加え、下野竜也は来月桂冠指揮者に就任するそうだ。もっとも「今後は学校公演に限りたい」ということのようで、これまでの両者の間にあった様々な確執を想像するに、ちょっと複雑な気持ちになった。広島という町は、なかなか難しいところだな、とも。

公演が終わって記念撮影が行われ、観客も自由にどうぞ、ということで私も3階席端から一枚パチリ。その写真をここに貼り付けておきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

日本フィルハーモニー交響楽団第761回定期演奏会(2024年6月7日サントリーホール、大植英次指揮)

日フィルの定期会員になった今年のプログラムは、いくつか「目玉の」コンサートがあった。この761回目の定期演奏会もそのひとつで、指揮は秋山和慶となっていた。ところが事前に到着したメールを見てびっくり。指揮が大植英次となってるではないか!私の間違いだったかも知れない、といろいろ検索す...