今は亡きクラウディオ・アバドがミラノ・スカラ座を率いて来日した時、ともに来日したカルロス・クライバーに押されて評判は目立たなかった。中学生だった私はヴェルディの多くの作品の中にも、変わった名前の作品があるものだな、という程度にしか記憶しなかった。FMやテレビで放映され見入ったのは、クライバーの「オテロ」と「ボエーム」、それにアバドの「セヴィリャの理髪師」の順。だがこの時の来日公演こそ、我が国のオペラ上演史上語り草になっている歌劇「シモン・ボッカネグラ」の極めつけの公演だった(ようである)。それから30年以上が経ってまさか私が、まさか東京でこの作品に接するとは思わなかった。
私はこれまで、欧米の歌劇場が行う引越公演というものを敢えて避けてきた。オペラというのは、その土地や聴衆を伴ってこそ、生きた芸術となるものだと信じてきたからである。イタリアで夏の音楽祭に行ったことはあるし、ニューヨークでメトの公演は何度も見た。だが東京では、地元の新国立劇場や時折上演されるオペラ・カンパニーの上演に行くことはあっても、ヨーロッパ各地からやってくる歌劇場の公演には行くことはなかった。
チケットの値段が法外に高い、というのも大きな理由である。そしてこの引越公演が、数年に一度だったかつての日本ならともなく、今では毎年多くの劇場が、それも日本の観客を目当てにやってくる。主役に評判の歌手を招聘しただけの、有名作品のオペラ公演は、何万円も支払ってまで、東京の多目的ホールに出向く気がしない、というのがこれまでの気持ちだった。
だがリッカルド・ムーティがローマ歌劇場を率いて来日し、ともにヴェルディの作品「シモン・ボッカネグラ」と「ナブッコ」を指揮すると発表された時、ついに私もこの慣例を打ち破る決心をせざるをえなかった。それどころか私はどちらの作品のチケットを買うべきか、さんざん迷った挙句両方の公演を申し込むという事態にまで発展したのである。昨年12月の先行予約受付の当日に、私は両方の公演のF席チケットを申し込んだ。結果は「シモン」のみ当選。そして「ナブッコ」はついに法外と言われるような値段(それでもポール・マッカートニーよりははるかに安いB席だが)を買ってしまったのである。
ついに今日は東京文化会館で「シモン・ボッカネグラ」の一連の初演に接することになり、私はほとんど初めて耳にしたような、これこそまさにヴェルディというような音樂と歌に瞠目することとなった。多くの公演に接している方にすればまた別の意見もあるかと思うが、私にとってはおそらく一生に何度もないような極めつけの公演であったと言って良いだろう。
それは幕が開いてプロローグの冒頭で聞いた第一声からして明らかだった。どの人物も非常に張りのある声で聴衆を魅了したからだ。声の魅力を味わうこの作品にあって、主役級歌手は実に5人も必要とする。そのうち4名が男声である。すなわちバリトンのシモン・ボッカネグラにジョルジョ・ぺテアン、娘の恋人でテノールのガブリエーレ・アドルノにフランチェスコ・メーリ、シモンの政敵でバスのヤーコボ・フィエスコにドミトリー・ペルセルスキー、さらには悪役のパオロ・アルビアーニにマルコ・カリアという布陣である。紅一点、アメーリアには当初、バルバラ・フリットーリが歌うとされていたため、丸でダメ押しを食らったようにチケットを買った客は多かったと思う。だがこれはアテが外れ、エレオノーラ・ブラットに交代してしまった。
とにかくプロローグを聞いただけで、その歌声の充実ぶりには目を見はった。シモンとフィエスコの長い二重唱は、私をヴェルディの世界へと誘った。男声が数人登場して台詞を歌うという、低い声のやりとりだけでこのオペラの80%は成り立っている。一人でも歌手が揃わなければ、おそらく聞いてられない作品ではないかと思う。けれども観客は静かに、格調高い舞台に目を奪われたに違いない。エイドリアン・ノーブルの演出は極めて品が良く、作品を邪魔することなく控えめでありながら、それでもなお、主要な部分ではとても印象的だった。
プロローグと第1幕の間の舞台の展開と、第1幕の第1場と第2場のに、休憩時間はなかった。私はどちらかに休憩があっても良かったのではないかと思った。ムーティは指揮台脇に腰掛け、この時間を静かに待っていた。少し狭い東京文化会館の座席を考慮すると、よりゆったりとした時間が期待された。主催者はおそらく、舞台の緊張感が維持されなくなることを恐れたのであろう。
