エジプト人の友人を訪ねてカイロへ行ったのは1990年9月のことで、丁度イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機の頃だった。テロを警戒する観光地は閑散としており、私はそのあとバスに乗ってイスラエルに行こうとしていたが、あまりに危険だと言われ断念した。
友人の家はカイロ郊外の団地にあって、そこを拠点に博物館やピラミッドに出かけた。エジプトと言えばイスラム教の国で、街中にコーランが響き渡り、モスクがあちこちに点在している。けれども友人は数少ないキリスト教徒だった。それもコプト教という古くから伝わる原始キリスト教の一派で、彼はそのことを誇りに思っており、同時にイスラム教をやや軽蔑していた。ある日、彼は私をキリスト教会へと案内した。何の変哲もない溝を指さしながら、ここを通ってマリアが幼いイエスを連れて逃げたんだ、などと熱く解説してくれた。確かにキリスト教はイスラム教が広まるはるか前からこの地に布教されていたし、ピラミッドに象徴される古代エジプトは、それよりさらに3000年も前から存在していたのだ。
夏のカイロは暑い。もとより砂漠の中にある内陸の街だから、熱気が籠る。そして砂ぼこりが舞い上がり、街の排気ガスとともに空気は霞んでいる。雨がほとんど降らず、ゴミも捨てられたまま。湿気がないのでカビないのだろうと思った。そんな猛暑の中を、私は古い教会やモスク巡りにつきあわされ、最後にピラミッドに到着したときには軽い熱中症にかかっていた。地下道の中で倒れそうになり、そのけだるさは街中の屋台で売られていた搾りたてのオレンジジュースを大量に飲むまでは解消されなかった。
キリスト教徒でもない私は当時、聖書の知識を有していなかったから、イエスがマリアとともにエジプトに逃れ、点々としながら逃避生活を強いられていたことなど知らなかった。新約聖書「マタイ伝」(第2章)には、この様子が記述されている。それによればイエスが誕生したとき「この子は必ずや王位を脅かすであろう」と神託が下ったため、この預言を恐れたヘロデ王が国中の男児を皆殺しにしようとしたので、聖母マリアと夫ヨセフは天使の助言に従ってエジプトに逃亡したというのである。
カイロを始めエジプト各地には、この時の逃亡地が数多く残っている(本当かどうかは定かではないのだが)。聖家族はやがてサイスという街に到着する。このサイスという街は、エジプトのどこにあるのかさっぱりわからない。ただここで聖家族はイスマイル人の家庭に身を寄せることができ、静かに暮らすことができた。
以上が、ベルリオーズのオラトリオ「キリストの幼時」のあらすじである。この物語は3つの部分から成り、第1部「ヘロデの夢」でエルサレムを脱出するまでの経緯が語られ、第2部「エジプトへの逃避」で美しい「羊飼いたちの聖家族への別れ」が長く続く。第3部「サイスへの到着」では、これまた非常に美しい「若いイシュマエル人による2本のフルートとハープのための三重奏」が含まれる。全部で90分以上。語り手としてのテノールのほか、マリア(メゾ・ソプラノ)、ヨゼフ(バリトン)、ヘロデ王(バス)などの登場人物がいる。
毎週のようにCDを買いあさっていた30代の頃、年に1つはまだ聞いたことのない曲の最新録音をボーナスが出たときに買うと決めていた。その日は長らくタワーレコード渋谷店をさまよい選んだのはベルリオーズの「キリストの幼時」だった。演奏はロジャー・ノリントンがシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した2枚組だった。
けれども私はCDでこの「キリストの幼時」を注意深く聞いたことはなかった。静かな曲な長く続くフランス語の歌曲。この曲を聞くのは根気のいる作業だった。趣味というのは楽しむためにするものだが、私にとってのクラシック音楽がしばしばそのような試練の側面を持つものでさえあった。結局、お金をかけて購入した2枚組のディスクは、長く私のCDラックに収納されたまま再生される機会を失っていった。
2000年代に入って、ベルリオーズの作品に耳を傾ける機会がやってきた。ベルリオーズの第一人者であるコリン・デイヴィスが、30年ぶりに再びロンドン交響楽団を指揮して次々と再録音していったからである。LSO Liveというレーベルは、独自制作レーベルのさきがけだった。凋落していくメジャー・レーベルをよそに、数々のヒットを飛ばすことになる。すべてがライブ録音、値段は1枚千円。しかもSACDハイブリッドだった。C.デイヴィスはすでに80歳にも達していたので、いくつかの録音はかつてのものを上回ることはなかった。しかしこの「キリストの幼時」に関しては、過去の録音を上回る完成度を持つと思われる。
