
けれどもそれは昔の話。今ではストリーミング再生が全盛の時代となって、毎月いくばくかの料金を支払えば、聞き放題のサービスが沢山ある。そのうちのひとつで検索すれば、たちどころにいくつかの録音に出会うことができる。そして私は既に、ペーター・レーゼルがピアノを弾き、ヘルベルト・ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した一枚を持ってはいたけれど、さらにもう一種の素敵な演奏に出会う事ができた。ゲルハルト・オピッツがピアノを弾き、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団によるRCA録音である。メジャー・オーケストラによるメジャー録音は、これくらいしか見当たらななかった。あとひとつは、強いて挙げるとすれば、ナクソスが録音したアイルランドのオーケストラによる一枚(ピアノ:ベンジャミン・フリス)で、この二つの演奏は対照的である。
ウェーバーの古典的な側面をよく表現しているのはオピッツによるものだと思った。第1番第1楽章のピアノが入るところなどは、丸でモーツァルトのようだ。一方、フリスの演奏は、何かショパンを通り越してシューマンかグリークを聞いているような印象を持つ。どちらがいいかは好みの問題でもあるのだが、大変残念なことにナクソス盤は録音が悪い。低音がもごもごしている。明らかにマイクセッティングの問題だろう。せっかく個性的な演奏をしているのに残念である。クラシック音楽のディスクでは、しばしばこういう問題が生じる。小澤征爾のドボコン(ロストロポーヴィチによる3回目の録音)などはその最たる例と言えるだろう。最新録音でもひどいものがある一方で、50年代のステレオ初期でもすこぶるヴィヴィッドな録音が存在する。
そういうわけでウェーバーのピアノ協奏曲は、デイヴィス盤が私の好みにあった唯一のディスクとなった。忘れないように言っておけば、レーゼルによる演奏も悪くない。こちらのほうは「コンチェルトシュトゥック(小協奏曲)」で取り上げた。
オピッツのCDでは、まずその「コンチェルトシュトゥック」から始まる。この短いが数々の充実した要素を持つ作品は、ウェーバー作品の中では飛びぬけて有名である。この曲だけでウェーバーの特徴を表し切れているようなところがある。しかしこれとは別の、2つのピアノ協奏曲を聞いてみると、「コンチェルトシュトゥック」しか知らないのはもったいないと思う。これらの曲は、「コンチェルトシュトゥック」には及ばないかもしれないが、たしかにウェーバーの活躍した初期のドイツ・ロマン派の特徴を有した協奏曲として稀少である。私たちは通常、ベートーヴェンの次のピアノ協奏曲と言えば、オーケストレーションがやや平凡なショパンと、若書きのメンデルスゾーンくらいしか思い浮かばない。
ウェーバーの作品の面白さなは、ところどころまるでシューマンのようだと思ったり(第1番第1楽章)、ショパンのようだと思ったり(第2番第3楽章)、いろいろな作曲家の特徴にふと出会いながら音楽史を行ったり来たり。この折衷的な雰囲気こそその魅力なのだろうか、と思ったりする。いやこれは勝手な聞き手の都合なのだが。二つの作品は、ともに第1楽章で堂々とした古典的協奏曲を感じさせながら、第2楽章ではベートーヴェンをもっとロマンチックに進めたムード音楽になっている。一方、第3楽章は華麗で踊るようなリズムが、丸でマズルカやポロネーズを聞いているような感覚に見舞われる。
オピッツとデイヴィスは、これらの曲をきっちりと演奏して、他の大作曲家の作品の演奏と同様な充実を感じさせてくれる。このような演奏で聞く限り、他の作品と比べても遜色はなく、私は10回は繰り返し聞いただろうか、今では鼻で歌えるようになった。そうなると実演を含め、他の演奏でも聞いてみたいと思う。クラシック音楽を聴く楽しみのひとつは、最初はとっつきにくかった曲も次第に自分の耳に馴染んでくることである。特に演奏を変えて聞いてみると、最初は何も感じなかったメロディーが心にすうっと入って来る。その作品が自分なりに、わかったような気がしてくる。
ウェーバーは目立たない存在だが、このように他の作曲家にはない魅力が感じられるのもまた事実である。このCDには2つのピアノ協奏曲、「コンチェルトシュトゥック」のほかに「華麗なるポロネーズ」作品72という曲も含まれている。この曲もまた短いが華麗な愛すべき作品である。この曲はもともとピアノ独奏曲で、リストが編曲したものもあるが、ここでは管弦楽版として演奏されている。
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