
だが客観的に見て他にも多くの名演奏があり、いまとなってはなぜこの演奏がその引き金を引いたのかはよくわからない。ひとつ言えることはヴァントという指揮者は、なぜか聞き古された曲の魅力を再発見する経験をすることが多かったという事実。他ではベートーヴェンの「田園」、それにモーツァルトのト短調交響曲などもそうだった。
古典派の音楽とロマン派の音楽の違いについては、私のような素人にしか言えない表現で言ってしまえば、こういうことになる。古典派の音楽は一定の形式、枠に押し込めようとしているのに対し、ベートーヴェンではそれがどうしても収まり切らなくなった。そしてとうとう枠を超えてしまったところ、シューベルトはむしろ自由に、そしてより自然に、自分の感情を音楽に寄せて表現する。「歌」といえばポピュラー音楽では「音楽」と同じくらいに欠くことのできない要素である。だがシューベルト以前はそうでもなかった。
シューベルトは音楽に歌を持ち込んだ。ただし芸術至上主義的にそのことを実践したのではない。よし私的に、目立たないところで、だが確実に自身の表現をその方向に向けた。野心的ではなかったかもしれないが、結果的には誰もが成し得なかった表現の幅が獲得された。その先駆けとなったシューベルト18歳の時の交響曲のもう一つがこの第3番というわけである。
第1楽章の序奏はまるでモーツァルトの短調のようで、重々しいがとても深い味わいがある。だが主題はクラリネットが明るいメロディーを吹くと、それはいささか脳天気な感じでさえあり、落差に違和感を覚える。その後はきっちりとシューベルト節である。ヴァントは悠然と構えながら歩みを進める。何かクレンペラーのような感じだが、きっちりとアクセントは押さえているのがいい(統制が効いている)。
第2楽章は前の2つの交響曲のように明るいが、インパクトに乏しいのではないか、と思いきや、中間部で民謡風のメロディーが流れてきて、何か心からとても嬉しくなる。この交響曲を通して活躍するのはクラリネットだが、その旋律はたった一回だけでもとの主題に戻る。これはお祭りのような音楽なのかも知れない。
第3楽章のメヌエットはスケルツォ風の諧謔性を持っている。ヴァントはここでは早めのテンポで一気に駆け抜ける。 トリオはまたも楽しい民謡舞曲風。第4楽章になると、第3楽章で貯めこまれてしまったエネルギーが、素直な方向に広がっていきながら流れていく。その有様は大河を下るような感じだが、ヴァントはテンポを少し遅めにとりながらもリズムをしっかり刻んで行く。シューベルトの流れはここで、一気に春の花を開かせたかのようだ。
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