ベルリオーズの曲の魅力のひとつは、少ない楽器で一切の贅肉をそぎ落としたような牧歌的メロディーが続くようなところである。これは、それまで見向きもしなかった「幻想交響曲」の第3楽章が、実は大変好きな曲に思われてくる経験があればわかるだろう。このような部分こそベルリオーズの真骨頂であるとわかった時、この「キリストの幼時」が実は大変な名曲であることに気付いた。よく考えて見れば数多くの名指揮者が過去に録音している。
ノリントンとデイヴィスはともに同年代のイギリス人だが演奏は対照的である。デイヴィスは従来のモダン楽器による演奏で、熱く武骨な演奏を繰り広げる。時にフランス音楽に不可欠な要素を欠くことも多いデイヴィスのベルリオーズは、抑制的で破たんのない演奏として地味すぎるという評価もできる。だが「キリストの幼時」ではこの欠点がほとんど感じられない。これはバロック音楽にも通じる曲調のおかげだろう。しかも悪評高いバービカン・センターでの録音の欠点を補うため、各楽器をアップで捉えておりヴィヴィッドである。
一方のノリントンは、得意のノン・ビブラート奏法をフルに活かして精緻な演奏を繰り広げる。左右に分かれたバイオリンや合唱が、さわやかな風のように耳元をよぎっては消える。時にサービス精神に富んだ挑発的ななユーモアは影を潜め、音楽に忠実でありバランスも良い。テンポを速めにとっていて、控えめな表現でも緊張感が程よく持続する。フィナーレの合唱やそこに交わる独唱の声は透き通るようにこだまし、録音で聞いていてもこれほどほれ込むことは珍しい。この演奏がライブであることは、拍手を聞くまで気付かない。
この二つの演奏に登場する独唱陣も不足感はない。その布陣は以下の通り。
<コリン・デイヴィス盤(2006年録音)>
ヤン・ブロン(T: 語り手、百人隊長)
カレン・カーギル(Ms: マリア)
ウィリアム・デイズリー(Br: ヨゼフ)
マチュー・ローズ(Bs-Br: ヘロデ)
ピーター・ローズ(Bs: 家長、ポリュドールス)
テネブレ合唱団
ロンドン交響楽団
<ロジャー・ノリントン盤(2002年録音)>
マーク・パドモア(T: 語り手)
クリスティアーネ・エルツェ(S: マリア)
クリストファー・マルトマン(B: ヨゼフ)
ラルフ・ルーカス(Bs-B: ヘロデ)
ミハイル・ニキフォロフ(Bs:家長)
ベルンハルト・ハルトマン(Bs:ポリュドールス)
フランク・ボセール(T:百人隊長)
シュトゥットガルト声楽アンサンブル
シュトゥットガルト放送交響楽団
「キリストの幼時」は宗教的三部作と言われ、全11曲から成っている。このうち最初に作曲されたのが第2部である。ベルリオーズは第2部の「羊飼いたちの別れ」を17世紀のバロック時代の作曲家の作品を装って発表した。この曲が古風なムードを持っているのはそのせいである。この時の評判は上々で、やがて自分の名を明かすことになるが、評判が下がることはなかった。
続いて作曲された第1部は、エジプトへの逃避を決断するに至る経緯が語られ、ベルリオーズらしいドラマチックな物語は第4曲「ヘロデの夢」でクライマックスを迎える。一方、最後に作曲された第3部では、彷徨った挙句やっと暖かく迎え入れてくれるイスマイル人の家庭で催される室内楽「若いイシュマエル人による2本のフルートとハープのための三重奏」が白眉である。ノリントンの早めのテンポで駆け抜ける演奏も素晴らしいが、デイヴィスのダイナミックな表現も説得力がある。ここの6分余りのメロディーは、しばし幸福な気分にさせてくれる。さらに後日譚が語られるフィナーレでは7分以上におよぶア・カペラが用意されている。実演で聞いたら涙を流すほどに美しい音楽だろう。
「キリストの幼時」のような作品が我が国の音楽会で取り上げられることはあるのだろうか。私の知る限り、出会ったことはない。地味な作品なので仕方がないとは思うが、何度か聞きこんでこの作品の素敵さをすることになった身としては、一度どこかでライヴ演奏に接してみたいと思っている。だがその機会も、このたびのコロナ禍でしばらく遠のいてしまったと言わざるを得ない。
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