ゲルギエフもPMFオーケストラも初めてだった。周知の通り、ゲルギエフは今や世界で最も多忙な指揮者のひとりだが、マリインスキー劇場との来日公演などは法外にチケットが高く手が出ない。一方、PMFオーケストラは札幌で毎年開催される「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌」に参加する世界各国の若者で構成されるオーケストラで、一流オーケストラの首席級奏者によるレッスンが終了すると、毎年東京でコンサートを開いている。
レナード・バーンスタインによって始められ、今年で丁度30周年にもなるというPMFの音楽監督は、現在、ワレリー・ゲルギエフである。ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのコンサートは、聞こうと思えばこれまでにも聞くことはできた。けれども何故か私には縁がなかった。暑い夏の日に、クラシックのコンサートに出かける気持ちが起こらないのもその理由だった。だが今年は違った。
その理由は、おそらくプログラムだったのだろう。ショスタコーヴィチの交響曲第4番がメインだったからだ。全15曲の交響曲の中でも最大の規模を誇り、その演奏の難しさでは他の作品を抜いているのではないかと思われる曲を、私はかつて一度だけ聞いている(シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団)。この時は広いNHKホールの舞台いっぱいに並んだオーケストラから轟く圧倒的な音のパワーに、ただただ驚くばかりの1時間だった。よくもこんな曲を、演奏ができるものだと素人ながら感心した。演奏が終わるや否や、舞台から安堵のため息が3階席にまで聞こえた。
そんな交響曲第4番は、1936年頃に作曲されながら当局の締め付けを恐れて初演を中止し、結局、1961年になって初演されるという数奇な運命をたどる。日本初演はもっとあとになって1989年である。今ではショスタコーヴィチ作品の演奏も一般的だが、かつては一部の曲しか知られることはなかった。現在のように人気を博するようになったのは、1990年代以降ではなかっただろうか。この曲は私もヤンソンスが指揮するバイエルン放送響のCDを1枚だけ持っている。
もう一度、ショスタコーヴィチの交響曲第4番が演奏されたら聞いてみたいと思っていた。もちろん今では毎年のように演奏されているようだが、できれば一流のオーケストラで間近で見ながら聞いてみたいと思っていた。そうしたらなんと、ゲルギエフが指揮するではないか!これを逃す手はない。PMFオーケストラの実力は未知数だが、若手とは言え実力派揃いのプレイヤーは、一生懸命な演奏をするはずで悪かろうはずがない。嬉しいのはチケットの価格で、S席でも9000円と1万円を切っている。しかもチケットは沢山売れ残っている。
だが私は、このところの体調を心配して前日までチケットの購入を躊躇していた。翌日にも会社の友人と出かける予定もあるし、それに梅雨が明けてからというもの、東京では連日35度を超える猛暑が続いている。熱波の中で聞くショスタコーヴィチも悪くはないが、こちらの体力が心配だった。一か八かで息子に興味はないかと誘ってみても、つれない返事。彼はそれよりも野球観戦に興味があり、この日も千葉でロッテ対オリックスの試合を見に行くのだと言っている。もそもとクラシック音楽などに興味がないのだ。妻も弟も用事で行けないという。だから、今年も諦めようか、そう思い始めていた。
ところが前日夜に帰宅してみると、驚いたことに息子の方から、コンサートに行くよ、との返事が返ってきた。これには私も驚き、そして嬉しくなった。こうなったら行くしかない。さっそく「ぴあ」をはじめとするチケット予約サイトにアクセス。ところがどうだろう。どのサイトを見ても「予定枚数終了」との表示が出ているではないか!結局、ゲルギエフのショスタコーヴィチともなると、直前に人気が上昇し、一気に売り切れてしまったのだと思った。翌日の川崎の演奏会はまだ売られていたが、こちらには行く事ができない。最近はTwitterなどが流行し、SNSなどで前日の札幌の演奏会の様子などが直ちに「拡散」したため、おそらく評判が知れ渡ってしまい、迷っていた人が一気に購入に踏み切ってしまったのだと思った。
仕方がないから、無謀でも翌日にサントリーホールに電話して、万が一チケットが手に入ったら行こう、と話し合って会社へ出かけた。ところが10時に電話をしてみると、余裕の枚数が当日券として発売されるとのこと。しかも25歳以下なら3000円になる割引チケットもまだあるらしい。私は大急ぎで息子に電話し、学生証を持って18時に会場へ来るように告げた。
当日券が売る出されると、なんとB席の並びの席が確保できた。舞台に向かって右側の2階席で、真横からオーケストラを見下ろす位置は悪くない。指揮者もよく見えるし、ずらりと並ぶ打楽器も真下に見える。そして驚くことに会場は8割にも満たない入り。ちょっと信じられないが、それにしても嬉しい。開演までの時間をサンドイッチなどを食べながら過ごす。まるで香港にいるようなまとわりつく暑さと湿気。にもかかわらず背広姿の人が目立つ。
