2024年4月21日日曜日

NHK交響楽団第2008回定期公演(2024年4月19日NHKホール、クリストフ・エッシェンバッハ指揮)

近年N響の演奏会から遠ざかっている理由は、チケット代が高い(来シーズンからはさらに値上げされる)ことに加え、ホールの残響に難があること(大昔から言われていることだ)、そしてあの渋谷の雑踏を通らなければならないこと、などである。

コロナの期間が過ぎ去り、以前にも増して渋谷を徘徊する人が増えている。日本人だろうと外国人だろうと、あの近辺をうろつく人々を私は好まない。そう言うのであれば、原宿から歩けばいいのにと言うかも知れない。しかし原宿への道は、代々木公園の暗い歩道を行くことになり、夜は淋しく物騒である。昼間の場合は逆に人混みが激しく、週末ともなると出店が数多出て騒音が鳴り響き、駅の改札口から長い行列が続くこともあって、時間までに会場へたどり着くのも一苦労だ。NHKホールの入り口には、5月の定期公演には、時間に余裕を持って来場するよう注意が呼びかけられている。

事程左様にNHKホールで行われるコンサートには、あまり食指が動かなくなってしまった。若い頃はコンサートのあと、渋谷の安い寿司などをつまみながらちょっと飲んでから帰る、といったことも楽しみだったが、そういうことはなくなって久しい。このたびのクリストフ・エッシェンバッハ指揮によるCプログラムも、私は当日午後まで行くべきか迷っていた。Cプログラムは休憩のない短いプログラムで、この日はブルックナーの交響曲第7番のみ。まあこの曲は70分もあるので、この一曲に全力投球ということであれば悪くはないのだが。

それでもこの日は朝から体調がよく、仕事を終えてから駆け付けても公演開始が19時半と通常より遅いから、十分間に合うことが予想された(ついでながら、我が国の演奏会の開始は19時からで少し早すぎる。これでは慌ただしく、仕事を終えるのに一苦労であり、しかも空腹の状態で会場入りすることになるため、諸外国同様20時からとすべきではないかと思っている)。

そういうわけで、十分に余っていた当日券を買い求めることとなった。直前まで迷うコンサートには、安い席で聞くのが良い。幸い3階左脇のD席が確保できた。公演前のステージでは、N響メンバーのよる室内楽の演奏も行われていて、この日はオーボエの吉村結実、坪池泉美、イングリッシュ・ホルンの和久井仁によるベートーヴェンの「2本のオーボエとイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲ハ長調作品87」という大変珍しい作品の第1楽章が演奏されていた(さらにアンコールに、同曲の第3楽章も演奏された)。

2日あるN響定期の初日は、放送用の映像収録が行われるのが通常である。この日も複数のテレビ・カメラが設置されていたが、それに加えFM放送による生中継も行われる。かといってアナウンサーが司会をするわけではなく、至って通常通りの演奏会である。19時半になってステージに楽団員が入場すると、拍手が沸き起こった。それまで設置されていた指揮台は、どういうわけか直前に撤去された。この日のコンサートマスターは川崎洋介であった。

エッシェンバッハは、このところ毎年のようにN響に客演している。私はかつて、ラン・ランを独奏に迎えてのパリ管弦楽団の来日公演(2007年)に出かけており、その後、N響とはマーラーの「復活」を聞いている(2020年)から今回が3回目。もっともかつて若きピアニストだった頃にカラヤンと録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番のディスクを持っていた。この演奏は暗く、テンポも遅くてさほど気に入っていない。この録音がリリースされただけで、他の曲の録音に発展することはなかったようだ。そのエッシェンバッハも、今年83歳になるということだ。

一方、ブルックナーの交響曲第7番はこれまでに、ロペス=コボス指揮シンシナティ交響楽団、小林研一郎指揮日フィル、スクロヴァチェフスキ指揮読売日響で聞いているので、これが4回目である。ブルックナー・イヤーの今年は、順に各曲を聞いてきたが、いよいよ第7番である。この曲は長いアダージョ(第2楽章)が全体の白眉と言える。そのクライマックスにシンバルが鳴るものと、そうでないものがある。今日の演奏はノヴァーク版によるものとされよく見るとステージ上に3人の打楽器奏者がスタンバイしている。

演奏が始まると、3階席でも十分に届く音量の大きさに圧倒されたが、そのごつごつとした鋼のような音楽が会場にこだました。第1楽章冒頭で、まるで弧を描くように、あるいは何かが地上に降臨するかのような弦楽器のアンサンブルに、さすがN響は上手いなと思った。個人的な感想を記そう。演奏はしかしながら、それ以上でもそれ以下でもなかった。大いに名演奏となっていった節はあるのだが、私の気持ちを揺さぶるものだったかと言われれば、残念ながらそうではない。ここは正直に告白しておく必要があるだろう。決して退屈はしないし、技量に不満があるわけでもない。だとすると、その原因は私の方にあるのかも知れない。

第2楽章の長いフレーズは、中低音のアンサンブルが聴き所だが、エッシェンバッハの音楽は音に艶が感じられない。ブルックナーの命とも言えるような、あのふくよかな弦楽器の感触と、金管楽器を主体とする和音の妙。これは会場のせいかも知れない。何せNHKホールは残響が少ないのだ。しかもせっかく対向配置されている弦楽の音が、3階席に届く時にはミックスされている。それに輪をかけて音楽に対するアプローチが、「復活」の時にも感じたが、どこか極度に醒めている。とどのつまりは楽しくないのだ。これはエッシェンバッハの特徴なのだろう。

そういうわけで、会場は非常に多くのブラボーが飛び交ったが、私はどこか腑に落ちないものを感じざるを得なかったのが事実である。聞いた場所の故でのみであるとすれば、いつものようにテレビでオンエアされるときには、もっといい音楽になっていることもあり得る。第7番は私の大好きな曲であるにもかかわらず、これはという名演奏という実演には接していない。ディスクで聞くと毎回感動的なのだが、もしかすると後半の2つの楽章が、前半に比べて聞き劣りするからだろうか。特に終楽章は(私の主観的な印象では)どこかとってつけたような曲に聞こえてしまう。前半が良いと、その傾向は一段と深まる。

ブルックナー・イヤーの今年は、これからも多くの公演が予定されている。第7番は人気があるので、他の指揮者で聞いてみようと思っている。東京ではこのあと、東響(ノット指揮)、新日フィル(佐渡裕指揮)、都響(大野和士指揮)などが検索できる。

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