2025年12月28日日曜日

マーラー:交響曲第9番ニ長調(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

このブログでは、クラシック音楽の各作品に対し、その曲の良さを最も感じさせてくれると思う演奏を原則1つ選んできた。言わば私にとっての「ベスト盤」ということになる。そしてとうとう、マーラーの作品も交響曲第9番となった。この曲はマーラーが完成させた最後の作品である。

私にとっての「ベスト盤」を選ぶに際して、その曲のすべての録音を聞くわけにもいかないし、それほどの時間もない。しかし私は特定の作品のみ、限られた演奏で聞く方ではなく、なるべく多くの作品を様々な演奏で聞いてみたいと考える方だ。そしてできることなら、古い演奏ではなく新しい演奏から選びたいと思っている。一般にクラシック音楽の愛好家は、古い定評ある演奏や掘り出し物を漁る傾向が強いから、これはちょっと変わっていると言える。また新しい演奏は、ディスクとしては高価であることが多い上に、まだ評価が定まっていないというハンディがあり、とかく敬遠されがちでもある。だが私は、なるべく今の時代に相応しい演奏を聞きたいと思っている。

とはいえ古い演奏が嫌いであるわけでもない。私がクラシック音楽を聞き始めた少年時代、我が家にあったLPレコードは、フルトヴェングラーやトスカニーニなどのモノラル録音が中心だった。ワルターのモーツァルトには、今では聞けなくなった優雅な響きが感じられたし、クレンペラーのベートーヴェンには揺るぎない格調高さがあった。だが、これらは今の時代に聞けなくなって久しいスタイルで、時代が経過した今では同じような演奏が成立しないだろう。そして常に芸術は進化しなければならない。現代における存在価値が問われているからだ。

さてマーラーの第9交響曲だが、この作品には初演したブルーノ・ワルター以降、数多くの録音が残されているのは周知の事実である。そんな中で私が初めて自分のお金で購入したのは、ジョン・バルビローリがベルリン・フィルを指揮した一枚だった。理由は至極単純で、この演奏のみが1枚のCDに収まっていたからだ。だが今から考えると、音質が犠牲になったのではないだろうか。どことなく弛緩した、聞こえが悪い演奏に思えて、とうとうこの演奏から遠ざかってしまった。ベルリン・フィルが実演での素晴らしさから、スタジオ録音を申し出たといういわくつきの録音だったのだが。

当時の我が家にあった比較的新しい演奏は、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団によるもので、LP2枚組。ボックスに入れられて特別な存在感も感じさせるものだった。この演奏で聞く第4楽章に、まずは感動を覚えた。LP片面いっぱいに収録された長いアダージョだけを繰り返し聞いては、マーラーがテーマとした「死」とは、この音楽の意味するところなのか、などと考えていた。

デジタル録音の時代に入ろうとしていたころ、ベルリンで立て続けに2枚のライブ盤がリリースされた。ひとつはレナード・バーンスタインがベルリン・フィルに客演した時の放送録音から編集されたもので、バーンスタインのベルリン・フィルとの共演はこれが最初で最後。バーンスタインはこの他に、ニューヨーク時代の全集やウィーン・フィルとのビデオ、さらにはコンセルトヘボウ管との録音もあって、さすがにマーラーに生涯を捧げた指揮者らしく、どれも超のつく名演である。

このライブ盤に触発されたのか、ベルリン・フィルの帝王、ヘルベルト・フォン・カラヤンはこの曲をスタジオ録音した直後に、さらにライブ盤をリリースしたのには驚いた。このライブ盤の第9は精緻を極めた演奏で、今もって評価は高い。当時の新しいマーラーの録音と言えば、この他にはクーベリックとハイティンクが知られていた程度だった。

ベルリン・フィルとのマーラーの第9交響曲は、その後を継いだクラウディオ・アバドによって頂点を極めたと思う。私がこの曲の私的なベスト盤に選んだのは、アバド2度目の全集となるベルリン・フィルとの演奏である(1999年)。アバドはこの翌年、がんの手術を受けている。復帰後も数々の名演奏を成し遂げたアバドだが、病後の風貌の変化に驚いたのは私だけではない。そんなアバドの名演のかなでも、これは屈指のものではないかと思う。

