シューベルト自身もこのような私的な音楽会で、自作を楽しんでいるようだ。1823年、26歳のシューベルトはSteyrという土地(リンツの近く)にある弁護士一家を訪ねた際、ある手紙に家庭的団欒の様子が語られているという。それによれば、シューベルトが「魔王」を、歌手のフォーグルが「父」、そしてそこの家庭のある娘が「少年」を分担して歌ったという(「シューベルト」(前田昭雄著、新潮文庫)。
そもそもシューベルトはどのくらいの歌曲を作ったかについては、明確なことはわからない。ドイチュ番号の付いているものだけでも600曲以上はあり、改作や行方不明のものも合わせると1000曲に達するという研究者もいる。その大半がドイツ語による短い歌曲(リート)で、シューベルトはこの分野を切り開き、「歌曲王」と呼ばれていることは中学校の音楽の授業で習った。
そのうち有名な歌曲のいくつかは、文豪ゲーテの作品に対して作曲されている。「魔王」はそのうちでも最も有名な「作品1」である。つまり出版された最初の作品、続くいくつかの作品も「一を紡ぐグレートヒェン」「漁師」などがあり、すべてを聞いたわけでは勿論ないが、「水の上で歌う」や「月に寄せて」など好きな作品、それに「野ばら」や「ます」「子守唄」のような誰もが知っている作品もあって興味はつきない(言うまでもなくこれらの他に三大歌曲がある)。
数多くの有名な歌曲の作品集には数多くの録音がある。イギリスの若きテノール、イアン・ボストリッジは、ピアニストのジュリアス・ドレークとともに多くの録音を残している。 その中でももしかしたら最初の録音が1996年のこのCDである。私は中古屋で見つけてたまたま買ってみたという程度だが、これが聞くほどになかなかいい(CD本体にはボストリッジのサインまであった!)。知らない曲を聞いたというのに、何か時間が止まったような懐かしい瞬間に出くわすことがある。かつて旅した古い街や自然の風景の断片を、どういうわけか思い出す。シューベルトの音楽は記憶の深いところに働きかけ、その一こまを他では思い出さない時に、脳の中から呼び覚ますのではないだろうか。
だがこれ以上、シューベルトの歌曲の新鮮で、時に深い魅力について書くことは、ほかでさんざん語り尽くされているのでやめておこう。これをきっかけにして、他の歌手の録音や、他の作品にも触れてみようと思った。だがゆったりと音楽に浸れる時間があまりないのも事実である。そういう状態で聞きたくはない。できればシューベルトがそうしたように、どこかの地方へ旅行して、溢れる自然の中で楽しんでみたい。初夏の眩しい日差しを浴びながら。
【収録曲】

2. ガニュメート
3. 春に
4. 月に寄せて
5. 野ばら
6. 旅人の夜の歌2
7. 最初の喪失
8. 漁師
9. 漁師のくらし
10. 夜と夢
11. こびと
12. 音楽に寄せて
13. 君はわがやすらい
14. 水の上で歌う
15. シルヴィアに
16. 連祷
17. 春のおもい
18. 林の中で
19. ミューズの子
20. 旅人の夜の歌1
21. 幸福
22. 魔王
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