2013年4月22日月曜日

ビゼー:歌劇「カルメン」(パリ・オペラ座ライヴ・ビューイング2012-2013)

各地の歌劇場が「ライヴ・ビューイング」企画を始めている。「ライヴ」といっても本当のライヴではなく、時間差がある。日本語の字幕を付けるなど手間のかかる作業だから、数ヶ月の遅れなら仕方がないだろう。それよりも本場へわざわざ出かけなくても、旬の上演に接することができる。値段も実演に比べれば安く、しかもカメラワークの楽しみはオペラ作品の別の側面を浮き彫りにする。

そしてメトロポリタン歌劇場のThe MET Live in HDシリーズに倣って、とうとうパリのオペラ座がこの企画を始めた。今シーズンは8作品が順次映像で公開されるが、そのうちバレエが3作品を占めるなど、フランス風に拘った選曲である。その第2作目はやはりフランスを代表するオペラの名作、ビゼーの「カルメン」であった。パリ・オペラ座でも10年ぶりというこの作品は、知らない部分がないくらいに名曲の連続で、しかもよく知られたストーリーである。私も実演やビデオで何回となく見ているから、「またカルメンか」と思っていたが、青島広志氏の宣伝文を読むとやっぱり行きたくなる。

その日は朝から冷たい雨の降る肌寒い日曜日で、有楽町駅にも人はまばらであった。しかし日比谷のTOHOシネマに向かうとそこには、いつもオペラ映画では有り得ない多くの若い人々が切符売り場に並んでいる。これは一体どういうことかと思ったら、宝塚歌劇の列であった。宝塚歌劇というのはオペラではなく、実際は女性による女性のためのミュージカルである。宝塚劇場の地下が映画館で、広い方は「スカラ座」といい、私の目指すパリ国立オペラは、小さい方の「みゆき座」である。この名前は御幸通に面しているからであろう。

前後左右に人のいない席を、といったところ、中央のど真ん中の席をくれたが、実際、そのような人の入りで、午前10時過ぎから休憩なしの3時間半の上演は、連日のコンサート疲れもあって何となく食傷気味であったことは白状しておく。、だが、見続けるうちに、これは大変な演奏だと思うに至った。「カルメン」も本家がやれば「こういうものよ」と主張しているみたいである。これではMETライブも霞んでしまう。それほど良かった。

アンダルシアの城下町を舞台にした歌劇「カルメン」は、世界で最も人気の作品だが、その詳細な聴き所となると、次々と続くあまりに有名なメロディーの大衆性に隠れて、曖昧なものとなっていたような気がする。従来、この作品の持つ曖昧さはギローによる「低俗なレチタティーヴォ」を多用した「改悪」の結果というのが定説となり、最近ではめっきりオリジナルの「オペラ・コミック版」による上演が多くなって、この問題はかなり解決した。今回の上演ももちろん「オペラ・コミック版」で、台詞が語られることでストーリーが自然に流れる好ましい結果となった。

ところが今回の舞台は、スペインではなくどこかの廃墟の建物内で、その舞台セットが全4幕を通して変わらなかった。ここはタバコ工場前の広場でもあり、城内の牢屋でもあり、リーリャス・パスティアの居酒屋でもあり、山の中でもあり、そして闘牛場でもあった。このことがオペラを見る楽しさのひとつの側面を奪ったかもしれない。だが、それを補って余りある素晴らしさがあった。それは歌唱と音楽である。衣装も凝っていた。少年少女が登場するのは、限られた場面だけではなかった。そして彼らが身に着けていたのは、闘牛士の格好だったり道化師の格好だったりした。少年を含む合唱の素晴らしさは書き忘れることはできない。そしてもしろんバレエも!

まずカルメン。この表題役を歌ったのはイタリア人のソプラノ、アンナ・カテリーナ・アントナッチで、黒い髪の毛をわざわざ白く染め、もともとの台本ではない雰囲気になっていた。マリリン・モンローを思い起こさせる姿はたいそう美人の女性ではあるが、もっと妖艶な雰囲気を期待していると裏切られる。だが、彼女の歌声は私のこれまでのカルメン像を打ち砕き、さらにはより素晴らしい役柄へとこの役を引き上げた。「ハバネラ」がこれほど綺麗に歌われることは少ないし、かといって低い声でドン・ホセを翻弄する魅力もまた持ち合わせている。この演出からはジプシー色がほとんど消え失せていた。「どこにでもいる女性」を目指したのだろうか。この「カルメン」はすべての女性が持つ要素であり、そしてドン・ホセはまたすべての男声が持つ危ない要素なのかも知れない。

そのドン・ホセはテノールのニコライ・シューコフで、声の質は三大テノールにあえて例えるならホセ・カレーラス風だろうか。真面目な風貌もこの役にぴったりである。一方、ホセのいいなづけミカエラは、ゲニア・キューマイヤーだが、この可憐な役をひときわドラマチックに歌い、観客の歓声を集めていた。第1幕の冒頭で自転車に乗って登場した彼女は、第3幕の後半でホセを追いかけて来るシーンで、ひときわ叙情的に歌い、観衆の涙を誘った。

エスカミーリョは、歌こそ少ないがこの歌劇では非常に重要な役柄である。登場していきなり「闘牛士の歌」を熱唱するからだ。バリトンのリュドヴィック・テジエは、登場したとき白いスーツにサングラスをかけていて、どこかの芸能プロデューサーかと見間違えたが、グラスを外して歌い始めるとその声は大劇場にこだまし、貫禄充分であった。

これらの主役の陰に隠れる多くの脇役は、通常ならそれほど言及する必要がない。しかし今回のこの上演では、これらの脇役たちが実に上手い。衣装も個性的で、しかもそれがハマっている。そう言えばフランスに行けば、こういうおっさんがいるなあ、と思う人々は合唱団のひとりひとりに言える。フランス人でなければ表現できない雰囲気というのが感じられる。

指揮は音楽監督のフィリップ・ジョルダン。ワーグナーを指揮しても上出来のこの指揮者について、もはや何も言うことはないだろう。音楽は自然ななかにもたっぷりと歌われ、迫力があるが急がず、十分に劇的であった。私が映像や実演で見た「カルメン」ではもっとも完成度が高く、興奮の度合いはクライバーに継ぎ、発見の多さでは群を抜いていた。 満員の観客が多くのブラボーを叫ぶ中、昨年12月の公演が終了した。カーテン・コールの間中、私は感極まって胸のつかえが取れなかった。

開始前と第2幕後には歌手や演出家イヴ・ボーネンに対するインタビューもあり、見どころは満載のこの企画は、今シーズンの全8作品を5月より順次上映する。次回は「ホフマン物語」で、私も今から待ち遠しい。MET Liveが6月に今シーズンの公演を終えるので、その後9月まではこのビューイングで過ごすことになりそうだ。

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