さて、マーラーの第9交響曲である。

この曲はよく「純器楽に回帰した作品」と言われる。たしかに歌曲を組み込んだ第2番から第4番、あるいは第8番や「大地の歌」のように、マーラーの交響曲はベートーヴェンと並ぶほどに改革の軌跡であって、純器楽的な第5番から第7番にしても、音楽は野心的で難解である。それに輪をかけて複雑極まりない作品が、第9番だと思っている。その「複雑さ」を音楽的に説明するのは、学者レベルの音楽的知識が欠かせず至難の業である。ただ、聞いていて感じるのは、その複雑さ(難解さ)は、斬新な音色がする(というのももちろんあるが)といったものに加えて、一見それまでと同じ音楽の衣装をまとっているかのようでありながら、一体どこをどう聞いているのかわからなくなっていく、まさにその不思議な体験による。

もっともわかりやすく言えば、繰り返しに見えて実はそうではないということではないだろうか?音楽が二度と同じフレーズを繰り返さず、楽器が異なっていたり、少し音符が違っていたり。それがえんえんと続く。そのために演奏に向き合う際の集中力を、指揮者も楽器奏者も、そして聴衆も要求されるからだ。この曲を演奏する側も、そして聞く側も、この「一見わかりやすいように見えて実は複雑極まりない音楽」に対峙しなければならない。カラヤンをして「物凄いエネルギーが要る」と言わしめたものの正体を、一体どのように理解すればいいいのか。このブログでこの曲を取り上げることも、やはりとてもチャレンジングなのである。

第1楽章は自由なソナタ形式とされており、調性もニ長調となっているが、これが単純なソナタ形式ではないことは有名である。むしろソナタ形式の残骸が残っている程度に変質させられ、もはや原型をとどめていないくらいになっている。今とは違って、実演が唯一の体験だった初演当時において、その様子を繰り返し検証することはたやすいことではなかった。私のような時間のない素人と同じである。だから、その複雑さの説明(は、今では多くの音楽家、評論家によって書かれている)をすることは控えるし、それを事前に読んで理解すべきなのか、という根本的な問題に突き当たる。そもそも音楽は、ひとまず頭で理解するものではなく、感じるものではないのか。

だが、それにしてもこの音楽の異常なまでの難しさは、探求心に火をつけるのは事実だろう。前作の「大地の歌」の最後のモチーフを引き継ぎ、それまでの多くの作曲家が残したあらゆる「別れ」や「死」のテーマを引用した楽譜は、作曲家だけでなく多くの学者の分析の対象となった。作曲に関係する文献も、ベートーヴェンの時代にはなかった様々な情報が、マーラーの時代になると膨大なものになって残っている(妻の証言など)。それを知ったほうがいいのか、知らなくていいのか。だが、ブルーノ・ワルターがこの曲を初演した1912年は、まだ録音というメディアがなかった。いくら多くが語られたとしても、音楽自体は演奏された直後には消えてしまう芸術でしかなかったのだ。

そういう意味でこの曲を聴くことは、作曲家、指揮者、そして聴衆の間に一度限りの真剣勝負を挑む格闘技の様相でさえある。その様子をそぼままライブ収録したものが多いのが頷けるのは、そのためかもしれない。冒頭の低いハープが聞こえてきたとき、そのあまりにマーラー特有の世界の出現により、私たちは一気に長い旅に出るような感覚にとらわれる。それは人間が最後に迎える「最期」への長い旅路である。

第2楽章に進もう。マーラーの交響曲には各楽章に饒舌な指示がなされているが、ここは「ゆったりとしたレントラーのテンポで、いくぶんぎこちなく大いに粗野に」となっている。3拍子のファゴットに導かれて弦楽器がリズムを刻む。この刻みは鋭角的であるのが好きだ。そしてこのマーラーならではの諧謔的な踊りは、精緻を極める難しさとは裏腹に、どこか醒めた感覚と深刻な動悸が交錯する混乱の様相を呈しているように感じる。バーンスタインのように「大いに粗野」であるのもいいが、私はアバドのここの演奏に、残響を廃しビブラートを抑えた現代的な新しさを感じる点で大いに好感を持っている。

