マーラーが作曲家としてではなく、人気ある指揮者としてキャリアをスタートさせたのは、本人が望んだ結果ではなかったようだ。彼自身は作曲家としてのキャリアを望んでいた。だが作曲家が作曲だけで食べていける時代ではなかった。少なくともマーラーの20代は、作曲家としての人生を踏み出すには若すぎた。そして彼自身、「作品1」と称して後世にわたって改訂を繰り返した作品であるカンタータ「嘆きの歌」は、そのことを決定付けた作品である。すなわち若い作曲家に贈られるコンクールのベートーヴェン賞というのを逃してしまったからである。
これはマーラーの作品が優勝した他の作品等に比較して稚拙であったから、と早計に断じることはできない。その経緯や批判は音楽学者に任せるとして結果的に彼は、このことがきっかけで作曲家としてのキャリアのスタートを断念せざるを得なかった。まだ交響曲第1番(これも最初はカンタータだった)を発表する前の、ウィーンでの学生時代のことである。
そのカンタータ「嘆きの歌」には、現在では数多くの録音が残されており、演奏会でもしばしば取り上げられるようだ。しかしその後の10曲の交響曲や歌曲に比べると、有名な度合いは明らかに劣るし、第一作品のストーリーも曲もほとんど知られていない。そしてそうであればあるほどに、この曲、すなわち作曲家自身が最後まで拘った初期の作品を聞きたくもなるものだ。
幸いなことに秋山和慶が東京交響楽団を指揮して演奏する定期演奏家でこの曲が取り上げられるとわかった時、私はチケットを買い求め、桜が満開のサントリーホールに出かけることに決めた。桜の咲くころのコンサートで思い出すのは、スクロヴァチェフスキーによる読売日本交響楽団のブルックナーだが、これについては別に機会に書こうと思う。
土曜日の夜にサントリーホールに出かけるのは、私にとって懐かしいことだった。かつて上京したての頃、よく在京オーケストラの定期に通ったものだ。定期会員になり、いつも同じ席で同じ人の隣で聞く珍しい曲の数々は、私に音楽生活の深みを与えた。私の隣に座っていた和服姿のご婦人は、どうしているのだろうか、などと思いながら開演の時間を待った。
この日のコンサートで秋山和慶はマーラーのカンタータ「嘆きの歌」を、オリジナル版で演奏することになっていた。このことが私を最終的にこの演奏会に向かわせた理由は、後年にバッサリと削除されてしまった第1部が演奏されるからで、これがないとこの曲の全貌を知る上であまりに不自然に思われたからである。だがそのことによって、この曲は全体で1時間程度にまで膨らみ、独唱は6人を数え、プログラムの前半にはブラームスの「悲劇的序曲」だけという事態となった。このブラームスの作品を丁寧に演奏したわずか十数分後には、早くも20分の休憩時間となった。
コンサートの目玉は「嘆きの歌」オリジナル版であることは明白だったが、この曲のほぼ完全な演奏は、この団体の高い演奏能力と合わせて長く記憶されるであろうという出来栄えであった。通常はP席と呼ばれるオーケストラ後方の席に並んだ混声合唱団と、フル・オーケストラからは、あのマーラーの音楽が見事に流れてきた。当時20歳そこそこだったマーラーには、すでにあの独特の根暗さを持った音楽が確立していた。記憶に残るフレーズや歌詞は、残念がら何もないという不思議な感覚ではあったが、全体に飽きることはなく、持続する緊張感とゆとりも感じさせる演奏は、立派なものだった。アマチュア的な「演奏してみました」的なものではなく、全体を見据え、聴かせどころを心得たプロフェッショナルなものが伝わってきた。
第2部と第3部では、舞台裏の別のオーケストラが鳴り、それと呼応する形で眼前のオーケストラが響きあうシーンが何度かあった。トランペットやシンバル、ティンパニなどで編成される舞台裏のオーケストラは、フォルティッシモで演奏してもかすかに聞こえるような効果を出すように指示されている。この音響効果は、後年の交響曲第2番をはじめとしていくつかの作品でも応用された。実際に見ているとその掛け合いのシーンが大変印象的であった。
この第2部と第3部だけを、しかも舞台裏効果付きで聞きたいだけなら、オリジナル版ではなく改訂版の演奏でも聞くことができる。ここで音楽は35分程度に短縮されているから、ストーリーを考慮しなければそれもまあありかと思う。少なくとも私は、第1部がどうしても聞きたいという風でもない。そしてオリジナル版が全盛のこの時代にあって、あのブーレーズによる新譜の録音(はマーラー全集の最後を飾るもので、しかも演奏は初演時のオーケストラでもあるウィーン・フィルだ)が何と改訂版として演奏され売られている。ザルツブルク音楽祭のライブ版CDは、現時点で最も新しい録音である(現在輸入盤のみ)。
私はさっそくこのCDを買って再度第2部以降を聞き直してみたいと思っている。なぜなら当日の演奏は、オーケストラと合唱の高水準な名演奏として記録にも残る(その演奏はCD録音されていた)ものだったが、どうにも曲の記憶が薄いからだ(おそらくそういうところがまだ未熟な作品なのだろう)。一度聞いただけではわからなかったこの曲も、(詳しいテキストは入手したプログラムに書かれているので)再度聞き直してみたいと思っている。そうしたくなるというのもまた面白い作品で、マーラーのあの雰囲気はすでに流れているが、かといって後年の作品のような確信的なマーラー節でもない音楽として、何か不思議な印象をだったという事実だけが、 私の心のなかに残されてしまっているからだ。
当日の出演者は以下の通りである。私にとって秋山の指揮を聞くのは1989年の神戸でのN響演奏会以来、2度目であった。
小林沙羅(S)、星川美保子(S)、小林明子(Ms)、富岡明子(Ms)、青柳素晴(T)、甲斐栄次郎(Br)、東響コーラス、東京交響楽団/秋山和慶(指揮)
最後に一言。いささか音色に癖のあるN響を別にすれば、在京のオーケストラの中で今もっとも演奏水準が高いと思われるのがこの東京交響楽団ではないか。こ
れまで私にはもっとも縁のなかったオーケストラだったが、先日の新国立劇場の「タンホイザー」や「アイーダ」といい、今回の「嘆きの歌」といい、なかなか
のものだった。私は他の演奏にもでかけてみたくなった。
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