2024年5月30日木曜日

ヴェルディ:歌劇「椿姫」(2024年5月25日新国立劇場、フランチェスコ・ランツィロッタ指揮)

今や我が国を代表するソプラノ歌手と言ってもいい中村恵理のことを、私はほとんど気に留めたことはなかった。実際過去のコンサートの鑑賞記録を手繰ってもヒットしない。彼女は新国立劇場オペラ研修所の出身ということなので、もしかしたらと思って過去の私が行ったすべての作品の公演プログラムに目を通したが、脇役を含めいまだ接したことがないようだった。

私はこの3月に「トリスタンとイゾルデ」、さらには4月に「エレクトラ」を見て、1回のオペラ公演に高い料金を払って出かけるのはこれで一区切りとしよう、などと勝手に心に決めていた。ところが「トリスタン」を見た際にロビーに掲示されていた、これからの公演の広告を見て、我が国にヴィオレッタを歌う中村恵理なるソプラノ歌手がいることを発見した。そのプロフィールには大阪音楽大学卒業と書かれていた。私は大阪府豊中市で育ったから、この学校のことを良く知っている。私の出身の中学校や高校の音楽の先生に、この大学の出身者も多かった。上空をジェット機が高度を下げて航行し、近くからは焼き肉屋の匂いも漂ってくるような下町に、ヨーロッパで活躍するディーヴァがいるという事実が私を興奮させた。

その彼女が、ここ新国立劇場でヴィオレッタを歌うのは2回目だそうである。最初の登場は2年前、コロナ禍の真っただ中でのことで、この時は代役ということだったようだ。それでも彼女はこの難役をこなし、評価は一気に高まった。いや、それは極東のオペラ後進国でのことで、彼女はすでにヨーロッパにおいて、ミュンヘン・オペラなどいくつかの歌劇場で多くの役をこなしていた。その一つに何と、あのアンナ・ネトレプコの代役でヴィオレッタを歌った、という経歴があることに驚いた。「椿姫」のヴィオレッタともなると、マリア・カラスの歴史的録音が数多く残されており、各地の歌劇場で語り草となっている亡霊に付きまとわれて、そうそう簡単には歌えない役だと思っていたから、なおさらのことである。

興味深くなって私は彼女の経歴をネットで検索してみた。すると何と、彼女は私も住んでいた兵庫県川西市の出身というではないか!これで私は、彼女が主役を歌う「椿姫」の公演に行くことを決めた。幸い妻も土曜日なら行けるというので、私は2階席最前列のS席を2枚買い求め、さらにはそのあとに代々木上原で、以前から行こうと思っていたフランス料理レストランの予約も済ませた。これは2人にとって、久しぶりの祝杯である。今年3月に東京を離れた長男の大学入学を、二人で祝うというのが目的だった。受験を控えて昨年は、私たちも結婚記念日や誕生祝いを自粛してきた。その期間が晴れて解けたのである。

ヴェルディ中期の傑作「椿姫」。原作では「ラ・トラヴィアータ(道を踏み外した女)」と呼ばれる。「フィガロの結婚」「カルメン」などと並んで、あらゆるオペラ作品中最も有名で愛されるこの作品こそ、私をオペラ好きたらしめた筆頭の作品である。そのことはこれまでにも書いた。これまで何度聞いたかわからない録音の数々、旋律もほぼ覚えてしまった作品を、実際に見るのはまだこれが3回目であるが、その数は最も多い。我が国では毎年、どこかの劇団が上演している超人気作品である。私にとって、これはオペラ経験の原点回帰とも言うべきもので、そのタイミングに相応しい公演に、注目の彼女が主演するというのである。

人気取りのような公演ではあるものの、土曜日ということもあってか客席はほぼ埋まっている。やがてピットに入った東京フィルハーモニー交響楽団の左手奥から、指揮者のフランチェスコ・ランツィロッタが登場するのが見えた。舞台は四角形の鏡の舞台が斜めに傾いて設置され、頂点の一つが舞台の前にせり出している。奥の壁も鏡になっていて、フローラの館に集う人々がまとう色とりどりの衣装が鏡に反射する。評判の照明装置が大変綺麗である。その中にヴィオレッタ(中村恵理、ソプラノ)とアルフレード(リッカルド・デッラ・シュッカ、テノール)がいる。間髪を入れず始まる「乾杯の歌」。新国立劇場合唱団は上手すぎて、こういう雑然とした場面もきっちりと機械のように歌い、やや「作られ感」のある喧噪である。

