古くから関西(上方)と関東を結ぶ街道は我が国の基幹道であり、近代以降も鉄道や道路が、まずはこの2つの大都市間を結ぶものとして建設されてきた。だがそれらとは一線を画し、ただ歩くためだけの、それも山間部のみを通過していく道というのはなかなか興味深い。しかもこの自然歩道には、統一的な標識が随所に立ててあり、とりわけ京都や奈良といったあたりでは、いわゆる名所旧跡の中でも山野に点在する社寺仏閣の類をわざわざ経由してくれる。つまり、究極の歴史散歩のような側面を持っているのである。
関東の一部を除けば、比較的アクセスのし易い街道や山里を通るので、ハイキングの初心者にも適しており、何よりも順に辿りつつ歩くことで、少しづつ東京に近づいていく(上りの場合)というゲーム感覚も手伝ってなかなか楽しい。
私がこの存在を知ったのは、小学生の時だった。当時在住していた大阪府豊中市北部、千里丘陵の一角は、この起点となる箕面に大変近く、小さい頃からその山脈を眺めて暮らしてきた。事あるたびに訪れた「箕面の滝」からさらに少し登ったところが、その出発地点となっている。私は国土地理院が発行する2万5千分の一地図を順に買い込み、赤鉛筆とガイドブックを片手に友人と道をトレースしていくうちに、次第に自分の足で歩いてみたくなり、とうとう小学校を卒業した翌日に、友人3人と歩き始めることになった。
まだ桜も咲かない初春の早朝に、私たちは箕面の滝道を上り、静かで清々しい朝もやの中に、多くの猿がいるのを発見した。友人の1人が少し近道をしようとして、崖の中を歩こうとしたその時に、一匹の猿が彼を襲い、(ここではよくあることだが)彼の昼食に持参したおにぎりを彼らに奪われるという事件が発生した。もっとも早朝だったのであたりには誰もおらず、私たちはただ笑い転げるのみだった。
その後通過した「昆虫館」では、まだ開館時間前だというのに4人もの小学生が通ったことに驚いた館長が、特別に館内を見せてくれるという嬉しい申し出があり、私たちは小一時間、カブトムシやトンボ、それに蝶やセミなど、完全に貸切状態で見物することができた(私が虫というものに興味を抱いたのは、後にも先にもこの時だけである)。このような楽しい時間を過ごしていたので、出発点の「政の茶屋」に着いた時にはもうお昼になっており、そしてそこからどこまで歩くかさえ決まっていなかった私たちは、東京までの全長を記した大きな案内板を見上げながら、「さあいよいよ始まるぞ」を意気込みを新たにした。
さて、私はこれから数回にわたって、この12歳のときに歩き始めた東海自然歩道の思い出を、少しづつ書きし記して行こうと思う。もちろん、はじめてハイキングに出掛けたのはもっと小さい時であったし、その際の記録というのも別に書いておこうとは思う。だがまず、私が自発的に友人たちと出掛けたこの記録こそが、私の最初の「旅行」の原点であると思う。
ところがそのような楽しい東海自然歩道のトレースも、私たちが大学に進学するための勉強に忙しくなった頃には自然消滅してしまった。それまでは春休みや夏休みなど、年に数回のペースで歩き連ね、気がつくと日帰りも困難な滋賀県の信楽付近にまで到達していた。
私は克明にというわけではないが、出掛けた記録というのはメモしている性格なので、実は何月何日にどこを歩いたかということだけは、今でもわかる。そのメモを先日発見したのがこの文章を記すきっかけであるのだが、その経過は以下の通りである。
東京に移り住んで20年以上が経過したが、東海自然歩道のもう一つの起点である東京の高尾山には、実はまだ出掛けたことがない。一度行こうと思いつつ何年もが過ぎた。高尾山からのルートは、相模湖あたりまでは家族向きだが、そこから先はしばらく本格的な登山コースになると聞く。もとより闘病中の私はかつてのような体力を喪失してしまっている。けれども富士五湖をドライブで訪れた際、曲がり角に「東海自然歩道」の標識を発見した際にはとても懐かしく思った。