プログラムの前半はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と、今年のチャイコフスキー・コンクールの覇者、マドウェイ・デョーミン(フルート)を迎えてのイベールのフルート協奏曲であった。ドビュッシーの静謐な音楽は、ほれぼれするような美しさで私を音楽に釘付けにした。聞いている場所が正面なら、もっと良かったと思う。音と音の重なり、溶け合い。ドビュッシーの音楽の聴き方が、初めてわかったような気がした。このオーケストラはなかなか聞ける。
続くイベールは、もう何というか、目まぐるしく変化するフルートを聞いていたらあっという間に終わってしまった目の覚めるような演奏。かつてパユで聞いたハチャトリアンを思い出した。世界最高の部類に入るフルートだと思う。
私の席の左手にあるS席部分には空席が目立ち、こんないい席なのに誰もいないのはもったいないなどと思っていたら、何とそこにSPが立ち始めた。休憩時間にトイレの前の通路が封鎖され、私の席に前にカメラマンが大挙して入って来た。PMFの広報かと思いきや、それにしても人数が多い。やがてアナウンスがあって、何とそこには上皇、上皇后ご夫妻がお見えになるという。会場から拍手が起き、ゆっくりと歩みながら手を振られる。すでにオーケストラは舞台上でスタンバイ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番などという作品を、皇室の方もお聞きになるのかと思った。今年天皇を退位されて初めてご覧になるコンサートではないだろうか。
いつになく空気が引き締まって緊張感に包まれた舞台にゲルギエフが登場。やがて舞台からほとばしり出る轟音にも似た行進曲風のリズム。舞台の人数は前半の倍以上に膨れ上がり、その音は耳をつんざくような大きさ。心臓に悪いような地鳴りが響く。スターリンの恐怖政治の下で作曲された若い作曲家の音楽は、メロディーというものをほとんど持たない。そして弦楽器を中心とした恐ろしいまでの技巧的なアンサンブル。それをゲルギエフは指揮台にも乗らず、手慣れた様子で指揮をする。
ただ驚いたのは、ゲルギエフも楽譜を見ていたこと。そして爪楊枝のような短い指揮棒を持っていたことである。ゲルギエフは終始手だけで指揮するのだと思っていたし、この曲は十八番中の十八番なので、普通はスコアを見ないと言われていた。とても慎重に、満を持して演奏する必要があったのだろう。そしてそれに応えるオーケストラの見事さ!そのメンバーには、客演としてシカゴ交響楽団他から数名が混じっていた(ティンパニ、ハープ、パーカッション)。
1時間にも及ぶ怒涛のような曲を、一瞬たりとも集中力を絶やさず演奏する迫力は、何と例えたらいいのかわからない。思いつくままに、そのソリスト部分の圧倒的なテクニックを思い出す。まず、イングリッシュ・ホルンを担当した女性の幾度にも及ぶ長いソロ。それからトロンボーン。この楽器がかくも美しく弾かれたのを知らない。第3楽章でのまるで協奏曲のようなシーン。それからホルンの第1奏者。彼は安定したテクニックで、いつも日本のオーケストラで聞くときのような不安定さが皆無である。そしてピッコロ!ピッコロのような楽器が、フルートの延長のように優美に、割れずに、美しく、そして器用に響き、ショスタコーヴィチに不可欠な、あのメロディーを弾き切る。さらにファゴット。難しい音階の連続を、ほぼ満点の出来栄えで聞くものをノックアウト。さらにはオーボエ、クラリネット、ティンパニ…。
弦楽器セクションの難しさは圧倒的である。CDなどで聞くとよくわからないが、これは見ながら聞くと手に取るようにわかる。兎に角、60分間私は文字通り舞台に釘付けられ、体は硬直し、しばしば音楽に身をゆすった。第1楽章はソナタ形式であることもわかったし、第2楽章の諧謔効果は、マーラーの影響だと言われている。そして長い第3楽章の変奏曲は、しばしば楽器を変えた「オーケストラのための協奏曲」といった感じで聞くものを興奮に包む。
静かなコーダが終わるときの、奇跡のような時間について最後に書いておこうと思う。ゲルギエフは演奏が終わっても手を降ろそうとしないばかりか、それから随分しばらくたって、まず右手を極めてゆっくりと下ろし、続いて左手を慎重に下ろした。この間、1分ほどあったのではないか。これほど長い時間、誰も物音を立てず、会場が静まり返ったのを体験したのは、私は生まれて初めてだった。静寂もまた生の音楽の重要な構成要素なのだと思い知らされた。
やがて割れんばかりの拍手が起き、奏者を一人一人立たせてゆくと、地響きのような拍手が津波のように押し寄せた。オーケストラが抱き合って成功を喜び、その大半が立ち去っても拍手は鳴り止むことはなかった。そして拍手は、両陛下の退場にまで続く。何度も振り返っては手を振る陛下。私はもうショスタコーヴィチの作品をこれ以上の感動を持って聞くことはないかも知れない、と思った。と同時に、それで満足だ、とも思った。令和元年の真夏の一日に、私は一生忘れることのできない音楽体験を、またひとつ増やすことができた。
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