2020年5月5日火曜日

ロッシーニ:序曲集(オルフェウス管弦楽団、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団)

ロッシーニの序曲集にはいい演奏が沢山ある。この理由は、むしろ曲の楽しさとでもいうべきものかと思う。食後のデザートと同じように、ロッシーニの音楽はどれをとっても美味しいからだ。長い今年の黄金週間は、天気が良くても外出できない日々が続く。こんな時、ロッシーニの音楽に耳を傾けてはいかが?ここでは私がこれまでに聞いてきた数々の演奏を紹介したい。

私が住んでいた大阪府北部のある市では、市内にある図書館のひとつにLPレコードの貸し出しコーナーが登場したのは1980年頃だったと思う。中学生だった私は、市内の北の端に住んでいて、市内のバスを乗り継いて最南部にあるその市立図書館に出かけた。学校のない日曜日の午前中だった。市内在住のある音楽評論家が、聞かないレコードを寄付したからだった。貸しレコード屋などほとんどなかったから、私は掘り出しものを見たさに友人とでかけたのだ。そしてそこには、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団のロッシーニの序曲集のレコードがあった。貸出のカウンターに行くと、図書館の職員は私に、わざわざ来てくれたのですね、と言った。

ロッシーニの序曲集はトスカニーニで決まり、と言われていた時代だからこれは嬉しかった。一切の残響を排し、強直で力強い「ウィリアム・テル」の序曲がその中の白眉だった。私はさっそくその演奏をカセット・テープにダビングし、2週間後、ホロヴィッツとワルターによるチャイコフスキーのピアノ協奏曲と交換するため、そのLPを返却した。

歌劇「ウィリアム・テル」はロッシーニが作曲した最後のオペラ・セリアで、この序曲は嵐のシーンなど4つの部分から成る情景描写など成熟した音楽が特徴的だが、その序曲はロッシーニの中ではちょっと変わった方だ。むしろ、あのロッシーニ・クレッシェンドが全編に横溢する楽しい序曲は、数々のオペラ・ブッファに存在する。その中で最も有名な歌劇「セヴィリャの理髪師」は、実は歌劇「イギリスの王女エリザベス」からの転用である。私の家にあったクラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団のLPには、歌劇「イギリスの女王エリザベス」序曲と記されていた。

アバドには当時2枚の序曲集のレコードがあった。上記はRCAから発売されていて、ここには「セミラーミデ」序曲や「ウィリアム・テル」序曲が収められていたのに対し、もう一方のドイツ・グラモフォンから発売されていたLPには、私の好きな「泥棒かささぎ」などが含まれていた。どちらもロンドン交響楽団を指揮したもので、収録された曲に重複はないからどちらがいいという議論は意味がないのだが、どちらかと言えば大人しいドイツ・グラモフォンに対し、情熱的なサウンドのRCAといった違いがあった。ただRCA盤しか持っていなかった私は、何とかもう片方の演奏を聞いてみたいと思っていた。

村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」は、第1部が「泥棒かささぎ編」となっていて、この冒頭にアバド指揮の演奏をFM放送で聞いて口笛を吹くシーンがある。しかし私はこの曲を聞くときには、カラヤンの演奏を聞くしかなかった。ベルリン・フィルを指揮した演奏である。カラヤンの演奏は、あのイタリアン・サウンドとはちょっと趣きが異なり、冷静で大人しいように感じていた。それでも小太鼓を伴ったあの三拍子の浮き立つようなリズムは、いつ聞いても、どの演奏で聞いてもウキウキする(なお、アバドのロッシーニ序曲集には、その後ヨーロッパ室内管弦楽団と録音したものもあるようだ。またカラヤンの演奏は別に取り上げた)。

