2025年12月29日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団)

 ロシア最大の作曲家チャイコフスキーは、「マンフレッド」を含む計7曲の交響曲を残している。私が彼の交響曲の中で特に好きなのは第5番で、最近では第1番にも魅力を感じている。しかし、一般に彼の最高傑作とされるのは「悲愴」と題された第6番であり、この点について私も異論はない。ただし、この曲が果たして“親しみやすい”作品かと問われれば、正直なところ答えに窮してしまう。

4つの楽章のメロディーは耳にタコができるほど繰り返し聴いてきたし、実演にも数多く接してきた。その中で自分にとっての白眉は、カーネギーホールのシーズンこけら落としで聴いた、小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏である。しかしそれほどの名演に接しても、作品全体としてのバランスや心地よさを感じることはない。ネガティブな主題に満ち、聴いてすっきりするわけでも、深い内省を促すわけでもない。私にとって「悲愴」は、どこか風変わりで、付き合いにくい作品だった。

第1楽章冒頭の暗いモチーフからして陰気である。「白鳥の湖」やピアノ協奏曲第1番を知っていると、これがチャイコフスキーの音楽の中でもやや異質なものであると気づく。どこか神経症的で躁鬱的な気配があり、とりわけ第1楽章中盤の突如として爆発する部分が象徴的だ。抒情的なメロディーがしばらく続いた後に突然炸裂するあたり、チャイコフスキーが自らの芸術性を必死に追い求めた結果、あえてこうした音楽を書いたのではないかと思わせる。バレエなら踊れなければならず、オペラなら舞台展開や歌手の魅力をどう伝えるかに腐心する。純音楽である交響曲こそ、彼が真剣に芸術性を追求した場だったのだろう。

「悲愴」とは広辞苑によれば「悲しくいたましいこと」とある。私たちがよく使う「悲壮」とはニュアンスが異なり、「あわれでありながら勇ましいこと。悲しい結果が予想されるにもかかわらず雄々しい意気込みのあること」とされる。私がこの交響曲に抱いていた印象はむしろ後者で、第3楽章などには威勢のよい部分もあるため、「悲壮」の方がふさわしいと思っていた。

もっとも、これは日本語訳に伴うイメージであり、原題は “Pathetique” である。語源は pathos と思われ、「哀れな悲しみ」といった意味合いだ。ひたすらに悲しい感情には、「悲壮」より「悲愴」がふさわしい。あらためて聴き直してみると、第1楽章は苦悩、第2楽章は不安定な情緒、第3楽章は妄想的な虚無感に基づく哀れな行進、そして第4楽章は絶望。全編にわたり、憐憫の情さえ受け付けないほどの悲痛さが貫かれていることがわかる。

この曲を聴き始めたころ、私は第1楽章の爆発的な部分や第3楽章の勇ましい大音量に圧倒され、管弦楽を聴くことの面白さを感じていた。実演では、第3楽章で曲が終わったと勘違いしたのか、あるいは演奏の迫力に興奮したのか、一部の聴衆が拍手をしてしまうことも珍しくない。しかししばらくして、この曲の重心は第4楽章にあり、そこへ向けて音楽をどう構築するかが表現上の最大の焦点であることに気づいた。「悲痛な叫び」を音楽として味わうことの難しさ。とはいえ、この曲の人気が衰えないのは、少し穿った見方をすれば、前半3楽章の表現の多様さに理由があるのかもしれない。

チャイコフスキーは死の直前にこの曲を作曲したが、「死」を意識して書かれたわけではない。彼の死は感染症による突然のもので、それまでは元気に他の作曲家の舞台にも姿を見せていたほどであるから、これは偶然と言うべきだろう。こうしてロマン派後期ロシア音楽史上の最高傑作が誕生した。終楽章を暗いアダージョで終えるという少し大胆な試みも結果的には成功し、マーラーの作風にも影響を与えたようだ。

演奏は星の数ほどある。カラヤンなどは数えきれないほど録音しているが、私が初めて聴いたのもカラヤンの演奏だった。どの演奏をコレクションに加えるか、CDが主要メディアだったころ私は大いに悩んだ末、若き日のマリス・ヤンソンスがノルウェーのオスロ・フィルを指揮した1枚を選んだ。これは全集の一部で、どの演奏も名高いが、Chandos というレーベルは日本ではさほど有名ではなく、輸入盤で入手するしかなかった。久しぶりに聴き返してみても、今なお高水準の演奏だと感じる。

この記事を書きながらインターネット・ラジオでロンドンの Classic FM を聴いていたところ、偶然にも「悲愴」の終楽章が流れてきた。少し聴いただけで「なかなかいい演奏だ」と思い、さっそくホームページで調べたところ、カリーナ・カネラキスという女性指揮者がロンドン・フィルを振った演奏であることがわかった。2024年11月のライブ収録とのことだが、これほど聴き慣れた曲にも、なお新たな名演が生まれていることに深い感銘を受けた。

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