もっとも今回は、予定していた9月16日のサントリー定期に行けないことがわかったのが1か月以上前のことだった。この場合、定期会員には振替という便利な制度がある。チケットを別の日の同じプログラムのチケットと交換してくれるのである。私はこれを初めて利用することになった。
ところが会員向けホームページを見ても、その制度があるということだけで、どうすればいいのか書かれていない。前回7月の定期では、残念ながら「振替可能期間」に間に合わなかったのだが、今回も間に合うかどうかわからない。そこで、書かれていた電話番号に電話をしたところ、まだ期限内であることが判明した。その締め切り日は、チケットとともに送られてきた案内に記載されているのだという。調べてみると、確かにあった。
そこで振替を申し出たところ、古いチケットを指定の住所へ郵送するようにとのことであった。私はこの古風なやり方に感動し、さっそく便せんに内容をしたためて切手を貼り、郵便ポストへ投函した。あとで新しいチケットが送付されてくるのかと思いきや、それはなく、当日会場の指定場所で受け取れるのだという。私は東フィルの会員証を忘れずに財布に入れ(これはIDがあれば不要だった)、会場へ足を運んだ。席は指定できない。けれども1階中央のなかなかいい席だった。これはこれで、どこで聞けるか当日までわからないという楽しみもあるな、と思った。
前置きが長くなったが、今回のコンサートはイタリア人で首席指揮者のアンドレア・バッティストーニである。1987年生まれの彼は若干35歳ということになるが、その活躍と人気ぶりは東京では確かなものがある。私も川崎で聞いたレズピーギ以来の2回目。2016年以降わが国と関係が深く、これまで何度か演奏していると思ったマーラーだったが、何とこれが初めてとのことであった。交響曲第5番は、オーケストラだけで演奏可能なマーラー作品の中で比較的短く(それでも70分はある)、プログラムに上ることが多い。
だがこの日は、マーラーに先立ち、リストが作曲したピアノ曲「巡礼の年」第2年「イタリア」より「ダンテを読んで」を管弦楽曲に編曲した作品が演奏された。編曲をしたのは指揮者バッティストーニ氏であり、これは世界初演という触れ込みだった。18分ほどの曲で、オーケストラは結構な規模だった。自ら作曲も手掛けるバッティストーニは、しばしば自作を演奏会の演目にしているようだが、私はこれが初めてであった。
ところが私は残念なことに、その作品のすばらしさ、演奏の良しあしについて書くことができない。なぜなら「経験したことのない」台風の襲来と猛暑で睡眠不足の私は、音楽が始まるや否や睡魔に襲われたからだ。右隣の老人も同様だった。結構大きな音が鳴っていたのだが、音量と睡眠への欲望は、この際関係がないように思われた。コンサートではしばしばこういうことがある。そうでなくても残暑が続き、天候不良の多い今年は、例年になく疲労が溜まり、9月のコンサートはちょっとつらいのだ。
後半のプログラム、すなわちマーラーの交響曲第5番は大のつく名演だった。悠々とした出だしから、興奮に満ちた第5楽章の終結部まで、一糸乱れぬアンサンブルは常に緊張感に満ち、しかも音楽的だった。第4楽章のアダージエットも情感豊かで言うことはなく、指揮者の構成力は自身に満ち、金管楽器、特にホルンを筆頭に技術的な水準も最高位に達していたと思う。
だが私はこれから、どういうわけかこの演奏が、特に前半部分において心に響かなかったことを告白せねばならない。それは大変残念なことだが、事実である。後半、特に第5楽章に至っては、熱演のエネルギーが私の体をゆすり、見ごたえのある結果となった。それでもなお、これは見ごたえであって、聞きごたえではない。何故か?
これから書くことは、ひとりのリスナーの正直な意見、あるいは告白である。それはBunkamuraオーチャードホールという会場が、私の愛するオーケストラの音を再現してくれないということに尽きる。
思い起こせば、私がこのホールに前回出かけたのは、1998年のことである。以来20年以上、私はこの会場から遠ざかっていた。それは意識的にである。ここのホールで聞く音楽が、どうにも好きになれないのである。人工的な音、それがこじんまりとして何か箱の中で鳴っているような感じ。それは1階の中央であれ、3階の上部であれ同じだった。
私は音響工学の専門家ではないから、よくわからない。言ってみればこれは、好きか嫌いかの問題なのかもしれない。多くのクラシック専用ホールは、今ではオーケストラの周りを客席が取り囲んでいる。このことによってオーケストラの音が横方向にも開放されている。このことに慣れてしまったのかも知れない。NHKホールのような巨大なホールでは、舞台の左右にも広く、従って同様のことがいえる。しかし多くの市民会館のような多目的ホールでは、舞台のオーケストラの響きは、その中に閉じ込められ、前方にのみ音が届く。
私はBunkamuraオーチャードホールで聞く音響は、近くで聞いているにもかかわらず、何故かやたら反射音のみを聞いているような感じである。中音域を特に強調する管の長いスピーカーを通してラジオを聞いているような感覚が、人工的で嫌味なものとして私の耳に残る。これは私だけの問題なのかも知れないが、このようなことは他の会場ではあまり感じないのも事実で、東フィルについてもサントリーホールで聞く場合には、もう少し開放的でナチュラルである。
今回私がBunkamuraオーチャードホールに出かけたのは、冒頭で書いたようにサントリーホールでの演奏会を振り替えたからである。今回の東フィルの定期は、東京で会場を変えて3回行われており、合わせて新潟県長岡市での演奏を加えると、4回の演奏会が同じプログラムで行われた。会場ごとに異なる響きにオーケストラの音がどのように変化しているか、興味はあるのだがこれらを聞き比べることもできない。ただ私がこれまでBunkamuraオーチャードホールで聞いた演奏会に、あまり感動的だったものがない。そういうわけで、大変残念なことに、今後もこのホールに出かけることはほぼないであろう。ついでに言えば、オペラシティにあるコンサートホールも、私とは相性が良くない。ここも長方形の形状をしており、段差の少ない客席から舞台が見えにくい。もっともここは我が家からも遠いので、わざわざここのホールに出向くこともほとんどない(オペラパレスは別だが)。
サントリーホールが開館するまで東京には、クラシック専用ホールというのが存在しなかった。その後、全国各地にホールができたが、私はサントリーホールで聞くのが最も好きだ。そして次に好きなのは、東京文化会館である。しかし東京文化開館は古くて客席が狭く(何と傘を置くところがない!)、席によっては正面を向かない(高い階の席は苦痛である。カーネギーホールを思い出す)。案外音響がいいと思ったのは東京芸術劇場だが、ここは池袋という辺境の地にあって周りの風紀は悪く、人の流れが一定しない駅のコンコースを分け入って進むうちに、音楽の余韻が吹き飛んでしまう。これは渋谷にも当てはまる。ミューザ川崎シンフォニーホールも駅の雑踏は最悪だが、さらには会場が縦に高い風変わりな形をしており、ベストな位置というのがよくわからない。ついでに言えば、錦糸町のすみだトリフォニーホールは、そもそもコンサートが少ないのであまり経験はないのだが、やはり感動したコンサートは少ない。
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