ドタバタ劇に最高の音楽が一貫して寄り添い、生き生きとした人間模様が描かれる。それはまさにモーツァルトの再現と呼ばれるに相応しいと思った。R.シュトラウスの代表的な作品である歌劇(と言うよりは楽劇)「ばらの騎士」は、私にとって何故か遠い存在の作品で、これまでに実演でも接した「陰のない女」や「ナクソス島のアリアドネ」、あるいはビデオで見た「サロメ」よりも後に触れる作品となった。いやこれまで見たことのない作品であったことがむしろ不思議である。
その理由はこのオペラの魅力が、誰かによって語られてもなかなかその面白さが伝わってこないことになるのではないか。つまり音楽がどのような文章を持ってしても、それを超える様な表現にならない。そのくらいこの作品は、その音楽によって印象づけられる。優れて音楽的な作品と思う。
それは序奏とそれに続く元帥夫人とオクタヴィアンのベッド・シーンから、最後はオクタヴィアンとゾフィーが結ばれる最後まで途絶えることがない。台本を読めば荒唐無稽な会話にしかならない劇も、音楽に乗って語られただけで、ドラマチックになったり、ペーソス溢れる気分になったりと、それは丸で魔法のように自分を襲う。シュトラウスの術中にはまったようなところが、また何とも言えず心憎い。聞き慣れたワルツの音楽も、第3幕になって一気に盛り上がり、そのまま三重唱に雪崩れ込むあたりは、この作曲家の真骨頂である。
The MET Line in HDシリーズの夏のリバイバル上演も、すっかり私の年中行事となった。今年も2012-2013シーズンが始まるまでの残暑の東京で、これまでに見落としていた作品を見て行く事にする。その最初が、2010年1月に上演された「ばらの騎士」で、元帥夫人はもちろんルネ・フレミング、その恋人のオクタヴィアンにスーザン・グラハムという配役は定番である。原作では17歳と32歳の関係だそうだが、実際は歳の差があまりなく、しかもゾフィーのクリスティーネ・シャーファーを加えるともう「タカラヅカ」の世界になりかねない。
だから客席には女性が多いのかと思いきや、中年以降の男性が目立つ(相変わらず客席は20人くらいと少ない)。女性のオペラ・ファンは、「タカラヅカ」とは違い、むしろテノールの男性歌手を好むから、主役3人が女性、しかも唯一の主役級男性はスケベなオックス男爵ただひとりということになれば、これはそういう女性ファンを惹きつけない。しかし、主題は女性の老いということになっているし(または男性の存在の浅さか)、音楽が女性の重唱を聴かせるために書かれたと思うようなメロディーの連続なので、これはそうとう意図されて作曲されたと思われる。
実際、オクタヴィアンがもし男声によって歌われたら(あるいはバロックオペラのように、すべてが男声によって演じられたら)、またそれは全く違った世界になっていたと思われる。だが幕間のインタビューでプラシド・ドミンゴが語っているように、このオペラのタイトルは、「オックス男爵」になる予定だったそうだ(シュトラウスの妻に反対され「ばらの騎士」になったらしい)。
指揮はオランダ人のエド・デ・ワールトで堅実な運び。演出はナサニエル・メリル。このふたりはめずらしくどちらもインタビューに取り上げられない。もし指揮がレヴァインだったら、などと思って聞いていたが、そう言えば「ばらの騎士」にはあの伝説的なカルロス・クライバーが2つもの映像を残している。私はそのいずれもまだ見たことがないので、これはやっとそれを見る準備が整ったというべきだろう。
カルロスのリズム感に溢れ、メリハリの聞いた指揮は、この音楽にきっと素晴らしくマッチしている。シュワルツコップを元帥夫人に迎えたカラヤンのビデオも見てみたい。そしておそらくMETのこのシリーズで、私の経験上、5本の指に入るであろうレベルの感激であったことも指摘しておきたい。歌もさることながら、とにかく音楽に酔いしれた4時間が、あっという間に終わった。「百聞は一見に如かず」ということを実感した今回の「ばらの騎士」で、久しぶりにMetの感激を味わった。
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