第1幕冒頭で登場した唯一の女性ブラットは、少し緊張気味に見えた。そのことが表現の幅を狭くしてしまっていたように思われた。結局、このアリア「暁に星と海は微笑み」は、安定を欠いた彼女の独走気味だったように思える。もう少し柔軟な表現、例えば愛情に飢えたような表情付けが欲しかった。けれども彼女はその後次第に調子を上げた。結果的に芯の強い、それでいて父親を心から愛する美しい女性になった。他に女性歌手がいないことも有利に働いたと思う。彼女の声は、多くの男声に混じった時にひときわ綺麗に輝く夜空の一番星となった。
4人の男声はそれぞれ、歌声に特徴がなければならない。このうち外題役のシモンは、いわゆるヴェルディ・バリトンの真骨頂という側面が強い。総督としての威厳というよりはむしろ、ひとり娘のことで頭がいっぱいの父親である。とりわけ叙情的な歌が多いこの役には、はまり役というのがあるのだろうと思う。だが特に第2幕以降では、毒を盛られてふらつきながらも、力強く歌う必要がある。ペテアンはそういう意味で、私にとっては十分な合格点であった。
フィエスコのバスの歌は、このオペラの中でも特に好きなものである。貴族系の彼はシモン以上の気高さと、そして知的で理性的な声が要求されている。私はもしかしたらこのオペラの主役はフィエスコではないかとすら思っている。フィエスコとシモンの長い対話、すなわちバスとバリトンの二重唱は、このオペラの最初と最後に置かれており、対をなしている。前者が対立を描き、後者が和解を謳っている。この両方のシーンが最大の見どころであると思う。
同じバリトンでも悪役のパオロは、シモンのように叙情的な声であってはならない。オテロのイヤーゴを思い出させるような役に、ヴェルディと台本作家のボーイトは24年後の改訂で思い切った表情付けを行った。私にはリゴレットのスパラフチレを思わせもするが、このようなヴェルディの改作によって、この作品が引き締まったと思われる。今回のパオロはその意味で、少し力不足のような気がしたが、それは他の歌手がそれ以上に良かったからだろう。
テノールのメーリについては、私は最大級の見応えがあったと書かざるを得ない。ここでの彼は、もうこの役のうってつけであるばかりか、これ以上の出来栄えを考えることすらできない。すなわち、第2幕における独白「我が心に炎が燃え」は、今回の上演中最大の見どころだった。
第1幕でシモンは、孤児として育てられた娘に再会し、感動的に喜びを歌う。一般に「シモン・ボッカネグラ」の最も大きな見どころは、この第1幕第1場であると言われている。だが「アイーダ」が凱旋のシーンを終えてなお、聞き所が続くのと同様に、「シモン」の第1幕第2場以降の見どころにも事欠かない。私にとってピンと来ないテーマである「父と娘」のシーンだが、それにしても客席に女性が多いのは意外である。こんなに男心を延々と歌うオペラは他にあるだろうか。「蝶々夫人」や「椿姫」が変わりゆく女心を歌うと多くの男性が魅了されるように、このオペラには女性を惹きつける要素があるのかも知れない。だが前者が恋愛の中にある心の変化であるのに対し、後者はもっと家族的なメロドラマである。もしかしたらオペラに求めるものが、男女で異なっているのかも知れない。
そしてヴェルディは、この時期からオペラを、娯楽作品としての趣きを越えた要素を付け加えることを、自らの作風に選ぶことになった。それは彼の、自然な、確信に満ちた傾向であった。いやそうせざるをえなかったのではないか。結局そのような人間ドラマに向かうことでしか、後年のヴェルディは満足できなかった。それは徹底的にリアルなもので、その点でヴェルディの描く世界は、私達の心の日常的な内面にも届くものになった。どういった題材を選ぼうと、彼の視点はそこにあった。「シモン」はつまり、実在の中世の人物を題材にしながらも、極めて人間臭いオペラである。
第2幕でシモンは、アドルノに自分のかつての姿を見出したに違いない。つまりは政敵の娘に恋してしまったのだ。だが時はすでに遅かった。シモンが床に倒れ、折り重なるようにアメーリア(マリア)が介抱しようとする時、合唱が高らかにボッカネグラを讃え幕切れとなる。力強いムーティの指揮は圧巻といって良く、舞台に何度も現れたこの大指揮者に圧倒的な歓声が沸き起こった。
私の手元にはもう一枚、来週の「ナブッコ」のチケットがある。こちらは若きヴェルディの情熱が炸裂する大好きなオペラである。この舞台はおそらく一生のうちでも、最大の思い出になるであろうことを今から想像し、とても楽しみである。
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