シューマンの交響曲第2番は、第4番のあとに書かれた交響曲である。この作品はシューマンの精神的な病いの中で格闘しながら作曲され、その精神状況が音楽に表れているという。だからそのような感情の起伏を表現した演奏が、よりロマンチックであり、そして時には痛切であるという。
だが私がそのような「基礎知識」を仕入れたのはずいぶん後になってからのことで、それまでに私は、交響曲第1番「春」や第3番「ライン」の、明るく快活な音楽がとても気に入っていたし、フルトヴェングラーのモノラル録音で聞く第4番の演奏は、まことに気宇壮大で迫力があり、ロマン派の音楽も後期に入るとこのような充実を見せるのか、と単純に感激していたものだ。
第2番はそのような経験を経たのち、比較的後になって聞いた記憶がある。全集で買ったCDの中で、随分地味な存在だったように感じたこの曲を、とりたてて深く聞いたことなかったのである。けれどもそのような交響曲第2番が、なぜかとても目立つ存在となった2つの演奏があった。
若くして倒れたユダヤ系イタリア人指揮者、ジュゼッペ・シノーポリはデビュー当時、ウィーン・フィルとこの曲を録音して、とても評判になったのがそのひとつである。若い指揮者(たしか記憶では29歳)がウィーン・デビューをすることはそれまでにもたまにあったが、よりによってシューマンの、それも交響曲第2番という曲を選ぶというのが、とても珍しく新鮮だった。その当時の録音のノートには、彼自身が精神医学の専門家で、シューマンの作曲当時の状況が音楽に反映したという分析が記されていたから、シノーポリの演奏は(やはり同じ時期に発売されたシューベルトの「未完成」と同様)、極めて個性的であるながら独特の説得力があったのである。
けれども私は当時、シューマンの交響曲をそれほど深く知らなかったし、まして第2番の演奏が「分析的」であるなどと言われても、もうひとつピンとこなかった。この演奏はむしろ、ウィーン・フィルのみずみずしい音色に感銘を受け、割に一生懸命演奏している(と思われる)真剣な姿が目に浮かぶようで、そのことがまず印象的だった。音にメリハリがあり、テンポも揺れるとはいえ、伝統的なロマンチックな演奏とも一線を画す演奏は、今ではさほど斬新さを感じないが、当時はちょっとした斬新な演奏だったと思う。
もう一つの第2交響曲の思い出は、バーンスタインが死の直前、札幌でこの曲を若者のオーケストラ相手に真剣な指揮をする姿をテレビの追悼番組で見たときである。涙を流しながらその第3楽章を指揮する姿は、シューマンの作曲当時の、まるで死の淵をさまようような感情を再現しているようで、恐ろしく痛々しく感じたものだ。この曲が好きだ、と語るバーンスタインのやつれた姿は今でも目に焼き付いているが、この作品はそんな気持ちにさせる作品なのか、などと思ったりしたのだ。
だがいま聞く第2番の交響曲は、私にとってそれほど深い痛切な痛みをもたらしてくれるわけではない。もし自分が生死の間をさまようような時に、この曲を聞いたら、もしかすると自殺しかねない状況に陥るかも知れない。が、シューマンは作品としての音楽を作曲し、メンデルスゾーンによってライプチヒで初演された。マーラーの後期作品を聞いても思うのは、いかに狂気じみ、時に死の淵にあろうと、作曲というような行為ができるうちは、まだ理性的であるというのが私の経験的な感想である。
だから私は、この曲を聞くことができる精神状態にあるときには、 この曲を普通の気持ちで聞いていたいと思う。シノーポリの演奏も若々しく、活気に満ちている。ウィーン・フィルの音色が見事にとらえられており、いま聞いても古い感じがしない。この演奏と、存在自体は目立たないが無視してしまうにはあまりにもったいないハイティンクの演奏が、私の現在のお気に入りである。
(シノーポリは2001年、ドレスデンで「アイーダ」を指揮中に心筋梗塞で倒れ、55歳の若さで亡くなった。マーラーやヴェルディの演奏で快進撃を続けていた矢先の突然の訃報であった。多忙を極めた末の過労死ではなかったかとささやかれた。マーラーも晩年、あまりに多忙でそのことが死期を早めたのではないかと思う。そう言えばメンデルスゾーンもまた、仕事のし過ぎであったと思う。これらユダヤ系の音楽家に共通するのは、寿命を縮めるほどに精力的であるという点だ。)
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