2022年1月12日水曜日

第65回日本赤十字社献血チャリティ・コンサート(2022年1月8日サントリーホール、Vc:上野通明、広上淳一指揮東京都交響楽団)

昨年の10月に、私は都響の定期でドヴォルジャークのチェロ協奏曲を聞いている(サントリーホール)。この時のソリストは佐藤春真で、彼は2019年にミュンヘン国際コンクールに優勝した新鋭のチェリストとしてドイツ・グラモフォンからブラームスの作品をリリースするなど、その活躍ぶりが目覚ましい(https://diaryofjerry.blogspot.com/2021/11/39320211020.html)。

ところが丁度この頃、もう一人の日本人チェリストが何とジュネーヴ国際音楽コンクールに優勝したニュースを耳にした。上野通明はパラグアイで生まれたチェリストで、数々の世界的コンクールを総なめにしてきているが、ジュネーヴとなると別格でもある。そしてその彼が凱旋公演を行うことになり、最初がソニー音楽財団の主催する日本赤十字社チャリティコンサートだった。

私はこの公演のことを12月に知り、さっそく妻の分と2枚のチケットを購入した。オーケストラも佐藤の時と同じ東京都交響楽団で指揮は広上淳一。広上は昨年11月に、やはりここサントリーホールにて京都市交響楽団の演奏会を聞いているので、立て続けである。しかもこの時はベートーヴェンの第5交響曲を聞いているから、年末の第九、今回の第7番とベートーヴェンのシンフォニーが続く。私は白血病の患者として過去に何度もの輸血で命をつないでいるから、日本赤十字社のチャリティというのも嬉しい。音楽を聞くだけで、募金ができるというわけである。

2人の新進気鋭のチェリストによりドヴォルジャーク、広上の楽天的で目一杯楽しい指揮、ベートーヴェンの奇数交響曲、そして都響のサントリー公演。こうも同じ傾向が続くとどうしても比較をしたくなるところだが、音楽は繰り返し聞くこともできず、聞いている席も違うし、第一聞き手のコンディションも日によって違うので、あまりそういうことに意味はない。ただ2人の演奏は対照的で、どちらも素晴らしく、そして感動的であったことは確かである。

今回はA席ながら1階席前方で、ソリストも指揮者もよく見える。スラリとした体形によれよれのジャケット、もじゃもじゃの頭髪。その第1音を聞いた時、物凄いエネルギーで耳に押し寄せてきた。たった1台の低音楽器からこんなに豊穣な音波が発生するのかと思った。佐藤春真のときは2階席真横だったので比較はできないが、上野通明のチェロの存在感は圧倒的でさえあった。

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲の骨格を良く理解し、体に染み込んでいるのだろう。流れ出る音楽は時にゆっくりとフレーズを取り、貫禄も十分である。広上の指揮がこれを好意的にサポート。終楽章はいくぶん勢いが出て、若さゆえか粗削りになる部分もないわけではなかったが、それでも音楽がうねって盛り上がり、チェロとオーケストラが織りなす競演に興奮さえ覚えた。都響は昨年10月の佐藤春馬の時(指揮は小泉和裕)よりも上手いと思った(特に木管)。

佐藤のチェロは繊細で、それも素晴らしかったのだが、上野のチェロはむしろエネルギッシュだと思った。音も根太い。だがこういう印象は、聞いた場所、競演した指揮者によって違う効果と区別がつきにくい。私は実演で、あのドボコンが聞けるというただそれだけで感激するたちだが、今回の上野のチェロは、私をノックアウトした。アンコールで演奏されたバッハの無伴奏から第1番の「クーラント」がまた素晴らしかった。この無伴奏は丸でヨーヨー・マのように速く開放的で、音色も美しかった。

休憩を挟んでのベートーヴェンは、第1音を聞いた時から広上の心地良いアクセントに驚かされた。この第1音はずっしりとドイツ風の重厚さを強調する場合と、明瞭で強い場合(ハンガリー風とでも言おうか)があるが、広上は後者である。これがモダンな雰囲気を醸し出すのだが、陽気で広がりのある音楽は、今回も私の心を捉えて離さなかった。

時に飛び跳ねるかのような指揮は、この音楽がダンスの権化であることからもわかるように、広上にマッチしている。時にソロを弾く木管楽器の巧さも光るし、第2楽章の歌謡風のメロディーも耳に心地よい。第4楽章に至ってはオーケストラも大変な熱演で、1階席前方からは指揮者と弦楽器の第1列しか見えないから、視線は自然と指揮に釘付けとなる。

聞きなれた第7番も、実演で聞く機会が多いかと言えば、私の場合そうでもない。だが今回の演奏は過去の300回あまりのコンサートの中でも上位10%に入る出来栄え、そして感銘度だった。私は昨年のマーラーで広上のファンになってしまったから、春の京都で開催されるマーラーの交響曲第3番も出かけて行こうかと考えている。

興奮のうちに終楽章が終わって、何度も舞台に呼び出される指揮者の後ろから、打楽器奏者が入場。良く見ると弦楽器奏者の譜面台にもう一枚、楽譜が置かれている。新年のコンサートに相応しく、アンコールとしてヨハン&ヨゼフ・シュトラウスの「ピツィカート・ポルカ」が演奏された。外連味たっぷりのリズムに合わせ、弦楽器ばかりが一斉に弦を弾くと、その響きは乱れることなく会場にこだまする。やはりこの実演の空気感は、どんな再生装置でも再現できないだろう。

チャリティ・コンサートと銘打った名曲ばかりのニューイヤーコンサートだったが、独奏、指揮、オーケストラとも大変な熱演、そして名演だったことはとても嬉しい。今年、2022年がどうか良い年でありますように、と会場に居合わせた全員が思ったに違いない。そういう時だからこそ音楽は社会にとって必要不可欠であり、演奏会も決して不要不急なものではないことを、ここ何回かのコンサートで実感している。

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