2014年11月15日土曜日

モーツァルト:オペラ序曲集(オトマール・スイトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン、コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

まだオペラをほとんど知らなかった頃、私のオペラとの接点は序曲集のLPだった。最初に自分の小遣いで買ったレコードが、ブルーノ・ワルター指揮のモーツァルト「序曲集」で、ここには厚ぼったいコロンビアの録音で、いくつかの序曲に加え、「アイネ・クライネ・ハナトムジーク」、それに「フリーメイソンのための葬送音楽」が収録されていた。

中学校が終わって地元の小さなレコード屋(それは小さなレコード屋だった)に出かけ、どういうわけかこのLP廉価版を買ってきた。友人と初めて針を落とした時の感動は忘れられない。このとき、私は「劇場支配人」や「コシ・ファン・トゥッテ」といった始めて聞く序曲の快活な魅力に取りつかれた。「フィガロ」くらいしか知らなかった私と友人は、このようにしてモーツァルトのオペラの世界を始めて体験した。

モーツァルトのオペラ序曲集は他にも数多く売られており、その後CDの時代になって買いなおしたものが、我が国でも有名な指揮者オトマール・スイトナーがシュターツカペレ・ベルリンを指揮したシャsルプラッテン盤と、デジタル時代になってイギリスの巨匠がドレスデンに移り、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したRCA盤である(もちろんワルターのも買いなおした)。

スイトナーの演奏は、思いのほか素晴らしく、曲が有名曲9曲に限られているが、収録すべき曲はすべれ収録されていることに加え、曲順が作曲順であることからごく自然に、モーツァルトの序曲の素晴らしさを堪能できる。スイトナーはいずれの曲も、オペラの序曲であるということを自然に表現しているように思う。だからあの有名なフレーズが静かに終わると、スッと幕が開いて第1幕冒頭の音楽につながっていく感じがする。そう、そのフレーズが流れてほしいと思うのだが、このCDは序曲集なので、次の序曲に移る。何とも残念な気持ちを抱きながら、次の序曲の素晴らしさに、一気に引き込まれていく。

東ドイツにおいてドレスデンとベルリンを股にかけたスイトナーは、存在こそ地味であったが大指揮者といってもいい存在で、NHK交響楽団にも何度も客演し、数多くのオペラの録音を残している。けれどもベルリンの壁崩壊後にはその活躍は一気に消失し、誰にも知られない指揮者になってしまった。丁度スイトナーがなくなった2010年頃に書いたくだらない文章が見つかったので、最後にコピーしておこうと思う。あと、スイトナーのモーツァルトで言えば、N響を指揮したレコードが売られていて、「ハフナー」だったかの演奏に親しんだ。これも懐かしい思い出である。

【収録曲】(スイトナー盤)
・歌劇『にせの女庭師』序曲
・歌劇『イドメネオ』序曲
・歌劇『後宮からの逃走』序曲
・歌劇『劇場支配人』序曲
・歌劇『フィガロの結婚』序曲
・歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲
・歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』序曲
・歌劇『魔笛』序曲
・歌劇『皇帝ティートの慈悲』序曲


さて、このスイトナーの演奏は残念なことに、有名な作品の序曲しか収録されていない。まあそれでもいいと言えばいいのだが、もう少し、収録されていてほしかった曲がある。それで、第2番目の所有盤として、コリン・デイヴィスの演奏もまた私のコレクションの一つになっていることを書かねばならない。

この演奏はオペラの序曲としてよりも、ひとつひとつが独立した管弦楽曲のように演奏されている。だが決して手を抜いているわけではなく、まじめに、しかもドレスデンのオーケストラの魅力を引き出しているので、重厚感もあってなかなか良い。ただ惜しいのは、収録の順序が理解不能である点だ。これに対しては、CDプレーヤーで曲順を指定することができるし、iPodでもシャッフル再生が可能なので、どうにでもなるといえばその通りなのだが、わざわざモーツァルトの作曲順に並べなおして聞くほどのものでもないのでそのまま聞いている。「イドメネオ」が特に素晴らしいが、携帯プレイヤーにコピーしてイヤホンで聞くと、スイトナーの録音よりもやはり素晴らしいと感じる。

序曲集として売られているのは、他にもあるかもしれないがこれで十分だ。それよりもモーツァルトのオペラは、やはりこの序曲のあとにも、あの豊穣で才気あふれる音楽が、湧き出るように聞こえてこないとどうもしっくりこない。改めて思うのは、序曲集を楽しんでいた時代は、もうすっかり過去のものとなってしまったということだ。

【収録曲】(デイヴィス盤)
・歌劇『フィガロの結婚』序曲
・歌劇『バスティアンとバスティエンヌ』序曲
・歌劇『劇場支配人』序曲
・歌劇『ルーチョ・シルラ』序曲
・歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』序曲
・歌劇『にせの女庭師』序曲
・歌劇『後宮からの逃走』序曲
・歌劇『羊飼いの王様』序曲
・歌劇『イドメネオ』序曲
・歌劇『皇帝ティートの慈悲』序曲
・歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲
・歌劇『魔笛』序曲

なおモーツァルトは全部で21曲ものオペラを作曲している。これでもまだ半分程度ということになる。

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NHK教育テレビで毎週日曜日に放送されている「N響アワー」は、私が子供のころからコンスタントに見ている数少ない番組のひとつで(いまひとつは「アタック25」である)、本日の放送は先日亡くなった名指揮者オトマール・スイトナーの追悼番組だった。

1989年が最後の来日だったとうことで、あいにく私は実演を聞く機会を持てなかった。しかしテレビやFMで放送される「いつもとは少し違うN響」に見 入ったことはよく覚えており、私もスイトナーのモーツァルトのCDは何枚か持っている。まだドイツが東西に分かれていたころ、東ドイツを代表する2つの歌劇場、すなわちベルリンとドレスデンの2つで代表的な指揮者だったこの人は、しかしその田舎風の風貌とドイツ物しか振らない姿勢で、いわゆるスター指揮者 とは一線を画した地味な存在だったと思う。テレビではブラームスの交響曲第3番やウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲が放送されたが、いずれもスイトナー の特徴がよく出た演奏だったと思う。それは指揮棒が動いてから少し経ってオーケストラが底の力を出す、という感じの演奏で、ドイツ風と言えば一言だが、ス イトナーの場合、音の線が水平にも垂直にもスッキリと前に出るので、聞いていて新鮮な気持ちになるのである。

この特徴が良く出るのがモーツァルトであったと思う。私のコレクションの演奏については、また別の機会に触れたいと思うが、テレビで見ていて印象に残ったのはブラームスの練習風景で、何でも「ブラームスは大阪的ではなく北海道的な曲なのです」と言ったシーンであった。

北海道出身の女性と結婚し、かの地を何度も訪れている大阪生まれの私にとって、この一言は何とも意味深長なもののように聞えた。それにしてもスイトナーとN響の組合せの、最後の演奏がもう20年も前だったとは驚きである。映像も録音も冴えないので、わざわざ録画する気は起こらなかったが、評判だったベートーヴェン全集 から「田園」のCDくらいはもう一度聞いてみたい気がする。

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