2022年1月4日火曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(16)ダニエル・バレンボイム(2009, 2014, 2022)

お正月の過ごし方にもいろいろあって、飲んだくれの寝正月もあれば正座して書初めを営む正月もある。バレンボイムのニューイヤーコンサートは、どちらかと言えば後者に属する方である。ただ生真面目にワルツやポルカを指揮する姿は、この舞台を見慣れた者からするといささか違和感を覚えた。バレンボイムがウィーンに少しはゆかりのある音楽家だとわかってはいても、ウィンナ・ワルツを指揮する人ではないと決めつけていたからかも知れない。

私は2009年のニューイヤーコンサートを、病院で見た。前年のクリスマスには骨髄バンクから提供を受けた造血幹細胞が無事生着し、私の血液は順調に回復傾向にあった。あとすこしすれば、同時に3つもある限りなく続く点滴から解放される。無菌室の窓から、今年最初の夕日が暮れてゆく都会の風景を眺めた。24時間体制で患者を看る看護師も、さすがにお正月ともなると数時間おきにしか病室に来ない。ひっそりとした個室のベッドに慎重に横たわりながら、有料のカードをテレビに差しこんで2チャンネルに変え、今日だけはしばしウィンナ・ワルツの調べに身を委ねようと思った。このあと2週間は続くことになる猛烈な副作用に苦しむ直前の、少しリラックスした元日だった。

バレンボイムの神経質で重苦しいワルツは、病気治療中の気の休まらない私の体調に奇妙にマッチしていた。そうであるが故に、私の心は晴れやかさからはいっそう遠いものであり続けた。今思い出しても気が滅入るその頃に、バレンボイムのニューイヤーコンサートは行われた。思えば2003年の時は、アーノンクールがあの美しい「皇帝円舞曲」を聞かせてくれたではないか。その時と状況は似ていたが、私の気分はワルツどころではない。そしてこれは退院してからも続き、そういう時にはやはりマーラーの交響曲が相応しいような気がした。それも第7番ホ短調。この倒錯した心情を初めて理解できたような気がした。

そんな音楽とは対極にあるようなシュトラウスのワルツ。マーラーでも名演を残し、すでに巨匠としての歩みを確かなものとしているバレンボイムに、何もこんなコンサートを振らせなくてもいいのではないか、と思ったにもかかわらず、5年後の2014年に再登場。そして何とそのさらに8年後となる2022年には三たび登場することとなった。バレンボイムのウィンナ・ワルツが大名演だったという声は聞こえないし、むしろその怒ったような表情から表現される硬い音楽は、華やいだお正月の気分にそぐわないとさえ思ったものだった。

このブログで過去の演奏を振り返ってみるにあたり、バレンボイムの演奏を避けて通るわけにもいかない。そこで都合3年分の録音を図書館で借りるなどして聞いてみた。特に2008年は、上記で述べたように音質の酷いテレビでしか見なかったこともあって、先入観を払拭する必要もあった。以下は3年分の演奏を聞いた記録。

2009年の演奏を一言で言えば、有名曲で勝負した渾身の一夜。重厚な(といってもシュトラウスの話だが)力強い作品が並び、指揮者の実力が問われる。冒頭のベルリン版「ヴェネツィアの一夜」序曲でそのような演奏が始まる。ベルリンは今やバレンボイムがもっとも活躍する都市であり、ヴェネツィアは東洋への入口を果たした街である。そして「東方のおとぎ話」という珍しい曲により、その視線は中東地域へと注がれる。

バレンボイムの天才性とレパートリーの広さ、特にピアニストとしてのそれを認めたうえで、しかしながら、ウィンナ・ワルツの演奏に彼でなければならない要素を見つけるのは大変難しい。「アンネン・ポルカ」ではあのカラヤンの優雅でしっとりとした演奏に及ばない硬さが感じられ、「南国のバラ」ではベームの暖かく活気にあふれたイタリアへの憧憬が感じられない。後半の「ジプシー男爵」の「入場行進曲」などは丸で軍隊の運動会のようである。

バレンボイムの演奏は真面目の一言につきる。従って恒例の打ち解けた雰囲気には乏しい。そのような中で、何かいつもと違う響きが聞こえてくると思ったら、ハイドンの交響曲だった。2009年に没後200年を迎えるハイドン・イヤーを記念して、「告別」交響曲の第4楽章が演奏された。ここで楽団員がひとり、またひとりと舞台を去ってゆき、最後に残された数名の奏者と指揮者だけが淋しく演奏を終えるという冗談が演じられた。そういういきさつを知ってはいたものの、実際に見たことのある人は多くないこの曲のエピソードが実演されるパフォーマンスに、客席からは笑い声が漏れる。しかしその後には通常のアンコールが3曲、うち最初はポルカ・シュネルというのも、いつも通りだった。

私が病室で見た2009年のニューイヤーコンサートは、イスラエルがガザ地区に侵攻しているさ中でのことだった。バレンボイムはユダヤ人としてイスラエル国籍を持っているにもかかわらず、たびたびイスラエル政府を批判し、むしろパレスチナとの共存を目指すことを主張することで知られている。バレンボイムの登場は、ある意味で象徴的でさえあった。恒例のスピーチで「中東に正義を」と挨拶したことには、こういう背景がある。

