ハイドン晩年の「ロンドン交響曲」へと進む前に、協奏交響曲を取り上げねばならない。この作品はホーボーケン番号においては、第105番目の交響曲ということになっているが、作曲年代から丁度第1期ザロモン・セットの前に聞いておこうと考えた次第である。だが実際にはこの作品は、ハイドンの滞英中に書かれ、演奏もされている。当時流行したスタイルで人気を博したことが、知られている。
協奏交響曲変ロ長調の独奏楽器を受け持つのは、ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、それにファゴットの4つの楽器である。3楽章構成で書かれ、協奏曲に分類する評論家もいるようだが、まあそんなことはどうでも良くて、派手ではないもののしっとりと独奏が管弦楽に絡み合う様が、手に取るようにわかる作品である。
第1楽章は聞けば聞くほどに味わい深いが、第2楽章でもしっとりと落ち着いた静かな曲である。この時期の交響曲の壮麗で大規模な曲とは異なり、やはりこれは独奏楽器の扱いに主眼を置いた作品であることは明らかであろう。
レナード・バーンスタインは70年代から始めるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との蜜月時代に、古典派からロマン派に至るドイツ・オーストリア系の作品を一通り録音している。モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、それにマーラーなどである。だがここにまたハイドンも含まれていることを忘れてはならない。
バーンスタインの録音はすべてそうだが、ウィーン・フィルの重厚で艶のある響きを最大限に引き出し、独特のロマンチックな演奏が聴くものを新鮮な感動へと導いた。ユニークでストレートだが、それがまたバーンスタインの持ち味だった。ハイドンの一連の交響曲もモダン楽器全盛時代の最後の輝きを放っている。そのような演奏は、カップリングされている「驚愕」交響曲でもわかるように今となっては少しけだるいのだが、この協奏交響曲だけは少し事情が違う。独奏楽器が活躍する室内楽的な軽やかさは、それぞれの楽器の個性を自由に発揮させるなかに、ひとつのまとまりを形成している。それはウィーン風のハーモニーであり、それこそがバーンスタインがこのオーケストラに期待するものだったと思う。そういう意味でこの曲のこの演奏は、まさにバーンスタインとウィーン・フィルが見事に競演した、喜びに満ちた演奏である。
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