もっともその直前の81番という曲は、特に有名でもなければ演奏されることも滅多にないものだ。ではどういう曲か。第1楽章はおちついた感じで始まる。全体に弦楽器の重なりが特徴的で面白い。こういう曲調は、それまでとは少し異なるというのは、意図したものだろうか。ただ真剣に聞いていると新しい発見もある。
第2楽章はよく似た感じが続くアンダンテだが、独奏バイオリンに木管が加わり、それがピチカートになるあたりは大変美しい。メヌエットの第3楽章を経て、やはり落ち着いた感じの第4楽章になり、最後まで完成度は高い。もしかしたら80番よりバランスはいいかも知れない。
それでもここ数曲は、数あるハイドンの交響曲の中に埋もれて、取り立てて素晴らしいというわけではない。だが、それは他の作品、すなわち「パリ交響曲」から「ロンドン・セット」に続く目白押しの名曲に比べての話である。80番以前の表題付き作品は、それらに比べると音楽的な魅力は不十分かも知れないが、ハイドンの創作と工夫の軌跡が見られることもあって、知的には面白い。その2つの山の谷間にある曲のいくつかは、どう考えても損をせざるを得ない存在である。これが他の作曲家のわずかな作品なら・・・。
アダム・フィッシャーの全集とはここでお別れにしようと思う。全33枚組、2001年まで足掛け14年を擁したこの演奏は、全体を通して言えば、ドラティしかなかったハイドンの交響曲に真剣に挑んだその後の最初の全集である。すべてはデジタル録音され、その過程で古楽器奏法の流れが定着したこともあって、演奏自体の進化も感じられる。エステルハージ城で録音されたハンガリー人とオーストリア人によるオーケストラは、数年前のハイドン・イヤーに来日し、私も交響曲第104番などを聞いた。
初期はNimbusレーベルから発売されていたようだが、その後同レーベルが倒産?したことで、私にハイドン作品に真剣に向き合う機会が訪れた。私は2002年に長期の入院をしたが、その時に第1番から聴き始め、「パリ交響曲」の手前まで来たところで退院した。毎日数枚を続けて聞いていく日々は、私にとってつらい思い出とともにあるため、あまり思い出したくはない。だが、このようなきっかけが、より多くの演奏で珍しい初期の作品を聞き比べることに発展した。
そのうちのいくつかの作品は、もう二度と聞くことはないかもしれない。だからこそ、このような文章を書くことで、もし何かの機会があれば珍しい作品の感想を思い出す手がかりとしたい。この全集BOXの解説書には、指揮者の顔写真が掲載されている。興味深いのでコピーして掲載しておこうと思う。
Jerry様はじめまして。私も港区在住で、motoといいます。Dennis Russell Daviesのハイドン交響曲全集を購入しましたので、順を追って聴いております。鑑賞の指針が欲しかったので、「失われた楽しみ」に辿り着き、参考にさせていただいております。今は81番を聴きながら。ハイドン交響曲素晴らしいですね。日本で、全曲聴く人なんて何人いるんでしょうね。少なくとも私の周りでは一生会えそうもありません(笑)。毎回楽しく読まさせてもらってます。貴重な記事をありがとうございます。クラシックを聴く人さえほとんど周りにいないので、とても助かります。引き続き拝読させてください。よろしくお願いします。
返信削除mono様コメントありがとうございます。もう何年も前に書いたすまらない文章に、思いもよらずコメントをいただけるのは嬉しいです。楽器も弾けず、楽譜も読めず、はたまた西洋史の研究者でもない技術者の私が、音楽について文章にすることは大変です。特にハイドンの似たような作品について、とにかく何か書く、という訓練?は、ハイドンが交響曲のスタイルを確立した経過と同様、苦労の連続でした。ハイドンの交響曲作品をブログにしておられる方は、何名かいらっしゃいます(日本語)。また音楽の友社から発売の「名曲解説ライブラリ」(港区の図書館にもありますよ)や、井上太郎著「ハイドン106に交響曲を聴く」(春秋社)が大変参考になりますが、専門的な記述が多く、そうではない素人の感性で書こうと思っているのが私のブログではあります(ただしできるだけ客観的に)。ありがとうございました。
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