CDの時代が到来して私がいよいよ自分のお金でディスクを買うことができるようになったとき、私が選んだのは新譜として登場したオルフェウス管弦楽団のものだった(録音は1984年、ニューヨーク州立大学パーチェス校)。このディスクは、同オーケストラのドイツ・グラモフォンへのデビュー録音だったようだ。指揮者を置かない民主的なニューヨークの室内オーケストラは、まるでコンピュータが演奏をしたらこうなるのではと思わせるような演奏で、意外にもリズムの切れやフレージングも素晴らしく、しばらくこの演奏をテープに録ってはカー・ステレオで聞いたものだ。ヨハン・シュトラウスのワルツ集と同様、ロッシーニの序曲集は格好のドライブ音楽である。

【収録曲】
1.歌劇「タンクレディ」序曲
2.歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
3.歌劇「幸福な錯覚」序曲
4.歌劇「絹のはしご」序曲
5.歌劇「セビリャの理髪師」序曲
6.歌劇「ブルスキーノ氏」序曲
7.歌劇「結婚手形」序曲
8.歌劇「イタリアのトルコ人」序曲

今聞いてみてもほれぼれするような完璧さと、そこにスポーティーとも言うべき健康的な呼吸が息づいているのがわかる。このリストを見てわかるように、オルフェウス管弦楽団によるロッシーニの序曲集には、大規模な編成を必要とする「ウィリアム・テル」や「泥棒かささぎ」、あるいは「セミラーミデ」といった曲が含まれていない。かつての大指揮者による名演奏に対して一石を投じたような新鮮さがあった。ただ私としてはもう一枚、欠落した作品のためのもう一枚を買い揃える必要があった。

私はどちらかというと新譜を買いたい方だから(クラシック好きには少数派である)、当時発売されたシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の演奏を購入した。この演奏には「チェネレントラ」も含まれているなど魅力もあるが、豊富なカタログの中では他の演奏に埋没していると言わざるを得ない。これといった長所がないのである。

私が米国滞在中に購入したヨエル・レヴィ指揮アトランタ交響楽団によるテラークの演奏は、またひとつの選択肢だが、ここには有名な曲ばかり7曲しか収められていない。当時私は全米各地のオーケストラのディスクを集めていて、その中にこの演奏を発見したのだった。悪い演奏ではないのだが(録音もいい)ほとんど聞いておらず、デュトワ同様この演奏ではなくてはならないというところはない。

完全な序曲集はおそらくネヴィル・マリナーによるものか、もしくはシャイーによる新しい録音だろうと思う。これらは世評も高く録音も非常にいいだろう。だが私はもはや、ロッシーニの序曲集に耳を傾ける時間がほとんどなくなってしまった。シャイーは他に珍しいロッシーニの音楽を録音しているので、そちらで取り上げることにしようと思う。またシャイーには歌劇「チェネレントラ」などのいくつかの全曲録音盤にももちろん序曲は含まれており、序曲以降より長時間、花火を見ながらシャンパンを飲むかのようなひとときを過ごすことができるのは請け合いなので、わざわざ序曲集として揃える必要はないだろう。これはアバドについても言える。

コリン・デイヴィスがロイヤル・フィルを指揮した60年代初頭の録音で、今はどこで手に入るのかはわからないが、「ウィリアム・テル」「泥棒かささぎ」「セミラーミデ」「ブルスキーノ氏」それに「アルジェのイタリア女」が収録されているディスクがある。これは掘り出し物の大変素晴らしい演奏である。私の持っているディスクはシューベルトの「グレイト」交響曲、ベートーヴェンの第7交響曲の隙間に収録されていて、期待していなかったがなかなか気分のいい名演に出会え嬉しかった。


【収録曲(アバド指揮ロンドン響-RCA盤)】
1.歌劇「セミラーミデ」序曲
2.歌劇「絹のはしご」序曲
3.歌劇「イタリアのトルコ人」序曲
4.歌劇「イギリスの女王エリザベッタ」序曲
5.歌劇「タンクレディ」序曲
6.歌劇「ウィリアム・テル」序曲

【収録曲(アバド指揮ロンドン響-ドイツ・グラモフォン盤)】
1.歌劇「セビリャの理髪師」 序曲
2.歌劇「シンデレラ」序曲
3.歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
4.歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
5.歌劇「ブルスキーノ氏」序曲
6.歌劇「コリントの包囲」序曲

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