2024年7月18日木曜日

「映像の世紀」コンサート(2024年7月15日大阪フェスティバルホール)

NHKの人気ドキュメンタリー番組「映像の世紀」が放映されたのは、いまからもう30年程前の1995年ことだそうだ。私はこの年アメリカに住んでいたから見ることはなかった。しかし、この番組は好評を得て何度か再放送されているだけでなく、続編も制作され、現在は「バタフライエフェクト」と名付けられた新シリーズが毎週月曜日の夜、放送されている。私は「酒場放浪記」を見た後、この番組を見るのが月曜日の日課となっている。

「映像の世紀」の音楽を担当したのが、私と同郷の作曲家、加古隆である。この番組のテーマ音楽「パリは燃えているか」で大変有名になり、その他に映画やテレビ・ドラマの音楽も数多く手掛けている。東京芸術大学を卒業し、パリ国立高等音楽院で学んだという経歴は、作曲家として申し分のないことだが、その彼が私と同じ高校の出身であることを知ったのは、実は最近のことだった。先輩にそんな卒業生がいるというなら一度は聞いてみたいと思っていたところ、何とその名のコンサートのチラシが、いつも音楽会の前に配られる大量のそれらに混じっていたのである。東京公演の指揮は秋山和慶で、舞台には大型スクリーン配置され、映像も上演される。

私はこのコンサートのチケットを買おうと「ぴあ」にアクセスしたものの、何と売り切れだった。クラシック音楽のコンサートで発売と同時に売り切れになることは稀で、そんなに人気があるのかと思っていたら、同じコンサートが大阪でも開催されることが判明、しかもそちらのチケットに当選してしまった(購入する権利を得た、というだけのことである)。大阪公演の指揮は沼尻竜典、管弦楽は大阪フィルハーモニー交響楽団である。どちらの公演も指揮者、オーケストラとも贅沢な布陣である。もちろん作曲の加古は、ピアニストとして演奏する。さらには元NHKアナウンサーの山根基世がナレーションを務める、とある。テレビのドキュメンタリーと同じである。

大阪に帰省するなら家族や友人も誘おうと声をかけ、改装されたフェスティバルホールに出向いたのは公演2時間前の13時頃だった。久々に会う友人と遅い昼食をすませ、懐かしいホールへと向かう。私が初めて聞いたコンサートが、このフェスティバルホールだった。まだザ・シンフォニーホールが完成する前の大阪で、数々の語り草となる大阪国際フェスティバルを開催する場所として、このホールがあった。もっともクラシック専用ではない多目的ホールではある。だが響きは悪くない、というのが印象だ。ここでバーンスタイン指揮イスラエル・フィルとか、マゼール指揮フィルハーモニア管といった来日オーケストラを聞いている。

「映像の世紀」で流れた数多くの作品が映像とともに演奏された。この番組のダイジェストとも言えるような編成は、世界最初の映像であるフランスのリュミエール兄弟らによる映像でスタート。帝国の崩壊、二つの大戦へと続く歴史が白黒フィルムで蘇る。音楽は映像に合わせて変化し、時々様々なバージョンによる「パリは燃えているか」が挿入される。いつものように帽子をかぶる加古は、なかなかのピアノを聞かせるが、単なるムード音楽ではなく、かといって純粋なクラシック音楽でもない。ジャズの影響もあり独特の雰囲気を醸し出している。

この映像を見ていると20世紀というのは、熱狂と殺戮の歴史であったことがよくわかる。テレビ番組同様、ナレーションの内容がやや安っぽいが、それよりも当番組の主役は何と言っても映像そのものである。テレビ番組同様、映像から音声が流れることはない。淡々と進む音楽と映像に見とれていたら、「第3部ヒトラーの野望」が終わったところで早くもインターミッションとなった。オーケストラの音量はPAによるもの、すなわち拡声器によって増幅されているが、これが好き嫌いの分かれるところだろう。演奏中、舞台は譜面台の上を除いて消灯、指揮者とピアニスト、それに舞台右袖にいるナレーターのみにスポットライトが当たっている。スクリーンを見やすくするためだが、雰囲気は出ていて通常のコンサートとは一味違う。

第2次世界大戦の終わるところにさしかかったところで、オーケストラは不協和音を奏で、なにやら不安な音楽が続いた。この時映像は流れず、いわば間奏曲のような部分で聴衆の想像を掻き立てる演出(オペラでもよくある)なのかと思っていたが、あとでマイクを持った加古が、ここで映像にトラブルがあったと話し、そのシーンのみを急遽やり直すというハプニングがあった。映像なしと映像付きと、2回この音楽を聞いたのだが、映像に付けられた音楽はより説得力を増していることが分かった。このシーン、広島の原爆が炸裂する最も重要なシーンだったのだ。

映像が次第にカラーとなり、冷戦やベトナム戦争の悲惨なものがさらに生々しくなってゆく。大戦が終わっても平和は訪れず、人類はただ同じことを繰り返している。戦争の映像に死体もそのまま映し出されるのは、テレビ番組と同じポリシーであり、そのことをとやかく言わない。音楽はやや情緒的であるが、これは陰惨なテレビ映像を中和するのに役立っていると好意的に解釈している。そして21世紀になってもなお、人類は戦争をやめていない。ウクライナやガザでの惨劇は現在進行形のものだ。映像は綺麗なHD仕様になっているが、映し出される人間の怯えた顔、泣きわめく女性や子供の顔は、100年前に撮影されたモノクロ時代のものと何ら変わっていない。

音楽を楽しむコンサートというよりは、映像で見る20世紀の戦争と動乱の歴史に焦点を当てざるを得ない。いやそのことがむしろこの演奏会の趣旨でもあるのだろう。余計なものを挟まず、淡々と100年余りの映像がダイジェストで流れた。アンコールに演奏されたのは最新のシリーズ「バタフライエフェクト」からのもの。蝶の羽根のような微弱な羽ばたきでも、それが重なり、大きくなれば世界を動かす力になる。そういうメッセージが込められていた。

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