最初に接したのは、アイザック・スターンによる演奏だった(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)。スターンのヴァイオリンは低音気味でやや粗削りなところがある。好みの問題かも知れないが、ユダヤ系に多いこの傾向を、私は好まない。次に接したのもユダヤ系のイツァーク・パールマンであった。パールマンはスターンとは異なり、テクニックも素晴らしく、楽天的である。明るい音色がスペインに合っているとは思う。だがこの演奏もまた、ダニエル・バレンボイムが指揮するパリ管弦楽団との相性もあるのだろうか、何とも大味で締まりがないと思った。それにやはり、このメロディーを聞いているとユダヤ民謡を聞いている感じがしてくるのは偏見か。
往年の名演に思いを馳せると、グリュミオーが残した演奏に目が留まる。ここでモノラル録音の旧盤は、ジャン・フルネ、ステレオ録音の新盤はマヌエル・ロザンタールが指揮を務める。オーケストラはいずれも独特の音色を放つコンセール・ラムルー。これらの演奏は、リズムをしっかりと刻み、音色もレトロな雰囲気が残る。イメージしているスペイン情緒が満点なのである。だが、いかにも古色蒼然としている。テンポもやや遅く、ちょっと単調だと思う時も。やはり古さは否めない。
このようにしているうちに、私は「スペイン交響曲」から遠ざかってしまった。もっと現代的ですっきりした演奏はないものか。録音も大切で、しかもそこそこ長いこの曲に変化をつけ、ある程度一気に聞かせるような演奏。他の曲のように、90年代以降に登場した演奏が新しい曲の魅力を開拓するようなところがあってもいいのでは、と思った。ところがなかなか出会わないのである。そうこうしているうちに、この曲は目立たない曲になっていった。コンサートのプログラムに登ることも少なく、録音もおりからのCD不況でめっきり新譜は減っていく。
そのような中で目にしたのが、韓国の女流ヴァイオリニスト、チー・ユンが演奏した一枚。DENONがデジタル録音しているので悪くない。伴奏はヘスス・ロペス=コボス指揮ロンドン・フィルハーモニ管弦楽曲。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とのカップリングは定番である。1996年の録音。
冒頭。引き締まったオーケストラは不要な残響が少ない。明るく、そしてアクセントが効いている。その音色の新鮮さに一気に引き込まれた。待ち望んでいたのは、こういう演奏である!そして間断なく始まるヴァイオリンの音色の美しいこと!やはりヴァイオリンは、声で言うとソプラノ。澄んだ音色が南ヨーロッパの青い空を思い出させる。時間が止まったような夏の午後。だからこそ、何か淋しい。聞きほれてるうちに第1楽章が終わってしまった。
リズムの変化が面白い第2楽章も、オーケストラと独奏が不思議にかみ合っている。チー・ユンは韓国人なので、ヴァイオリンがうなると何かアリランを聞いているような気がしてくるが、べたべたしとらずスッキリ系。ちょっと陳腐なたとえをしてしまったが、つまりは知と情のバランスがいいということ。それが一定の緊張感を持ちながら進行する。
第3楽章は間奏曲となっているが、6分以上もある。この楽章も演歌である。しかし途中から白熱を帯びた演奏になってゆく。テンポはあくまで少し早く、そしてスタイリッシュ。伴奏が非常に好意的で、いいアンサンブルである。夏の午後にこの曲をきいていると、懐かしさが無性にこみ上げてくる。
第4楽章は緩徐楽章。どちらかというと賑やかな他の部分に交じって、この楽章がちょっとしたアクセントになっている。そして終楽章は、長い旅を終えて故郷が近づいてくるようなわくわくする曲である。スペイン紀行も終わりに近づいた。そしてこの楽章は、結構テクニック満開の曲である。ピチカートが混じる部分もある。この曲がサラサーテに献呈されたことからもわかるように、どこか似ている。
私は長年、ラロがスペインの作曲家だと思っていた。情熱、踊り、マッチョ。このスペインを語るうえで欠かせない3つの定番要素が、この曲に凝縮されている。しかし彼はれっきとしたフランス人である。けれどもフランス人がスペインを舞台としたオペラを作曲したり、スペイン風の曲を数多く作曲しているのは面白いことだ。丁度19世紀の終わりころは、交通の発達もあって異国情緒を兼ね備えた曲が数多く作曲されたのだろう。そしてその対象に選ばれた筆頭格がスペインだった。そしてこの曲「スペイン交響曲」は何とチャイコフスキーにも影響を与え、あの不朽の名作(ヴァイオリン協奏曲)につながっている。
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