
指揮者は音楽監督の沼尻竜典である。私はこの指揮者と同年代であり、しかも出身である東京都三鷹市に住んでいたころ、よく地元のオーケストラを指揮していたようだったので、とても親近感を抱いていた。実際のコンサートでは、新国立劇場での「トスカ」(2012年)、神奈川県民ホールでの「ワルキューレ」(2013年)。それに三鷹で聞いた「魔弾の射手」(2013年)に接している。いずれも大変感銘を受けたもので、今でも記憶に残っているが、その沼尻はその後関西の「びわ湖ホール」の芸術監督を長年務めている。
忘れもしないのは、コロナ禍に陥った2020年春の「神々の黄昏」で、無観客となった会場からライブ配信された模様はあまりに痛々しく、それでいてなかなかの演奏で、私も2日間とも見入ってしまったのを覚えている。無観客となったことで集中力が増し、これはこれで音楽的充実度が増したのだが、収入を得られない興行というのがあまりに気の毒だったのである。この公演は観客を入れて、どこかで再演すればよかったのにと思ったが、もともと採算の合わないオペラ公演である。再演したらそれだけ赤字が嵩むという理由で、実現されることはなかった。
上記のように、私の沼尻経験は、すべてオペラである。なので、オーケストラの演奏会にも出かけてみたいとかねがね思っていたが、そのときがやってきたというわけである。ブルックナーの曲が多く演奏される今年は、私も折を見て出かけることにしているが、第5番のコンサートはこれが最初である。いや第5番という曲はもともと難解で、私ももっとも敬遠していたものだから、ちょっと諦めかけていたところだった。だが沼尻の指揮する今シーズン最初の演目が、満を持して挑むブルックナーの第5交響曲だという触れ込みに、とうとう私も連日のブルックナー三昧を決め込んだ次第である。
だが神奈川フィルという団体、私はこれまでただ1度しか接したことはなく、その時の演奏もまあまあといったところで、技術的にはあまり期待ができたいと決めつけていた。それは2017年に聞いたマーラーの「巨人」の演奏(川瀬賢太郎指揮)で、まあローカルなオーケストラとしてよくやっているな、くらいの感想だった。今回もそういうわけで、あまり期待をせずに出かけたことは事実である。プログラム・ノートによれば団員に女性が大変多く、第1バイオリンなどはほぼすべて、他の弦楽器も木管楽器も女性たち。女性の音楽家が悪いとは決して言わないが、ブルックナーの音楽は極めて男性的ではないか、などと思っているのでちょっと不安に。
だがこれらはすべて杞憂に終わった!第1楽章冒頭から、気合の入った音がビンビンと響いてくるではないか。弦楽器の厚みも十分だし、そのアンサンブルの音色の確かさは、本場のそれである。前日に聞いたN響の音よりもはるかに、ブルックナーの音楽に相応しい音色に仕上がっている。少なくとも2階席横手で聞いた私には、そう感じられた。
それでかではない。木管楽器が弦楽器に呼応して、様々な動機を吹くシーンが大変多いこの曲は、クライマックスのような部分だけではなく、精密さが大変要求される大曲である。80分にも亘って音楽が弛緩することも許されないが、そのためにはそういった精緻な部分をおそろかにできない。これを実現するには大変な技術的水準と練習が必要となるだろう。それを確かなものとするには、当然ながら指揮者の力量が問われる、と素人の私でも感じる。だが、このたびの演奏は、それらがすべて備わっていた。私は特にクラリネットが見事だったと唖然とした。
金管楽器のセクションにいたっては、ブルックナー音楽の命とも言うべきアンサンブルの見事さで、重なり合うチューバやトロンボーンの音色が、本当にこれが日本のオーケストラかと思うほどの完璧な出来栄えで聞くものを圧倒した。終演後に割れんばかりの拍手とブラボーが飛び交う中、芸術監督が真っ先に駆けつけたのが、この金管セクションだった。彼は楽団員の中を通り抜け、奏者を順番に立たせて歓呼に応えた。
とにかく第1楽章の冒頭から、終楽章の圧倒的なコーダに至るまで、これほど完成度の高いブルックナーが聞けるとは想像していなかった。本人も満を持して挑んだ感があり、並々ならぬ集中力が感じられたが、観客席も水を打ったように静かであり、第3楽章の長いスケルツォあたりからはちょっと神がかり的な水準に達した。終楽章で第1楽章のメロディーが回想されて活気づき、コーダに向かって一気に進むとき、オーケストラはまるでひとつの楽器のように鳴り響いた。この難しい曲を、よくここまで聞かせるものだと、度肝を抜いたのは言うまでもない。
神奈川フィル、そして沼尻恐るべし、と思った。こんなコンサートがなされているのなら、月1階程度は横浜に来るのも悪くはないと思った。ただみなとみらいホールの音響は悪くないのだが、客席の視界が悪い。2階席だと部分的にしか見えないことが多いだけではなく、無造作に設置された柵が、丁度指揮者の顔の位置にあって視界を遮るのはいかがなものかと思う。これはホール設計上の問題である。少なくともあの柵は不要である。
東京と横浜はさほど離れていないのに、横浜に来ると一気にローカルな気分になる。それは大いに好ましいことなのだが、神奈川フィルの今回のような水準の演奏会がさほど知られていないとすれば、残念なことであろう。けれども熱心なブルックナー・ファンは、この演奏会を見逃してはいないと思われる。なぜなら長々と続く拍手は、石田コンサートマスター以下が退場しても静まることはなく、ついにはソロ・カーテンコールに及んだことからもわかる。次回以降の定期演奏会にはどんな公演があるのか、気になってブックレットをめくってみたが、そのような記載は一切ない。会場で配られていたチラシにも、そのようなものは用意されていなかった。これはちょっと残念に思ったが、それにも増して大きな発見となった今回の演奏会だった。
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