指揮者チョン・ミュンフンは次のシーズンから、ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任する。その中で演奏されるのが、今回聞いたビゼーの歌劇「カルメン」である。その時の歌手を揃え、新国立歌劇場合唱団と東京フィルハーモニー交響楽団が、演奏会形式ながら感動的な舞台を作り上げた。その演奏は全部で3回。私はその最初のコンサートに、オペラ好きの妻と出かけた。
グレーのカーペットがオーケストラの前に敷かれていた。サントリーホールのP席には合唱団が陣取る。指揮者は歌手を前に出して、オーケストラの指揮に集中する。歌手は入れ代わり立ち代わり登場するが、最低限の小道具を持ち、さらに衣装を変える。カルメンなら最初は赤を基調としたジプシー女の気性を表す。後半にはその衣装が黒くなり、運命的な死を暗示する。ミカエラは常に清楚な青で、エスカミーリョはもちろん闘牛士ハットを被っている。
それにしてもチョン・ミュンフンの指揮は見事だ。丁度真横から見下ろす位置だったが、ここは少し音が分離して音が割れる。このため音響的にはやや不利ではあったが、それでもS席である。ここの席しか確保できなかったのだが、視覚的にはオーケストラのソリストも見えて悪くはない。チョン・ミュンフンは、最小限と思われるほど控えめな動きでありながら、オーケストラから豊穣で引き締まった音楽を引き出してゆく。その職人的な鮮やかさは、かつてのカラヤンを思い出させた。ほぼ片手だけで要所要所を抑える動きでも、すでに20年以上この指揮台に立っているからか、オーケストラは十分彼の指揮を心得ている。しかも新国立劇場のピットに入る常連オーケストラにとって、オペラの音楽はお手の物である。
両手をパッと広げ、時に右足が前に飛び出し、まるでサッカーのよう。その面白い仕草をもって、ここが締めどころであると思わせた。このような動きが見えるのは、演奏会形式の面白さである。演奏会形式と言っても、本格的な舞踊まで登場する。南風野香スペイン舞踊団の4人のダンサーが、この舞台に彩りを添えるさまに私は胸を熱くした。それは有名な「ジプシーの踊り」(第2幕冒頭)や終幕へ前奏曲だった。カスタネットを鳴らしながら、オーケストラのタンバリンに合わせて足を踏み鳴らしたとき、この舞台にカーペットが敷かれている理由がわかった。
私はこのオペラを見る時、もっとも感動するのは少年合唱団が歌う時である。2か所ある。まず第1幕の最初のところで、衛兵の行進を真似る歌。まだ歌手もほとんど登場しない。いや幕があがったばかりである。そこに世田谷ジュニア合唱団の小学生たちが横一列になって行進する。このシーン、私はたとえそれがCDやビデオであっても、涙が出そうになるのはなぜだろうか。この陰惨なストーリーにあって、ここの歌があまりに無邪気であるからだろうか。ビゼーの天才的な音楽は、とどまることを知らない。それから最終幕の導入部。前奏曲を再現するここの音楽は、合唱に少年合唱が加わって最高潮に達する。チョン。ミュンフンの手慣れた指揮が、少年合唱の歌いだしを見事に指示するあたりは、見ていて壮観であった。
合唱団の出来がこの舞台を相当に左右するのは明らかである。我が国最高峰と言っていい新国立劇場合唱団は、ある時は村の人々に、ある時は闘牛場の観衆に、その威力を発揮する見事な歌いぶりであった。動きを交え、口笛すら吹いて舞台の情景を蘇らせる。考えてみれば昨今の簡素な舞台が多い世界中の歌劇場である。いっそオーケストラを舞台に上げ、最小限の道具と振り付けさえあれば、低コストで十分見ごたえのある舞台となろう。演奏会形式によるオペラ上演は、ひとつの可能性を示しているように思う。
さて、歌手のことを書かなければならない。4人の主役を歌うの以下の面々である。
- カルメン:ステファニー・ドゥストラック(Ms)
- ホセ:マシュー・ポレンザーニ(T)
- エスカミーリョ:アンドリー・チマキ(Br)
- ミカエラ:スラーフカ・ザーメチニーコヴァー(S)
