2012年12月20日木曜日

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団)

ブリテンがわずか26歳の頃に作曲した「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」は、我が国と関係の深い曲である。戦前の大日本帝国政府によって委譲され、ブリテンはその楽譜を東京に送った。彼はそれで報酬をもらい、その音楽は皇紀2600年(1940年)の記念式典で演奏されるはずだった。だがそれはなされなかった。死者のためのミサ曲が、このような式典にふさわしくないというのがその理由だったようだ。ブリテンは落胆したが、彼はアメリカでの生活に困窮していた。

アメリカで友人ピアーズと生活をしていたのは、第二次世界大戦に突入していた本国イギリスにいると兵役を免れることができないためだったようだ。反戦主義者のブリテンは、本国に帰国することもできなくなっていた。だが、この曲に込められた内容は、当時の日本を結果的には皮肉ったことになる。戦後になってブリテンは日本を訪れ、この曲の日本初演をしている(NHK交響楽団)。彼の日本に対する思いはどのようなものだったのだろうか。

歌劇「ピーター・グライムズ」の上演時に購入した新国立劇場のブックレットに、彼の1956年の来日時のエピソードがわずかだが、綴られている。少し引用してみよう。

「日本の文化との出会いは、風習の違いから生じた多少の困惑とともに、作曲家の側にも大きな影響を与えることとなる。特に彼の琴線に触れたのは、『能』だった。(中略)それは『人生においてもっとも素晴らしい演劇体験のひとつ』となった。(中略)この体験は、後に『隅田川』を原作とする教会オペラ『カーリュー・リヴァー』(1964年)へと結実する。」

この文章は、むしろピアーズとの関係、あるいは彼の米国での創作活動に関するものである。しかしブリテンはここで、日本という国から新たな創作のヒントを得ることになったことは興味深い。

来年はブリテンの生誕100周年で、いろいろな催しも開催されると思われるが、その年を控えてブリテンの音楽を聴いてきた。このシンフォニア・ダ・レクイエムは、上記の経緯に触れないわけには行かず、日本人としては避けて通れない曲である。

サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と来日して、この曲を演奏したいるようだが(1987年)、この時に自筆譜を見たそうである。ラトルはこの当時から数多くの演奏を録音しているが、私はその2前年の1985年3月にラトルの演奏で「青少年のための管弦楽入門」を聞いている(フィルハーモニア管弦楽団)。 29歳のマエストロの演奏は、あっという間に終わってしまう演奏で、そのことだけが印象に残っている。

今回聞いたラトルのシンフォニア・ダ・レクイエムも1984年の録音で、真面目で迫力のある演奏。茶目っ気は全くないが、まさに正攻法の演奏は、イギリス音楽には効果的だ。

音楽は3つの部分(楽章)から成っているが、続けて演奏され、時間は20分程度である。タイトルの難しさに反して、若いブリテンの早熟ぶりが伺えると同時に、すでに作風は確立されていることに驚く。冒頭からティンパニが不吉な予感のする連打を始め、厳かに演奏が始まる。どこかドラマのシーンのようである。レクイエムである以上、ミサの一節からテーマが採用されている。ここはLacrimosa(涙の日)ということになっている。

音楽は続いて演奏されるが、楽章の切れ目は明確である。第2楽章は一転して馬が駆けるがごとくのリズムで、ブリテンらしい面白さに溢れている。「怒りの日」である。続く第3楽章は、透明な感じで始まり、ヴァイオリンが凍てつくような 雰囲気を出しているが、それもパッと明るくなって春のようなメロディーに変わり、静かに終わる。「久遠なる平和よ」

なお、このCDには続いてBBC第3放送テーマ用に作曲された楽しい曲「Occasional Overture」(何と訳せばいいのだろう)と、10分程度の親しみやすい「アメリカ序曲」、それにイギリス民謡による組曲「過ぎ去りし時」といった初期の管弦楽作品が収録されている。「過ぎ去りし時」はハープやタンブラン?のような小太鼓、それにバグパイプなどが出てきて実に面白い。ブリテンの作風はここではむしろ脇役となっているが、かと言ってこれは民謡そのものではむろんない。そのあたりの交わり具合が、とても興味深かった。

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