続く2014年の演奏は、オッフェンバックの喜歌劇「美しきエレーヌ」をカドリーユに仕立てた作品から始まる。通常、行進曲や喜歌劇の序曲から開始されることの多いこのコンサートでは異例だが、音楽が途切れ途切れになってしまう。ビデオで見るとそのことが強調されるのが残念だ(この頃からビデオ・ディレクターが代わっている)。

第1次世界大戦から100年を迎えたこの年は、「世界平和」が隠れたテーマになっていて、そこへバレンボイムが招聘されたのではないかと思う。珍しいヨーゼフのワルツ「平和の棕櫚(しゅろ)」やヨハン(2世)の「もろびと手をとり」などにそのことが現れている。また生誕150周年を迎えたリヒャルト・シュトラウスの曲が初めて演奏された。歌劇「カプリッチョ」から間奏曲である。ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスを得意とするバレンボイムの演奏は、ヨハン・シュトラウスの単純なポピュラー曲よりも、こういう複雑な曲でこそ真価を発揮する。

全体に真面目ではあるが高圧的な指揮姿から出てくる音楽は、アクセントが強く、打楽器が目立ちすぎるきらいがある。その結果、悪くはないのだが特にいいところもない演奏になっている。これはバレンボイムの演奏に共通した特徴のような気がする。私が2回接した実演でもそうだった。アンコールの「ラデツキー行進曲」では指揮をせず、オーケストラの間を徘徊してプレイヤーと握手を繰り返すパフォーマンスは、楽しいというものとは程遠い。テストの合間に先生が教室を回って生徒の答案を見る時のような緊張感が伝わる。

さらに8年後となる今年の演奏を聞いて、バレンボイムも年老いたなと感じた。前の2曲よりも肩の力が抜け、「千一夜物語」などではしっとりとした演奏を聞かせてくれたが、全体の印象は以前とさほど変わらず、真面目すぎて面白みに欠け、次第に尊大な指揮姿が目に付いてくる。挿入されたバレエは少なく、バレンボイムは舞台に出たり入ったり。それでもコロナ禍を乗り越えて、有観客でニューイヤーコンサートを開催できたことは素晴らしいと思った。「不死鳥」が今年のテーマの一つ。

バレンボイムの恒例の新年の挨拶に加え、困難な時期に音楽をすることの意義、分断を結合へと導く音楽の意味についての短いスピーチが英語でなされ、そのことが記憶に残った。ともあれ、演奏会を開催できたこと自体に感慨を持つ今年のニューイヤーコンサートは、やはり特別な意味があっただろう。来年の指揮は3度目となるウィーン生まれの指揮者、ウェルザー=メストが登場するらしい。


【収録曲(2009年)】

1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェネツィアの一夜」序曲(ベルリン版)
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「東方のおとぎ話」作品444
3. ヨハン・シュトラウス2世:「アンネン・ポルカ」作品117
4. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「速達郵便で」作品259
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のバラ」作品388
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「百発百中」作品326
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」より「入場行進曲」
9. ヨハン・シュトラウス2世:「宝のワルツ」作品418
10. ヘルメスベルガー:スペイン風ワルツ
11. ヨハン・シュトラウス1世:「ザンパのギャロップ」作品62a
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「アレキサンドリーナ」作品198
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
15. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ハンガリー万歳」作品332
16. ハイドン:交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」より第4楽章
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「別に怖くありませんわ」作品413
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2014年)】
1. エドゥアルト・シュトラウス:「美しきエレーヌ・カドリーユ」作品14
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「平和の棕櫚」作品207
3. ヨハン・シュトラウス1世:カロリーネ・ギャロップ作品21a
4. ヨハン・シュトラウス2世:「エジプト行進曲」作品335
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「もろびと手をとり」作品443
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「恋と踊りに夢中」作品393
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「くるまば草」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ギャロップ「ことこと回れ」作品466
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
10. ヘルメスベルガー:フランス風ポルカ「大好きな人」作品1
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「花束」作品188
12. リヒャルト・シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」から間奏曲「月光の音楽」
13. ランナー:ワルツ「ロマンティックな人々」作品167
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「からかい」作品262
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「害のないいたずら」作品98
16. ドリーブ:バレエ「シルヴィア」から「ピツィカート」
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン」作品173
18. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
19. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「カリエール(馬の疾走)」作品200
20. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
21. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2022年)】
1. ヨーゼフ・シュトラウス:「フェニックス行進曲」作品105
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「フェニックスの羽ばたき」作品125
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「海の精セイレーン」作品248
4. ヘルメスベルガー:ギャロップ「小さな広告」
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「ちょっとした記録」作品128
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:「シャンパン・ポルカ」作品211
9. ツィーラー:ワルツ「夜遊び」作品466
10. ヨハン・シュトラウス2世:「ペルシャ行進曲」作品289
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「千一夜物語」作品346
12. エドゥアルト・シュトラウス:フランス風ポルカ「プラハへご挨拶」作品144
13. ヘルメスベルガー:家の精霊
14. ヨーゼフ・シュトラウス:フランス風ポルカ「ニンフのポルカ」作品50
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「狩り」作品373
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

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