
各楽章が続けて演奏される。楽章間が同じ和音を伴ってつながっていく様子は見事であり、特に第3楽章から第4楽章にかけてのクライマックスはベートーヴェンの第5交響曲を思い出させる。ここの盛り上がりを初めて聞いた時、私は身震いに似た感覚を覚えた。その時の演奏は今でも歴史的とされるウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮によるもので、亡くなる前年の録音。オーケストラはベルリン・フィルだった。
この演奏はモノラル録音であるが、異様なまでのロマン性と骨格のしっかりしたフォーム、それに情熱的なパッセージなどその魅力は尽きることがない。おそらくフルトヴェングラーの残した録音の中でも極めて完成度が高いものだと思われる。この演奏の魅力について書かれた文章は枚挙に暇がないほどだから、私はもう少し最近の演奏を取り上げたいと思う。デジタル録音された80年以降の演奏の夥しい数の中で、もっともその演奏が似ていると思うのが、レナード・バーンスタインによる演奏だろうと(すべてを聞いたわけではないのだが)思っている。
バーンスタインとシューマンの相性は非常によく、そこにウィーン・フィルのふくよかで豊かな響きがプラスされて名演奏となっている。ライブ録音された演奏はきりりと引き締まっていながら情熱を忘れてもおらず、 指揮台を踏み鳴らすようなバーンスタインの姿が目に浮かんでくるようだ。もしかするとその息遣いも捉えていよう。特に終楽章は燃えている。たしかFM放送でこの演奏に接して以来、私はこの演奏を手に入れたいと思った。「春」とカップリングされ、後に全集となった一連のセッションはブラームスやベートーヴェンと同様、映像にも収録され、このコンビの黄金期を伝えている。
序奏の深く沈んだようなメロディーから第1楽章の主題が聞こえてくるあたりや、それが重厚な中にも大きな推進力を持って進むさまはドイツ音楽の真骨頂だろうと思う。第2楽章のロマンチックな旋律や第3楽章のスケルツォとそれに続く圧倒的なフィナーレ。ここまで書いてきて思うのはこの曲が30分程度と短いながら、無駄な部分のほとんどない完成度を感じさせる点である。ベートーヴェンの交響曲がそうであるようにこの曲もまた、演奏を云々する以上に曲が素晴らしいということに尽きる。どんな演奏で聞いてもそこそこ満足な上、その表現上の違いもまた曲の魅力ゆえなのだろうと思う。ライブで聞いたこの曲としては、パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを率いて来日した際のものが、少人数編成でありながら大いに感銘を受け心に残っている。