結局私が歩いたのは、全体の十分の一くらいではないかと思う。そして東海自然歩道の名は、以降あまり聞かなくなったので、今では標識の整備状況もわからない。何度も迷ったことがあるし、宅地開発によりなくなっていたり、あるいは標識が曲がっていたりすることも当時から多かったので、もしかするとこのようなコースは、自然消滅するかも知れない。ちなみにamazonで検索してみても、何年か前に発売されたガイドが見当たる程度である。
なお、私はこのような少年の頃の思い出を書き記すのが初めてである。どのような形で文章にするか、結構悩んだ。当時の写真もほとんどないし、気軽に再訪することもできない。山登りや歴史散歩の専門家でもないので、記憶を頼りに書いたところで、つまらない文章になるような気がする。ごく個人的な日記の一部というところだが、これを事始めにしてこれまで訪れた場所をすべて書き記して行きたいというひそかな願望もあり、その最初として避けて通れないのである。
※写真は千里ニュータウンから見た箕面連山(1989年)
さて、私はこれから数回にわたって、この12歳のときに歩き始めた東海自然歩道の思い出を、少しづつ書きし記して行こうと思う。もちろん、はじめてハイキングに出掛けたのはもっと小さい時であったし、その際の記録というのも別に書いておこうとは思う。だがまず、私が自発的に友人たちと出掛けたこの記録こそが、私の最初の「旅行」の原点であると思う。
ところがそのような楽しい東海自然歩道のトレースも、私たちが大学に進学するための勉強に忙しくなった頃には自然消滅してしまった。それまでは春休みや夏休みなど、年に数回のペースで歩き連ね、気がつくと日帰りも困難な滋賀県の信楽付近にまで到達していた。
私は克明にというわけではないが、出掛けた記録というのはメモしている性格なので、実は何月何日にどこを歩いたかということだけは、今でもわかる。そのメモを先日発見したのがこの文章を記すきっかけであるのだが、その経過は以下の通りである。
- 1979年3月23日箕面公園~泉原集落
- 1979年8月泉原集落~摂津峡
- 1979年11月3日摂津峡~南春日
- 1980年4月3日南春日~清滝
- 1980年8月7日清滝~玄啄
- 1980年玄啄~貴船口
- 1981年4月7日貴船口~大原
- 1982年4月1日大原~比叡山根本中堂
- 1982年8月19日大谷~南志賀
- 1982年11月21日比叡山根本中堂~南志賀、大谷~石山寺
- 1983年3月28日石山寺~宇治
- 1983年8月25日石山寺~雲井
東京に移り住んで20年以上が経過したが、東海自然歩道のもう一つの起点である東京の高尾山には、実はまだ出掛けたことがない。一度行こうと思いつつ何年もが過ぎた。高尾山からのルートは、相模湖あたりまでは家族向きだが、そこから先はしばらく本格的な登山コースになると聞く。もとより闘病中の私はかつてのような体力を喪失してしまっている。けれども富士五湖をドライブで訪れた際、曲がり角に「東海自然歩道」の標識を発見した際にはとても懐かしく思った。
結局私が歩いたのは、全体の十分の一くらいではないかと思う。そして東海自然歩道の名は、以降あまり聞かなくなったので、今では標識の整備状況もわからない。何度も迷ったことがあるし、宅地開発によりなくなっていたり、あるいは標識が曲がっていたりすることも当時から多かったので、もしかするとこのようなコースは、自然消滅するかも知れない。ちなみにamazonで検索してみても、何年か前に発売されたガイドが見当たる程度である。
なお、私はこのような少年の頃の思い出を書き記すのが初めてである。どのような形で文章にするか、結構悩んだ。当時の写真もほとんどないし、気軽に再訪することもできない。山登りや歴史散歩の専門家でもないので、記憶を頼りに書いたところで、つまらない文章になるような気がする。ごく個人的な日記の一部というところだが、これを事始めにしてこれまで訪れた場所をすべて書き記して行きたいというひそかな願望もあり、その最初として避けて通れないのである。
※写真は千里ニュータウンから見た箕面連山(1989年)
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