若いイタリア人の指揮は流れるように進み、あれよあれよと正念場のアリア「ああ、そはかの人か~花より花へ」と進む。舞台中央にはピアノが一台置かれているだけ。彼女はその周りをまわりながら、丁寧に、しかもよく通る声でこのソプラノの難曲を歌い切った。歓声に包まれる会場。アルフレードの若々しい歌声もとても好感が持てる。第1幕が終わっても休憩時間にはならず、長い休止のあと第2幕第1場へと続く。舞台のピアノはそのままで、天井になぜかこうもり傘が二つ。これだけでパリの社交界から田舎の館にチェンジ。二人の楽しい生活も束の間、アルフレードの父ジェルモン(グスターボ・カスティーリョ、バリトン)が登場して、世間体が悪いからとヴィオレッタに別れるよう求める。カスティーリョの声は、もしかするとこの公演で最も素晴らしいものだ。ベネズエラのエル・システマ出身とプロフィールにはある。その歌声での力強さと気品は、この役に必要なものがすべて備わっていた。

ヴィオレッタが泣く泣く手紙を綴るシーンや、思いがけず彼女を抱きしめるジェルモン、アルフレードの直情径行なふるまい。この第2幕は演出によってはドラマチックなものだ。しかしこの演出では舞台の転換が少ない上に、音楽が綺麗に流れて行く。歌唱のレベルは見事なのだが、演出上の工夫がちょっと平凡に思えた。そのことによって、第2幕第2場のクライマックスでさえメリハリに乏しい。闘牛士の歌もバレエはなく、動きに乏しいというのも淋しい。最高潮に達したところで歌われる三重唱など、映画で見るとそれぞれの思いが幾重にも重なって映るのだが、これは想像するしかないのは舞台で見る時の悲しさだろうか。

第3幕に入る前の長い休止も、休憩時間とはしないのが今や通例だが、時間はかかっても第1幕、第2幕、第3幕とゆったり見たいと思ったのは、この公演の完成度がすこぶる高く、弛緩することなが一切なかったからだ。歌手、オーケストラ、合唱団の3拍子が揃うことは、この作品ではなかなかないことだ。第1幕の最初から、私は気分が高揚して涙腺も緩む。だからこそ、もっと長い時間この舞台に浸り立った。実演で観る時は、家のリビングでビデオで観るのとは違う体験を期待しているのである。

第3幕の前奏曲が終わって病気に伏した彼女は、何とベッドではなくピアノの上に横たわっている。ジェルモンからの手紙を切々と読むヴィオレッタのシーンは、2階席最前列でも良く見えないからオペラ・グラスに頼るしかない。彼女は最も重要なアリア「過ぎ去りし日々」を、このピアノの上に立って歌うことになった。外に向かって開けられた扉の背後の色が、黒い舞台に映えて、謝肉祭の朝を表現したりする。だが、そこに登場するアルフレードやジェルモンは、そろそろと登場しており、何か普通の訪問者のようで丸で表現的ではない。総じて、演出に不満の残る舞台だったが、歌唱とオーケストラ、合唱と指揮はいずれも高水準で難点を見つけることができないものだった。

幕切れてヴィオレッタは病に倒れるのではなく、幕が下りた舞台の上で最後を歌う。そのために舞台の一部がオーケストラ・ピットにせり出していたのだ。彼女は歌詞では死に絶えるが、直立したまま魂は生き残り、より強い女性としてこの社会に抗う生命力を表現する。この希望的な終幕は、この演出のもっとも特徴的なものだったと言える。

舞台に残った中村恵理には多くの歓声が飛び交い、何度もカーテンコールを繰り返すうち、3時間に及んだ公演が終了した。久しぶりに見たヴェルディの傑作は、やはりこの作曲家の偉大さをひしひし感じるものだった。ヴァンサン・ブサール(演出)も述べているように、この作品は同時代の話をそのままオペラにした斬新なものである。それが当時の女性の社会的立場を、否が応でも明らかにした。だがそのことによって、今日にも通用する普遍的なテーマを持ったこの作品は、愛すべき歌唱性と通俗的なストーリーを持ちながらも、高い芸術性を勝ち取ることができた。

このような作品がヴェルディには目白押しある。9月には演奏会形式ながら「マクベス」が上演される。この作品は私がまだ実演で見ていない作品だから、行かない手はないだろう。梅雨前のうっとうしい空模様もこの日は一休み。吹く風はさわやかで、代々木までゆっくりと歩く私たちも、気分は大変爽やかだった。

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