音楽の中心がウィーンに移るまでの間はイタリアこそが音楽の中心で、ヘンデルもモーツァルトもイタリアに学んだ。音楽家にとってイタリアは、一度は訪れたい地であった。このイタリアへの憧憬はロマン派になっても続き、ワーグナーもチャイコフスキーもイタリアを旅行先に選んでいる。そしてドイツ生まれのメンデルスゾーンもまた、そのような一人であった。
メンデルスゾーンは1830年頃ローマを訪れ、交響曲「イタリア」の着想を得たとされている。後に作曲される第3番「スコットランド」と並んで、旅行先を副題に持つ交響曲のカップリングはLPの時代からの定番であった。私が最初に親しんでメンデルスゾーンの交響曲もまた「イタリア」であった。最初に聞いた演奏は確か、ジュゼッペ・シノーポリが指揮した演奏で、クラウディオ・アバドの有名な録音と並びイタリア人によるイタリア風の演奏という触れ込みだった。
もっとも最高の演奏は今もってアルトゥーロ・トスカニーニによるモノラル録音であることに疑いはない。また伝統的にメンデルゾーンはその活躍した国でもあるイギリス人による演奏、たとえばコリン・デイヴィスも得意としているし、ペーター・マーグやオットー・クレンペラーに代表されるドイツ風の演奏もまた、作曲家がドイツ生まれであることを考えると当然悪くはないだろうと思う。
第1楽章の沸き立つようなリズムは聞く者をこれほどうきうきさせるものはない。そうか、これがイタリアか、などと中学生だった私は思ったものだ。 以来私のイタリア好きはいまだに一度も終わっていない。かの地を3度旅行したことがあるがそのうち2回は猛暑の8月で、1回は1月だったが毎日快晴の日々の連続で、私はイタリアと言えば、澄みきった空と明るい太陽、静かで陰影に富む旧市街の街並み、赤い屋根となだらかな丘、陽気だが機智に富むイタリア人、音楽と絵画と料理、しゃべりだしたくなるイタリア語のリズム。そういったものがミラノの広場、ヴェローナの音楽祭、ヴェニスの運河、フィレンツェの裏通り、シエナの教会、ローマの遺跡、ナポリの喧騒などとともに脳裏に焼き付いている。
メンデルスゾーンもまたイタリアに憧れ、その魅力に取りつかれた。この交響曲は「Italienisch」となっているから「イタリア風」とでも訳すべきだろう。明朗で浮き立つような第1楽章だけでなく、どことなく懐かしい第2楽章、穏やかな第3楽章、それに「サルタレロ」と題された舞曲風のメロディーが横溢する終楽章まで魅力が尽きることがない。
私はこの曲が好きだが、どういうわけか最高の演奏に出会うことは少ないような気がする。トスカニーニの演奏が強烈過ぎるからだろうか。そのような中で私は90年代にヘルベルト・ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を指揮した演奏のCDを、わがラックに持っていたことをすっかり忘れていたのは意外だった。久しぶりに聞きなおしてみるとその演奏は、明確な安定性と推進力を程よく持ち合わせ、録音も秀逸でなかなかの演奏なのである。サンフランシスコ交響楽団の木管のパートがこれほど魅力的だとは思わなかった。そしてカップリングされた「スコットランド」と合わせると、この組合わせのベストであると思うに至った。
梅雨が明けて今年も暑い夏がやってきた。雲ひとつない東京の空に強風が吹き抜け、猛暑とはいえそこそこ過ごしやすい夏の午後。木漏れ日がきらめく神宮外苑の並木道を自転車で走りながら、私はまたこの季節が来て良かったと心躍らせている。もちろんメンデルゾーンを聞きながら。
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