2022年は日本とルーマニアが国交を樹立して100周年にあたるのだそうである。そこでそのことを冠した演奏会となったようだが、このオーケストラと関係が深い同フィルの正指揮者曽我大介が、ルーマニアの音大を卒業しているというから彼にうってつけのコンサートということになるのだろう。東京で生まれ育った音楽家が、まだ社会主義独裁国だったルーマニアに留学したということにも興味が沸くが、彼はその後ウィーンに渡り、ブザンソンの国際指揮者コンクール第1位、そしてキリル・コンドラシン国際指揮者コンクールでも第1位を果たすという偉業を成し遂げている。
いわば指揮者としては折り紙付きということだが、その割には我が国における活動は地味で、私もかつてただ1度だけ、医療関係者のアマチュア・オーケストラで「シェヘラザード」を聞いたくらいである。ただこの時の「シェヘラザード」はなかなか良かった。音楽を専攻していないアマチュアの学生オーケストラから、かくも整った響きが出るのかと思った。そしてそれは指揮者の功績によるものではないか、とも。
だから、東京ニューシティ管弦楽団なるオーケストラは、私も初めて聞くオーケストラだったが結構期待が持てると判断、当日券を求めて池袋の東京芸術劇場へと足を運んだ次第である。しかし驚いたことに客席は4分の1も入っていないほど閑散としている。万延防止等特別措置とやらが発令され、新型コロナのパンデミックも第6波が到来していることが影響しているのだろうが、それにしても寂しい限りである。ただ私を含め、大いに期待を込めてこの演奏会に出かけた人もいるわけだし、第一、指揮者を始めオーケストラのメンバーの意気込みは十分に感じられた。
プログラムの最初は、コンスタンティン・シルヴェストリの「トランシルヴァニア地方のルーマニア民族舞曲」という曲で、もちろん私も初めて聞く曲だったが、シルヴェストリと言えば、フランスのオーケストラを指揮して録音されたドヴォルジャークの「新世界交響曲」などで我が国では有名な指揮者である。わずか56歳で死去したが、いまもってその情熱的な指揮による演奏は繰り返しリリースされ、我が国にファンも多い。そのシルヴェストリはルーマニア人で、このような曲を作曲していたのだと知る。
続いての曲は、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲だった。この曲のソリストは当初、韓国人のイム・ジヨンと発表されていたが、コロナ・ウィルスに伴う隔離措置の影響を受けて来日がかなわなくなり、奈良生まれのヴァイオリニスト、吉田南が代役となった。ドヴォルジャークと言えば、チェロ協奏曲が飛びぬけて有名だが、ヴァイオリン協奏曲もピアノ協奏曲も作曲している。
ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲は比較的若い頃の作品で、そういう理由からかどこか冴えない曲である。それでも冒頭で、演歌のようにうなるようにヴァイオリンが登場した時、吉田の弾くストラディバリウスの豊穣な響きが会場を満たした。ブルッフのヴァイオリン協奏曲を思わせるメロディーだが、ブルッフほど印象的ではなく洗練されていないように感じる。第1楽章と第2楽章が続けて演奏される。急登板にも関わらず気合の入った演奏は、もう少し豊かな音楽性を持たせてもいいのではとも思ったが、そこは現代流にさらっと流れてゆき、その分テクニックが要求されるだろう。だが吉田はどこも弛緩することなく、情熱的に第3楽章を弾き切った。拍手に応えてアンコールが演奏された。
休憩中にラウンジへと向かったが、あまりに閑散としていて誰もコーヒーなど飲んでいない。ここのホールの2階以上はロビーが狭い上に景色も悪く、あまり好きな方ではないが音響はサントリーホールの次に好きな方である。後半の最初で指揮者の曽我が登場し、今日の演奏会の意味を話し、客席に招待された在日ルーマニア大使を紹介した。
後半はエネスクの曲で占められた。まず管弦楽組曲第1番より 第1楽章「ユニゾンの前奏曲」である。ティンパニ1台だけを除いてすべて弦楽器のこの作品は、ユニゾン(同じ音程)のみで演奏されるユニークな曲である。従ってアンサンブルの乱れが許されない集中力の要る8分程度の曲だが、オーケストラの豊かな響きが会場に溶け合い、透明な中にも東欧の陰を感じさせる。重厚なロシアでもなければ、明晰なイタリアでもないこの国の象徴のような音を聞いた気がした。
プログラムの最後には、2つのルーマニア狂詩曲が続けて演奏された。ここでまず、比較的穏やかで牧歌的な第2番が演奏され、「ユニゾンの前奏曲」から続く弦楽器のアンサンブルに酔っていると、底の方から民俗風のメロディーが流れてきて、何か胸が締め付けられるような気持になる。どこか日本の民謡にも通じるような懐かしさがあると言おうか。やはり生で聞く音楽はいいものだと実感する。
合間を入れず第1番のメロディーが流れてくる。ここから最終に至るまでのリズムの変化と高揚は、このような曲をプログラムの最後に持ってきているからこそ成功するものだと思う。そういう意味で、このコンサートは非常に貴重であり、また楽しいものだった。オーケストラもかなり練習して挑んだのだろうと思う。そして演奏に満足した曽我は、コーダの部分を再演するという「おまけ」まで付けて会場を沸かせた。なお、エネスクの作品を手軽に楽しめるCDとしては、ローレンス・フォスターがモンテカルロ管弦楽団を指揮した演奏があることを忘れていた。この中には、「2つのルーマニア狂詩曲」だけでなく、管弦楽組曲(全曲)を始め、エネスクの管弦楽作品の主要なものが収録されている。
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