この歌手陣の中で、誰がもっとも優れていたとか、物足りなかったなどという評価自体が意味をなさないほどに、今回の舞台は見ごたえがあったと言うべきだろう。フランス人のドゥストラックは勿論のこと、メトロポリタン・オペラでも常連のポレンザーニの透き通る声は、この役の純情な側面を良く表していたし、時にホセを探して訪ねてくるミカエラの純情な声も非の打ちどころがない。
エスカミーリョは最初アナウンスされた歌手から交代したが、その存在感は抜群であった。彼は最初の登場のシーンこそもう少し演出上の工夫があってもよかったと思ったが(舞台の上部から登場するとか)、3回の公演で毎回変わる会場の制約という側面もあるのだろう。だが第3幕ではエスカミーリョは、そのP席後方から見事な声をホール全体に轟かせた。
主役級の外国人に混じって脇役を演じたのはすべて日本人だったが、彼ら、彼女らの歌唱水準の高さを言わないわけにはいかない。日本人だけの舞台なら間違いなく主役級を演じても良さそうな出来栄えの歌手が、東洋人だという理由だけで脇役に甘んじるのを見るのも残念だが、「カルメン」では結構脇役も歌う。私は特フラスキータ役の砂田愛梨は印象に残った。
会場に詰め掛けた聴衆は定期会員を含め、どことなくいつもより興奮した様子。第1幕からブラボーの連続であった。安易に拍手をしすぎると全体の流れを邪魔してしまいそうになる。だが手を叩きたく感情を抑えるのは忍びないのである。この2つの気持ちが、私の心の中で葛藤する。終始ひょうひょうとした表情の指揮者は、舞台が終わってもさほど表情を変えることはなく、そのことさえもが今や世界のオペラ指揮者の風格を感じさせた。
チョン・ミュンフンはしばしばこの作品を世界中で取り上げているようであり、パリを始め数々の劇場のピットに立ってきたにもかかわらず、「カルメン」を収録したCDやビデオはないようだ。そして今や、オペラ全曲を録音するチャンスは激減している。私は夜中になっても旋律が頭から離れず、熱帯夜もあって眠れなかったので過去の録音から、どんな歌手が誰の指揮で歌っているか、Spotifyを検索しながらつまみ食いしてみた。
有名なマリア・カラスによる演奏は、代表的な歴史的録音として有名だが、この作品をステレオ録音してくれたことは嬉しいものの、プレートルの弛緩した指揮と、カラス以外の役者の存在感が乏しいこと、さらにカラスも絶頂期をとっくに過ぎていることから、やや色褪せて感じられる。
2つあるカラヤンの演奏では、そのダイナミックな指揮に圧倒され、いまでも代表的な録音と言える。丸で歌舞伎役者が登場するようなエスカミーリョの歌唱シーンなど、カラヤン節が堪能できるし、新しい方のカレーラスとバルツァを起用した歌唱は大いに聞きごたえがある。だが、この演奏もすでに半世紀がすぎつつあり、古い演奏の感が否めない。
テレサ・ベルガンサを起用して物議を醸したアバドの演奏も、どことなく音楽が硬く、いまや古い。次の世代、アラーニャとゲオルギューらによるパッパーノ盤も、古い録音を凌駕しているとは言い難い(ただし録音の良さはある)。結局、この完璧に有名なオペラにあっても、なかなか満足のいく録音にであうことは難しい。スカラ座に転身するチョン・ミュンフンの録音が出れば、私は間違いなく最高の一枚になると思った。
そうそう、ウィーンでライブ収録されたクライバーの映像を忘れていた。このめくるめき絶頂が連続する一期一会の上演は特別である。だがこの録音(おそらくテレビ収録用)は極めて劣悪である。AIの時代、こういう質の悪い録音を蘇らせてくれる技術は登場しないものだろうか? そんなことも考えた今回の「カルメン」の演奏だった。チョン・ミュンフンが指揮する演奏会形式による定期も、私はこれまで聞いた「フィデリオ」や「ファルスタッフ」を含め、毎回大いに感動的であったことを付け加えておきたい。だから、今年あと2回予定されているオーケストラ演奏会を含め、来シーズンからのプログラムにも大いに期待したい。せっかくなのでヴェルディの初期作品、それからプッチーニも聞いてみたい。


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