もうひとつの理由は、第5番での複雑極まりない「形式的要素」、第6番でのわかりやすい旋律に溢れた「歌謡的要素」の2つの側面を「ほどよく調和させようと試みた(N響プログラム「フィルハーモニー」4月号)」点にあるのではないだろうか。第1楽章の冒頭を聞くだけで、その宇宙的な広がりと、まるで空から何かが舞い降りてくるような錯覚に捕らわれてしまう。一気にブルックナーの世界に入り込む。私が最も好むブルックナーの音楽のひとつが、この冒頭である。ソナタ形式の第1楽章に、この2つの要素の両面がよく表れているように思う。
ブルックナーがこの曲を作曲したのは、第3楽章からだったようだ。スケルツォの第3楽章はなかなか立派で聞きごたえある曲だが、第2楽章があまりに素晴らしいので、どことなく拍子抜けしてしまうようなところがある。ベートーヴェンの「エロイカ」が、これと同様な気持ちを抱かせる。
第4楽章が短いというのもこの曲のバランスを悪くしている。第3楽章を含め後半の楽章は、明るく楽天的でさえある。第4楽章のリラックスしたムードは、次第に高揚し最後は一気に駆け抜けて終わる。
録音された第7番の演奏は、古今東西に非常に多い。曲がいいからどの演奏も興味が尽きない。私はまず、この曲をスクロヴァチェフスキ指揮の演奏で聞いている(ライブと録音)。カラヤンが最後にリリースしたCDがこの曲だった。私も聞いているが、カラヤン指揮ウィーン・フィルのブルックナーは、第8番の名演奏に尽きると思っており、そちらに譲りたい。定評あるヴァント盤やヨッフム盤に交じって、珍しくジュリーニもウィーン・フィルでライブ収録しているが、ちょっと個性的で何度も聞く気にはなれないところ。一方、マゼールもブルックナーを演奏していて、マニアには評価が高いのだが、どことなく人工的で好き嫌いが分かれるだろう。
さて、そういう状況の中で最新のリリースがティーレマンの指揮するウィーン・フィルとの全集である。この11枚組CDはSONYから発売されているが、何とウィーン・フィルがブルックナーの全交響曲を録音するのは、これが何と初めてではないか。例えば第0番のような曲も収録されているようだ。私は専らSpotifyで聞いており、全曲を聞いたわけではないが、少なくともこの第7番に関する限り、その演奏は大変すばらしく、近年のブルックナーの最右翼たるものになっていると確信している。
何といっても聞いていて飽きないし、その世界にどっぷりとつかっていることができ、たいそう心地よい。ティーレマンとう指揮者は、時に意味不明な「溜め」を打ったかと思うと、案外あっさりとした素っ気ない部分もあって、これがベートーヴェンだとちょっと不思議な感覚になるのだが、ブルックナーではうまく嵌っている!ウィーン・フィルの優美で洗練された音色も嬉しいし、それを優秀録音が支えている。
なおこの曲の特徴として言及しなければならないことのひとつに、ワーグナーが「ニーベルングの指環」の演奏で考案したワーグナー・チューバが、第2楽章と第4楽章で用いられている点である。この音色が厳粛なムードを与え、時にワーグナーの楽劇を聞いているような錯覚に捕らわれる点で効果満点である。なおティーレマンの第7番は「ハース版」である。しかし第2楽章のクライマックスで打楽器が登場しないわけではなく、シンバルが鳴っている。
それからもう一つ。我が国のブルックナーファンには避けて通ることができない朝比奈隆の歴史的名演奏についてである。私は大阪の生まれで、生まれて初めて自腹をはたいて聞いたオーケストラのコンサートが、朝比奈の指揮する大フィルの第九だった。時は1981年、まだ中学生だった。この頃は、まだ朝比奈のコンサートも席に余裕があって、学生席というのがあったのかは忘れたが、昔のフェスティバルホールの2階席最後列で聞いた覚えがある。その朝比奈がブルックナーゆかりの土地、オーストラリアのリンツを訪れ、大フィルと聖フロリアン教会でこの曲を演奏したのは1975年、すなわち私の初コンサートの6年も前のことだった。
私は朝比奈の指揮する音楽が、どことなく息苦しくて生気を感じず、あまり評価していない。これに対し、我が国にはこの指揮者を熱烈に支持する人は多く、特に晩年になるにつれて神がかり的な人気を博したのは不思議だった。しかし、ライブ収録された聖フロリアン教会でのブルックナーの第7番の演奏は、大変真摯で大いに好感が持てる。録音がいいということもあるだろうが、この演奏は彼の代表的な遺産のひとつである。朝比奈自身もっとも感慨深い演奏として、この日のことを語っている。深遠な第2楽章が終わり、第3楽章に移る時間に鳴り響いた教会の鐘の音が、奇跡的な瞬間だったようだ(ハース版)。
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