第3楽章に入ると音楽はいよいよ複雑さを極めていく。私の文章力では、この錯乱した音楽をどう表現すればいいのかわからない。第2楽章のようなスケルツォ的ではないが、「ブルレスケ」となっている道化師のような滑稽さと、それを冷めた目で見ているもうひとりの自分が、時に入れ替わり、あるいはともに舞踏を踊るような錯覚を覚えるとき、この楽章はまた第2楽章の続きであり、形体を変えたもう一つのアイロニー(マーラーが好んだ)、あるいは喜劇的表現ではないかと思えてくる。実演で聞くと、この楽章はオーケストラは必死である。そして次第に熱を帯びてくる様子が手に取るようにわかる。

興奮に満ちた第3楽章のコーダが、この曲のクライマックスのひとつであるとすると、その対照的ないまひとつのクライマックスは第4楽章である。打って変わって音楽は深刻なものとなる。いよいよここから死に絶えるまでの30分近く、起伏を繰り返しながら最後は静かに曲を閉じる。圧倒的な名演奏になると、聴衆は拍手をするのも忘れて放心状態になるようだ。その間1分はあっただろうか。アバドのベルリンでのライブ録音には、まわざわこの間の(すなわち曲が終わってから拍手が始まるまでの静寂を含む)時間が、わざわざ一つの独立したトラックとして収録されている。

作曲家は9番目の交響曲を作曲することに極めて神経質だった。ベートーヴェンが「第9」で音楽芸術の頂点を極めたように、そして「第9」以降は交響曲を作曲しないまま逝去したことに、とりわけ「死」の亡霊に怯えるマーラーは、この「9番目の交響曲」をいかに回避するかに悩んだ、と言われている。良く知られているように、それゆえマーラの9番目の交響曲は番号がなく、「大地の歌」と呼ばれている。

これは素人の私の勝手な想像だが、マーラーは自らの交響曲の集大成を「第8番」で実現しようとした。声楽付きの、まるでカンタータのような作品、これは明らかにベートーヴェンの「第九」を意識したものである。これに対し「第9番」とは銘打たなかった「大地の歌」は、歌曲を中心に据えた独特の作品と言って良く、これを自らの集大成としたようにも思えない。むしろここで試みられた新しい境地は、その先へ受け継がれた。そして「第9番」である。人生のモチーフとも言うべき「死」をテーマとしながらも、マーラーの健康状態は優れ、創作意欲も旺盛だったようだ。だからこれほど複雑精緻な作品を一気に書き終えた。ほとんど改訂の後は見られないという(これは後日ゆっくり改訂しようとして、とりあえず書き進めた、ということも言えるらしい。丁度私の文章がそうである)。

ベートーヴェンが「第9」の直後に「荘厳ミサ」という大規模作品を書き、その分野ではまたひとつの別の頂点を極めたように、マーラーもまた「その先」へと歩みを進めようとした。私はこの作品を自らの「最後の作品」と思ってはいなかったと考えていなかったかもしれない。未完の交響曲第10番にも着手したことからも明らかである。さらに進化した音楽技法を取り入れた第10番の第1楽章(完成された最後の管弦楽曲)では、そのことが顕著にわかる。丁度ベートーヴェンが、ピアノ・ソナタと弦楽四重奏の分野で、さらなる新しい境地を目指したように、マーラーもまた芸術に終わりはないと考えた。だが多忙を極めた日常に病魔が襲った。交響曲第9番は、常に進行形だったマーラー芸術の、結果的に最後の頂上となった。

芸術家が表現する観念的な「死」とは異なり、実際の人生の「死」はもっと生々しく、直接的である。マーラーは幼い娘を亡くし、自らも先天的な心臓病を患っていたとされる。私も余命宣告を受けたことのあるがん患者である。だからといって、この曲が持つ「死」のテーマを、それゆえに深く受け止めることができるか、と問われたら回答に窮するだろう。実際の「死」は突然襲い、そして何か難しいことを考える間など与えてくれないのではないか(いや、そのほうがいい)。ここで表現されているのは、マーラーを含む人間の「死」だけではない。その後に新しい音楽へと引き継がれてゆかざるを得なくなった芸術としての音楽、とりわけその象徴とされる「交響曲」の、あるいは「シンフォニスト」の「死」である。第1交響曲を作曲してからわずか20年、ベートーヴェンが「エロイカ」を書いてからわずか100年で、芸術としての音楽は「死」を迎えたのである。

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